【鎌倉・湘南】弾丸女一人旅
私は子供の頃から妄想癖があって、もしお姫様だったらとかポケモンマスターだったらとか女優だったらとか、いつもそんなことを考えていた。妄想の中でどんどんストーリーを膨らませていって、それなりの紆余曲折はあるのだが、必ず成功して終わらせる。絶対に主人公は自分自身というところも変わらない。
年齢を重ねても妄想する癖は無くならないどころか、どんどんリアリティが増していった。「ハードルは高いけど頑張れば実現できるかもしれない」くらいの妄想をするようになったのだ。中学生になったら、いろんな男の子とたくさんデートにいっちゃう自分とか。受験生のときなら合格して大学生になって、授業にサークルに彼氏に、充実したキャンパスライフを送っている自分とか。実際にその妄想がモチベーションとなって、第一志望だった大学に合格できたということもあって、なかなか侮れないのである。だから私は叶えたい夢や目標があればあるほどたくさん妄想することにしている。
妄想マスターの私的に一番重要なポイントは、超事細かに妄想することである。とにかく具体的に。理想の自分が持っているものはなにか? どんな服を着ているか? 何を食べているか? どんな部屋に暮らしているか? どんな会話をしているのか? 云々。具体的になればなるほどその理想の私は彩り豊かになり、リアルになっていく。
今回鎌倉に来たのは、そんな妄想の延長線上にすぎなかった。私の今好きな妄想のジャンルは「もし有名になったら」である。ついこの間までは「もしお金持ちになったら」妄想をしていたけれど、最近は家に置く家具のブランドも壁紙の色も、朝食のメニューも決めてしまって、飽きたのでやめた。
さて、「もし有名になったら」妄想で重要なのはシチュエーションである。すなわち、私が雑誌に載るという設定である。もし有名になって、時代を先取る若き芸術家、なんて感じでかっこよく雑誌に載っちゃったらなんて言おう、みたいな。こういうのはだいたい対談みたいなのがいい。どこかの有名な名演出家かミュージシャンかと対談する。で、「川代さんはさ、仕事に行き詰った時はどうやって息抜きしてんの」とかきかれちゃうのだ。「僕はワインが好きだからさ、お客さん呼んでパーッとパーティーして飲むのが楽しみなんだよね」とかお洒落な先手を打たれたらもう、私も「若き芸術家」としてそれなりの返事をしないと読者の期待を裏切ってしまう。「うーん、家でずっとごろごろして、ニコニコ動画でひたすらハムスターが滑車をまわり続ける動画見てますね」とかだとイメージが崩壊してしまって仕事も来なくなるかもしれないので、ちゃんと洗練されたな答えを準備しておかなきゃならない。
というわけで思いついたベストな答えがこれである。
「ううん、そうですね。一日でも休みがとれると、仕事が終わったその足でちょっと遠出します。鎌倉に行くことが多いかな。もちろん一人です。最低限の荷物だけ持って。前日とかにね、ドミトリーの部屋をとるんです。平日だと結構あいてるんですよ、意外と。そこに泊まってる人と仲良くなって、話したりするのが楽しいんです。それから、だいたいは海を見に行きますね。湘南まで足をのばして、江ノ電に乗ってゆっくり本を読んだり、海岸を散歩したり。頑張って観光地をたくさん回ろうとしないで、気の向くままに行きたいところに行く。食べたいものを食べる。そうするとすっと気持ちが落ち着いて、エネルギーチャージできるんです」
どうですかこれ。こんなにかっこいい答えってないと思うんですけど。ていうか私がなりたいのってこういうの平気で言えちゃう人なんだよなあ。だってさらりとこんな台詞が出てくる大人の女って素敵じゃないですか。
と妄想したが吉日、それを現実にするべく、幸運にも明後日は一日何もない日で、明々後日は10時に東京に戻れば大丈夫。というわけで衝動的にじゃらんでドミトリーを二泊とり、衝動的にかばんに荷物をつめ、衝動的に湘南新宿ラインに飛び乗った。
前置きが長くなりましたが、こうして、鎌倉・湘南弾丸女ひとり旅が始まったのである。
夜はぎりぎりまでバイトだったので、鎌倉に着いたのは23時頃だった。予約していたドミトリーは清潔で、こたつがある。鎌倉の人はずいぶん早寝なのか、ほとんどの人は寝静まっている。凍えそうなほど寒かったので、私もさっさと布団に入って温まる。なんだか12月になっていきなりものすごく寒くなったような気がする。冬が空気をよんで「おっ、もう12月になりましたね。そろそろぼく、本気出した方がいいですよね?じゃ、思い切って気温下げときますねー」とせっせと頑張っているようだが、今年は暖冬ですと散々お天気ニュースに聞かされていた私としては、勘弁してくれって感じ。油断して一番薄いコートを着て来てしまった……失敗。
そんなことを考えつつ、二段ベッドの下の段に寝っころがってカーテンを閉め、読書灯をつけると、まるで秘密基地にたったひとりでもぐりこんでいるような気持になる。ふかふかの毛布につつまれて目をとじる。明日はどこに行こうかな。とりあえず雑貨屋さん巡り? カフェでのんびり文章を書くのもいいな……。もし10年後とかに、有名になった私なら、どうするだろう?
