見出し画像

なんとなくを許さないでいこう。なんとなく

 なんとなくを許さない気持ちというのは持ち続けるのが難しいので、なんとなくではない理由で行動できるのはすごいことである。人は一般的にはなんとなくで過ごしていて、なんとなく行動し、なんとなく決め、すると、なんとなくその結果を受け止めることになるはずだ。
 でも、それは少し違う。難儀なのは、私たちは「結果」にはけっこう厳しいことである。
 何か結論が出たものというのはそれ以上変化しないから、評価が難しくない。それに結果というのは、様々な要素が収束した先に出てくるものだ。別に高度な計画など立てなくとも、結果はそれまでの経緯とか積み上げてきたものとか、作り上げたものとか、様々な材料が結合したものである。
 それはわかりやすい。
 少なくともその過程よりも。だから私たちは、それをきちんと見れてしまう。わかってしまう。そもそもがわかりやすい形をしているから。そういう姿で目の前に現れるから。
 だから結果だけは、よく見てしまう。

 しかしながら、重要なのは、なんとなく進められた物事は、なんとなくの結果しかでないということである。結果だけしっかりしているなんてことはありえない。それまでの積み重ねが結果、いわば総まとめでしかないからだ。
 それなのに私たちは、それまでの経験から、結果といえばちゃんとしたものだと高をくくっていて、「なんとなく」そうだと決めつけている。そしてなんとなく出た結果をしっかりと確認して初めて、それがなんとなくを材料にしかしていなかったことに気づくのである(もちろん、気づかないこともある。なお悪いことに)。
  それは結局のところ、なんとなく結果を受け止めていることに他ならない。やっぱり私たちは、なんとなくに支配されてしまうのだ。どんな得意なことでも、簡単なことでも、ふと気づけば「なんとなく」の影は後ろにいる。

 そのため、なんとなくを許さない気持ちを、普段から持っておくことが大事である。少なくともそうしようと意識し、努力していれば、忍び寄る「なんとなく」にすぐに気付ける。気付いたら、きちんと決めたり考えたりすることができるはずだ。それまでなんとなくだった物事を、しっかりと。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?