聖水少女7

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カクヨム

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そうして香織と天花は暇なく話を続け、気が付けば陽が傾く頃合いとなっていた。山茶花堂の窓から見える景色は紫陽花色をした夕暮れ。学業に打ち込むべき男女には些か遅い時間である。

「いい時間になった」

 そう言ったのは天花からであった。紳士としては正しく礼節を弁えているが、やや物足りない素行。人として模範的であるが、男としては落第である。

「そうですね。すみません。付き合ってもらっちゃって」

 とはいえ香織もまだ幼く、この後は楽しく別れ、帰宅後は部屋に篭り余韻に浸る以外に想像が及ばないのだからお互い様である。夜毎肌を重ねるという知識はあっても自分が経験するとはこの時露にも思っていないのだから、彼女の中では今が絶頂であり絶対なのであった。下世話が入り込む余地はない。

「いや、俺も俺も面白かったよ。また、誘ってくれないか」

 本来であればここは受け身ではなく、「また一緒に来よう」という場面。だが下心のない未成熟な天花にはその道理が分からず、互いに目を合わせて頰を緩めて店を出て、さようならと言って別れたのだった。
 彼は未だ男としての意気地いきじが備わっていないが、変に気障ったらしい台詞を吐かれたり野蛮に連れ回されるよりは余程いいと香織は思った。一緒にいて面白かった。次の約束もしてくれたと夢現で、気が付いら日課の放尿も夕食も風呂も済ませ寝巻き姿となっていた。そしてやはり床の中で再度今日一日を思い返すのだ。鯖を焼き、家を出て、学校に着き、退屈な授業を受け、そうして、放課後に……

 なんだかはしたないかしら。

 香織は顔を赤らめて布団に潜り、小さな手を強く握った。まるで舞い込んだ幸福を放さぬよう、強く、強く。
 

 翌日。いつものように登校した香織は席につき、いつものよう天花を探すと、いつもと違い香織と天花の目が合った。どうやら天花の方も香織を探していた様子である。昨日の一件が彼に香織を意識させたのだろうと、香織自身も察する事ができた。

 なんだか恥ずかしい。 

 すぐに目を逸らした香織は授業の準備も忘れて俯く。今まで眺めるだけの存在だった想い人から視線を向けられたのだ。動揺混乱の類は当然であろう。そして、更なる飛躍が彼女に訪れる。

 このまま椿さんと、そういった関係になってしまったらどうしましょう。

 彼女のそんな妄想の中には一種の恐怖が混じり始めた。憧れから現実への遷移には未知への恐れを孕むもの。これまで夢の中で済んでいた情事が肉を持ち、直に自らへと触れる可能性が生じるのだ。若き男女の色恋沙汰は殊更にその傾向が強く、考えざるを得なかった。香織は昨夜に耽り損ねた、時折り頭を過ぎる淫猥な場面を頭の中に描いたのだった。裸で交わり、素肌を舐め合い打ちつけるその場面を。

「わ」

 妙な声を上げて飛び跳ね晒し者となった香織は先までとは違う意味で赤面し、しずと座り直す。彼女らしからぬ頓珍漢を目撃した級友達は皆面白おかしく囃し立て、香織は恥の投げ売りをする業者のようになってしまっていた。

「どうしたの香織さん。鼠でもいたのかしら」

「いいえ。きっと雨漏りをしていたのよ。この学校、古いんですもの」

「やぁね。今日は晴れてるじゃない」

 香織は心中で般若となりながらそんな会話を照れ笑いしながら聞き流した。程なくとして朝礼となり囲んでいた級友達はそれぞれの席へと戻っていったが、それでもしばらく笑っているものだからさすがに香織も気分を害し授業中は不貞腐れた顔をしていた。が、記憶の片隅には破廉恥の破片が残っており、気を抜くとまた「わ」と声を出しそうになってしまって、抑えるのに難儀した。

 私ったら、いけない人間なのかしら。

 教壇に立つ教師の言葉も耳に入らず、ずっと心ここにあらず、怒りと羞恥で悶々と塞ぎ込み、世界史も数学も身に入らなかった。彼女はただ、未経験な淫欲的な心象と、それに伴う発作的な奇声に悔いるばかりで、何をするのにも煩わしく感じるのであった。

 きっと、椿さんも見て、聞いていたに違いない。

 曇天のように厚い鬱屈が香織に影を落とす。

 帰っちゃおうかしら。

 昼の休憩にそんな不良思考が彼女の頭を過ぎった。皆勤に早退の有無は関係しないが、生真面目な香織は多少体調が悪くとも出席したからには一日を学び舎にて過ごしていた。それを忘れて帰宅の願望を持つとは余程の事態。当然食欲などあるはずもなく、朝に作った弁当が進まない。レタスとチーズを挟んだサンドイッチは二口齧られたままだし、付け合わせのブロッコリーとトマトはフォークで幾度となく突き刺され悲惨な状態となっている。決して行儀がいいとはいえぬその行い。誰かに見られれば恥を上乗りする結果となるだろうがそこまで考えが至らず、ひたすら忘我に彷徨う。
 彼方に聞こえる人々の声。その中には天花と男子生徒の茶化し合いも含まれている。それを耳にする香織は疎外されたような、自分だけこの場にいないような気がして、吐息と共に一雫の涙を落としたのであった。

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