また妄想の世界に入っていこうとしたけれど、具体的なところを考える前に、強烈な睡魔がやってきた。
次の日目が覚めると、9時半だった。
ドミトリーのラウンジには誰もいない。しいんとしている。シャワーをあびて顔を洗い、身支度を整えて出発した。
とりあえずおなかがすいたので、目についたマクドナルドに入ってパンケーキとハッシュドポテトを食べる。鎌倉まで来て朝マックって損してるかなとも思ったけれど、普段よりも格段においしく感じる。
飲み終わらなかったホットコーヒーを片手に駅に向かい、江ノ電の1日乗車券を買う。600円。これでどこの駅も乗り降りし放題だ。
朝の江ノ電はとても気分がいい。のんびりと鎌倉の街を走る。何をしようか色々考えたけれど、せっかくパソコンを持ってきたので、江の島の海沿いのカフェで小説を書くことにする。
江ノ電にゆらゆらゆれながら、もうすでに3回くらいは読んだであろう村上春樹のゆるーいエッセイを読んでいると、すぐに江ノ島に着いた。あわててしおりを挟んでホームにおりる。都電荒川線しかり、江ノ電しかり、路面電車での読書がこうもはかどるのはなぜだろう?
いよいよ楽しみにしていた江ノ島に降りると、明るい日の光が私の体を柔らかく包んだ──というわけではなく、ものすごい強風が私を吹き飛ばそうとしてきた。これまでに経験したことのないほどの強風である。体をいくらななめにしても倒れない、無重力状態のなかにいる私はさながらマイケル・ジャクソンのようである。駅前のファーストキッチンの硝子戸ががたがたうるさく音をたてている。天気はいいのに、海は大荒れ。でもこれも思い出に残っていいわ、なんて思いながらお目当てのカフェにたどり着いたが、な、なんと定休日。うわ、そうか、今日火曜日じゃん。大学生には曜日感覚がないのだ。定休日の可能性を少しも考えなかった、そしてネットで調べたのにまったく気が付かなかった自分の馬鹿さ加減に笑ってしまった。
まあいいや、時間はたっぷりある。海でも見に行こうか、と思ったけれど、あまりの強風と凍えるような寒さに断念した。とりあえず江ノ島には来たからそれでいいや、と小走りに江ノ電に向かった。帰り道は追い風で、勝手に足がはやくなる。
目をつけていた別のカフェは長谷にあるので、また鎌倉行きの江ノ電に乗り直した。よかったあ、1日乗車券買っておいて、とほっとして景色を見ながら江ノ電にゆられていると、住宅街がぬけ、突然目の前にきらきらとした海があらわれた。太陽の光が反射して、水面が輝いている。あまりの綺麗さに、自分がひとりだということも忘れ、わあ、という感嘆の声が漏れてしまった。
七里ヶ浜だ。
長谷の前にちょっと寄り道。考える間もなく電車から降りて七里ヶ浜へ向かった。相変わらず風がすごいし寒い。でも、電車からホームに降りたその瞬間から、さわやかな、少ししょっぱいような海のにおいがした。
久しぶりの海らしい海に、胸が躍る。勝手に足が走り出す。潮風がなびいて、髪に砂が絡まる。
目の前には、まぎれもない、海。叫びだしたくなるほど、海だ。広くて大きな海。
「すごい……」
呟きがもれる。横断歩道が青になるのを待つのすら待ち遠しい。はやく。はやく。海が見たい。もっと近くで海が見たい。
しばらく、海を眺めた。強風をさけるためにフードをかぶる。海が荒れていて、浜辺にはおりられないけれど、すぐ目の前は海だ。ごうごうと音をたてる波を見ていると、不思議な気持ちになってくる。目に砂が入るので、目をとじてひたすら波の音に耳をすませる。
ふと、私は自由なんだ、と思った。
いそがなくてもいい。こうして風の中につっ立っているだけでもいい。すべての感覚をとじて、自然の音だけに集中する。心が落ち着いていくのがわかる。それだけでもいい。だからって私に文句を言うやつなんて誰もいない。次の場所へ走っていく必要もない。
何時間でもここに立っていたいくらいだけれど、さすがに寒さと強風には耐えられないので、名残を惜しみつつも七里ヶ浜をあとにした。
