マガジンのカバー画像

短編小説

58
運営しているクリエイター

2021年4月の記事一覧

死と食事と聞きそびれた長い話

「彼、話長いじゃない、やっぱり」 「仙遇がですか?」  三井はナポリタンを口元に運びかけていた手を止め、まるで親しい者の死の報せを聞かされたかのような顔を見せた。テーブルの向かいで頷く坂野は、ちょうど最後の骨を、定食の焼き鯖から抜き取ったところだった。 「そうよ。彼と会うといっつも2時間くらい飲んじゃうもの」 「はあ……酒好きなだけでしょう、2人とも」 「そんな冷たい目しないでよ。本当なんだってば」  板野が猫なで声を出す。色香を含んだ艶のある目線が、三井を捉えるが、彼はそれ

100点の仕事は目指さないにしても

「ダメだあいつ、また45点出してきやがった」  依田川課長は先日買ったばかりの高価な椅子の背を思い切り軋ませて、書類を弾き飛ばすようにパソコンデスクの上に放り投げた。押しのけられた書類が逃げ出してデスクの上から落ちていく。その全てがしっかり落ち切ったのを見届けてから、向井はわざとらしくため息をつき、かがみこんで書類をまとめていく。 「悪いな」 「いえ、これが仕事ですから」 「バカ言うな、お前の仕事は経理だろ」 「ごもっとも。ならいいかげん片付けてください、机の上」  まとめ終

ただ、自分の死の後の世界を

 大泉昌は驚いていた。黄色いテープが張り巡らされた白いガードレールには、いくつかの花束が手向けられている。その交差点では先週事故があり、昌はそこで死んだのだ。事故だったが、そう受け取らない人々もいた。昌自身も、振り返るとあの時は特に気分が落ち込んでいて、落ち込みすぎて良く分からなくなっているくらいだったから、ふらりと赤信号に飛び出してしまったのかもしれないと分析している。  ともあれ、彼はそんな冷静な判断とは裏腹に、ともかく、驚いていた。矛盾するかもしれないが、彼の今の状態で

ステラの事件簿⑧《雨の匂いは 1》

●登場人物  ・宝城愛未(まなみ)…欧林功学園の人気教師。ある冤罪を着せられる。  ・島原太東(たいとう)…学園OBで、学園システムのエンジニア。  ・大林星(すてら)…学園中等部2年の本作主人公。事件の解明に奔走。  ・中沢慶次(けいじ)…学園用務員。不審な女生徒について星に話す。  ・向田海(かい)…学園高等部2年で映像研究会会長。星の友人の兄。 ●前回までのあらすじ  地域では有名な中高一貫校、欧林功学園で男子生徒の体操着が盗まれる事件が起きてから1か月。星(すてら)

地元の聖域

 「お腹が空いた」と感じることが多くなった。そう、彼は思っていた。午後、仕事の都合で都心を離れ、暇な時間に商店街をブラブラ歩く。今日の仕事は楽なものだった。まだ付き合いの浅い取引先の支社へ行き、簡単な会議に出て、そこでの意見をまとめるというもの。  念のため1泊することになっていたが、彼は、取引先の飲みの誘いを断った。まだ、信用に足る相手かどうかが分からない。それを探るための仕事だと思っていたからだ。会議で良く発言する人間はいたが、今のところ、威勢がいいと思えるだけでしかなか