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ギアとブレーキ、ジャンプと着地

7月末、たまたまテレビをつけたら、オリンピックのスケートボード「ストリート」決勝戦で、ちょうど16歳の中山楓奈(ふうな)選手がすべっているところだった。おおう、りりしい。なんてきれいな子なんだ!!とまず目を奪われて、それからストリートという競技にびっくりした。そんな手すりの上をすべるのおやめなさい、危ないわよ!! なんて近所のおばちゃんみたいに声をかけたくなった。次に13歳の西矢椛(もみじ)選手が出てきて、一回目の演技で転んだが(下、コンクリートだし、痛そう!)けろっとして起き上がり、二回目はさらに強気な表情でスピードに乗ってガンガンすべり、鮮やかに技を決めていった。西矢選手が金メダル、中山楓奈選手が銅メダルに決まって、きゃあきゃあ喜んでる様子がかわいかった。海外の選手もみんなリラックスした表情で、「プレッシャー」「国旗を背負う」みたいな悲壮感は感じなかった。互いのパフォーマンスをリスペクトし、楽しむ空気がいいなあと思った。スケボーのことは全然詳しくないけれど、本当は本当にストリートのカルチャーのはずで、カッコ良さを競うとしてもこんなに真面目に点数化して順位を決めるのはなんだか変な気がした。あ、この話は本筋からそれるな。

つまり、「怖くないのか」が気になったんでした。

調べたら、西矢椛選手と四十住さくら選手(もうひとつの種目・女子パークの金メダリストで19歳)がインタビューで「怖くないですか」と聞かれ、二人とも「怖いです」と答えていた。でも、転ぶ怖さより楽しさのほうが勝つんだそうだ。転びそうなとき、柔道の受け身のような転ぶ体勢の準備はあるかとの質問に、四十住選手は「付けているサポーターの方向からなるべくこけるようにしています」と答えたが、椛ちゃんのほうは、そういう準備は「ない」のだという。 

ちなみに、四十住選手のお母さんも一緒にスケボーをやっていたそうだ。「最初は楽しくやっていて、でも途中でこけて……そこからやめました(笑)」。うん、そうだろうなあ。おばちゃんは最初から怖くてできないよ。

私はおばちゃんになる前から、加速度がつくものや回転するもの、「体が持っていかれる」感じのする運動は全部苦手だった。鉄棒もマット運動も怖いし、ジェットコースターなんて死んでも乗りたくない。

大学時代の体育では、たしか冬休み5日間の合宿で単位が取れる「初心者向けスキー」を選択したのだが、私ともう一人の男子(ジャズサークルのサックス吹きで、スキーウェアではなく革ジャンを着てくるという、いかにも文系オタクっぽい奴だった)はスキーを履いて立っていることすらできず、クラス1の下のクラス0に配属された。私たちを指導してくれた体育会系スキー部の先輩は優しくカッコ良く、しかも「加速度を楽しむんだよ」という名言をいただいたので、結果的にクラス0は非常にお得であった。

加速を楽しめないのは、たぶん止まる自信がなかったからだと思う。私たちはまずはスキー板を八の字に開いてしっかり止まることを覚え、それから緩斜面をゆるゆるすべる気持ちよさを覚えた。先輩の根気のよいご指導の甲斐あって、私たちは合宿3日目にしてクラス1に戻ることができた。

安全に止まれる自信がついてくると、加速度に身を任せる快感がわかってくる。体はリラックスしているから、転んでも自然に受け身が取れて、あまり大きなけがには至らない。一緒に合宿に行った運動神経の良い友達などは、「どーいーてー!!」と叫びながらがんがん直滑降し、がんがん転びながら上達していった。
「加速度の快感」を知ると、さらなる加速に耐えられるようトレーニングするのが、さらにさらに楽しくなっていくのだろう。

人が運動音痴になるのは、たぶんこの逆で負のスパイラルだ。恐怖で体がすくんでいるから何をやってもうまくいかないし、転べばけがしやすいし、何より見た目がカッコ悪いから勝手にコンプレックスを感じてしまう。「運痴」の多くは自縄自縛であり、必ずしも体力や筋力の問題ではないんじゃないかと思う。

考えてみると、体操やダンスのジャンプ、回転技も、筋力がいるのは踏切や着地のときで、上手な人ほど空中でふわーっとリラックスしている。体の一部が変に緊張していると、軸がぶれてかえって危ない。

加速中、ジャンプ中、回転中って、ある種非常事態だ。ちゃんと地に足がついてないんだから。でも、そこにこそ快感がある。私などはすぐパニックになって、自分が今どっちを向いてて何がどうなってるかわからなくなってしまうのだが、器械体操の選手などは、空中でどんなにめまぐるしく回転していても、自分の体が今どうなっているか、つねに細部まで把握できているらしい。ピンチになればなるほど、頭は冴えて冷静になり、肩の力は抜けている……なんて、ハードボイルド小説の主人公みたいだ。

で、ここから話が一気に庶民レベルになりますが。

9月のはじめ、バレエの発表会があり、『パキータ』パドトロワの第1ヴァリエーションというソロの踊りをバレエシューズで踊らせていただいた。アップテンポで腰に手を当ててちょっと見栄を切る感じの、スペイン娘っぽい明るい踊りだ。先生が選んでくださった衣装が、ショッキングピンクにオレンジ色のバラがついたチュチュ、という、アラフィフで下手くそなおばちゃんが着るのはだいぶアレな感じであった。

で、これを踊るには、文系オタクおばちゃんのままではだめだと思い、高校時代の友達のY子のつもりになることにした。

Y子は小柄な女の子だが、テニスがうまくて、ピンチになればなるほど強気になる人であった。思い切りリターンを打ったかと思うとネット際へ飛び出してきて、ひっぱたくようにボレーする。まるで獲物に飛びつく子猫みたいに。この衣裳、Y子なら似合うだろうなと思った。

結果、Y子になったからといって急に回転技が上達するわけもなく、やっぱり本番はヨロヨロだった。でも、腰に手を当ててポーズ! というところで比較的ビシッと止まれた。そしてたのしかった。体育会系の人が本番に強いってこういうことかな、と実感できた。さらに、「ぱーっと出てきてくれるから、雰囲気が明るくなっていいわ」と先生にほめられ、(先生はすごくほめ上手だ)すっかり気をよくした。わはは。

これまでのライター仕事や、趣味で書いたものを振り返ってみると、自分にブレーキをかけながらスピードを出そうとしてイライラしていることが多かったように思う。古い友人のTに「話が小さくまとまりすぎだ。大風呂敷を『広げて、畳む』練習をしたほうがいいよ」とよく言われたが、広げたら広げっぱなしでまとまらず、話を終わらせられないことも多かった。今考えると、「広げて、畳む」は、「ジャンプと着地」とほぼ同義だった気がする。思い切り跳んでみてから、なんとかうまく着地すること。跳んでみないと着地のしかたもわからない。いったんブレーキを外して加速を楽しんだ後、しかるべき場所で静かに止まること。

そういえば、漫画家の高橋葉介先生は、作品完結の後に「スカイダイビングしながら落下地点を必死で捜して着地した気分です」と語っていた。

話は終わらせないと筋力がつかない。それは、たぶんジャンプの着地に筋力がいるのと同じかもしれない。実際に筋力が衰えがちで、膝や腰を痛めやすいアラフィフになって、ようやくそのことを実感している。

アラカンになっても何らかの踊りは続けて、妄想筋を鍛え続けていきたいなあと思う。

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