長谷駅から、歩いて5分。海沿いにあるカフェに入った。ここで文章を書くことにする。
古いデザインの石油ストーブに、サーフィンのポスターに、木のぬくもりを感じさせる家具。窓際の席からは輝く水面と、真っ青な空が見える。道路を走る日本製の車やトラックが見えなければ、まるでアメリカ西海岸にいるみたい。
ロイヤルミルクティーを注文し、席に座ると、窓からさしこむ太陽の光が体をつつむ。とってもあたたかい。ちょっとまぶしいけれど。
テーブルをそっとなでると、窓のすきまから入ってきた砂が指につく。それもまた、なんだかいい。キーボードを打つ指も進む。
そうやって、穏やかな午後の数時間をすごした。
さて、朝食は遅めだったとはいえ、3時にもなるとさすがにおなかがすいてきた。それにまだ鎌倉らしいものを何も食べてない。やっぱりちゃんとしたしらすが食べたい。私は大のしらす好きなのだ。家でも納豆と一緒に食べるし、豆腐にまぜて食べるし、サラダにもかける。塩とレモンであえるとすごくおいしい。うちの冷蔵庫にはだいたいしらすがストックしてある。
そんな大のしらす好きとしてここはやはり本場の新鮮な生しらすを食べて帰らねば、ということで、カフェを出てしらす丼を食べにカフェとは反対側の道を行く。長谷には鎌倉大仏があるので、観光客も多く、活気があって歩いているだけで面白い。
「しらす丼いかがですか?漁師さんがその場で作りますのでおいしいですよー」
「生しらす」の文字を探して歩いていると、明るい美人なおかみさんに声をかけられた。
「生しらす丼、まだありますか?」
「すいません、今日は海が荒れてるので漁が出来なかったんですよ。どこも今日は生は無いと思います」
がーん。あのちょっと苦みがあるけど新鮮でぶりぶりした生しらすが食べたかった……。でもまああの強風じゃあ仕方がない。釜揚げしらすも大好きなのでそれで我慢することにした。
釜揚げしらす丼定食は、しらす丼と、玉こんにゃくと、しじみの味噌汁のセットだった。海の香りがする。たった今釜揚げされたばかりといった感じの大量のしらすは本当に味が濃い。やっぱりいつもスーパーの安売りで買うのとは違う気がする。ゆず胡椒と一緒に食べるとぴりっとしたほどよい辛さ。途中から生卵もご一緒に、と言われたので、贅沢にも程があるが、卵かけしらすごはんにすると味が変わって本当においしい。玉こんにゃくもおいしい。味噌汁もおいしい。ごはんもおいしい。一緒に出してくれたレモン水もおいしい。
おいしいものを食べた時はいつも思うけれど、本当においしいときって頭のなかでおいしいって連呼している気がする。「あー、おいしい。おいしいなあ。うーん、おいしい。おいしいなあ」みたいな。「おいしい」以外の雑念が消し飛ぶというか、無我の境地みたいなのに入っている感覚。修行する人は断食するとか言うけど、おいしいもの食べてたって煩悩を消せると思った。
おかみさんにすすめられた鎌倉ビールも飲みたくて仕方なかったけれど、がまんがまん。お酒は誰かと一緒の方がいい。
おなかを満たし、古都・鎌倉の雰囲気も楽しんだところで、また鎌倉駅へ戻って作業することにする。スターバックスでココアを注文。レジのお兄さんが「いらっしゃいませ、こんばんは……あっ、こんにちはでしたね、す、すいませんっ」と赤くなったのが面白かった。いつもすきがないように見えるスタバの店員さんの人間らしいところを見れると、得した気分になる。ココアパウダーをかけてさらに甘くしたあたたかいココアを飲みながら鎌倉の人々が通り過ぎるのをぼうっとながめる。空の色が変わっていくのがわかり、少しせつなくなってきた。ひとりになりたくて鎌倉まで来たのに、誰かと話したくなってきてしまった。
さて、そうこうしているうちに気が付けば6時である。ふと窓を見るともう外はすっかり夜の色だ。そろそろ宿に戻ろう。その前に、夕飯はどうしようか?
