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短編小説

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#死

冬の自殺の肯定

「誰も何もできないからだよ」とその人は最後に言った。その日は雪が私達を凍りつかせるほど降っていて、昨日の見慣れた土色とは打って変わって真っ白になったグラウンドでは、放課後の雪合戦を楽しむ生徒達の声が聞こえてきていた。  その溌剌とした若々しい声は、淡々と振り続ける雪と空気の冷たさに濾されて、私にはとても白々しく聞こえた。それがなんの根拠もない被害妄想だとは分かっていた。でも、ここまで階段を何十段も駆け上がってきていて喉が痛いし、寒さで耳も鼻も痛いし、目の前の友人は屋上から飛び

雨のひとなくした者

 雨の日が憂鬱だと、最初に言い出したのは誰だろう。そのせいで、雨が泣いていることも知らずに、私たちは当たり前のように雨の日を毛嫌いする。  湿気や低気圧や、特別な服装をしなきゃいけないとか、電車が混むとか、傘の忘れ物が多くなるとか、人間側の都合を雨に押し付けて済ませている。でも雨がないと生き物は、それどころかこの地球は行き続けられないのだ。そのことをちゃんと知っている人は、きっとあめを毛嫌いしない。きっと土砂降りの日でも喜んで外に出かけていくだろう。なぜならそれは恵みの雨だ

死と食事と聞きそびれた長い話

「彼、話長いじゃない、やっぱり」 「仙遇がですか?」  三井はナポリタンを口元に運びかけていた手を止め、まるで親しい者の死の報せを聞かされたかのような顔を見せた。テーブルの向かいで頷く坂野は、ちょうど最後の骨を、定食の焼き鯖から抜き取ったところだった。 「そうよ。彼と会うといっつも2時間くらい飲んじゃうもの」 「はあ……酒好きなだけでしょう、2人とも」 「そんな冷たい目しないでよ。本当なんだってば」  板野が猫なで声を出す。色香を含んだ艶のある目線が、三井を捉えるが、彼はそれ

ただ、自分の死の後の世界を

 大泉昌は驚いていた。黄色いテープが張り巡らされた白いガードレールには、いくつかの花束が手向けられている。その交差点では先週事故があり、昌はそこで死んだのだ。事故だったが、そう受け取らない人々もいた。昌自身も、振り返るとあの時は特に気分が落ち込んでいて、落ち込みすぎて良く分からなくなっているくらいだったから、ふらりと赤信号に飛び出してしまったのかもしれないと分析している。  ともあれ、彼はそんな冷静な判断とは裏腹に、ともかく、驚いていた。矛盾するかもしれないが、彼の今の状態で

プールサイド、溺れる桃

 人間が理性を持っているのは、多分、死ぬことに打ち勝つためだ。だが、もし人間に理性がなかったなら、多分私たちは、死ぬことを気にしないで済んだのかもしれない。  チャプチャプと水の跳ねる音が聞こえてくる。莉理はそっと目を開けた。ぼんやりとした視界に星空が広がっているのが分かる。肌寒さに、身体がかってに身震いした。  寝そべっていたのは、プールサイドなどに良くあるビーチ・チェアだった。莉理はタイルの床に降り立ち、うんと伸びをした。傍らに置いてあった眼鏡をかける。視界は幾分かクリ