とはいってもさっきしらす丼を食べたばかりなのでそれほどお腹はすいていない。何かないかな、と鎌倉駅周辺をぷらぷらしていると、「腸詰屋」の文字が目に入った。
ちょう・づめ・や! ここは、今年のはじめ、初詣にきたときに立ち寄って、ものすごくおいしいソーセージを食べた場所である。種類がいろいろあって、プレーン、カレー、チョリソー、ハーブと好きな味を選べて、その場で肉屋さんが焼いてくれるのだ。
ボリュームも今のおなかのすき具合にちょうどいいし、ここで夕食をすませよう!ということで、辛いのが好きな私は迷わずチョリソーを選択した。粗挽きマスタードとケチャップをかけて、ふうふう冷ましてから食べる。
うまっ。本当にうまい。あーうまい。うまいよー。うまいうまいうまい……。
脳内はその言葉でいっぱいになる。やっぱりソーセージには「おいしい」よりも「うまい」という言葉が合う。あーうまい。本当にうまいなー。あっという間にぺろりとたいらげた。もう一本でも余裕で食べられるが、やめておこう。
外はもうどっぷりと暗い色に変わった。吐く息が白い。
寒いなあ。
もう冬だ。
「あ、おかえりなさい」
宿に戻ると、しばらくこのドミトリーに泊まっているのだという女性がラウンジのこたつに入って夕食を食べていた。私もこたつに入って冷えた体を温め、途中で買ったハーゲンダッツを食べる。
「ハーゲンダッツ? リッチですねえ」とその女性につっこまれた。
「いやあ、ついこないだ給料日だったので、奮発しちゃおうかなと」
「あら、大学生ってもっと節約してるイメージだったけど。私なんて下のスーパーで半額になってたおはぎですよ」と彼女はくろごまのついたおはぎを取り出した。
「うわーおいしそう!」と思わず正直な声が漏れてしまった。
「あ、じゃあ2つあるんでひとつ食べます?」
というわけで、すでにハーゲンダッツクリスピーサンドスイートポテト味を食べていたにもかかわらず、さらにおはぎをいただいた。もう太るとか知らない。なにせこれは一人旅なのだ。咎める人なんて誰もいない。
「でもねえ、あなた女の子なのに、夜にアイスとおはぎなんか食べたら太るとか気にしないの?」
あ、やっぱり目の前にひとりいた。今日は特別なんです! と咎める彼女に言い訳をする。
しかし旅先にこうして、こたつでだらだらしながら、昨日知り合ったばかりの人とゆっくり話すというのはとても楽しいものである。普段よりも随分饒舌になる。どこから来たのかとか何しに来たのかとか、普段はどんなことをしているとか話していると、あっという間に時間が過ぎる。
ふいに、「あなた全然人見知りしないのね。人懐っこいというか」と彼女に言われ、びっくりしてしまう。私は元来ものすごく人見知りするタイプなのだ。正直、はじめて会う人と話すときは内心かなり緊張するし、何を話そうかいろいろ考えてしまう。そのせいで大学に入学した時もなかなか友達ができなかったし、サークルにも緊張して勇気が出なくて行けなかったことも多い。そのせいでよく「クール」とか「冷めてる」とか勘違いされるのだけれど、内心では人と仲良くしたくて仕方ないのだ。
でも、大学に入って、留学して、就活して……。いろんな人と出会って、話すようになって。人と価値観を交換する楽しさを知った。
今緊張しているにせよ、初対面の彼女と素直に会話を楽しめているということは、少しは成長できたのかなあ。
やっぱり、旅はいい。客観的に自分を見直すことができるし、偽りのない自分でいられる。
「人見知り、してるんですよ、本当は」
うふふ、と笑いながら、温かいコーヒーを飲む。そうやって、鎌倉の夜はふけていった。
午前5時20分。
控えめな目覚ましの音で、私は目をさました。
横のベッドで寝ている彼女を起こさないように、そっと身支度を整える。
「短い間でしたが、とても楽しかったです。おはぎごちそうさまでした!」
おそらくもう二度と会わないであろう彼女宛に、ノートの切れ端に手紙をそえて、宿を出た。
宿を出ると空はまだ薄暗いけれど、鳥が鳴いて朝の訪れをつげていた。パソコンと着替えとタオルが全部つまった重いリュックを背負い、小走りで駅に向かう。急がないと間に合わない。
ぎりぎりのところでがら空きの江ノ電にすべりこみ、シートに腰をおろす。これも見納めとだんだん白み始めた空を見ながら、目的地に着くのを待つ。
6駅というのは案外あっという間で、細かく震える手をこすりながら、駅員以外は誰もいないしいんとしたそのホームに降り立った。
「うわあ……」
昨日見たばかりだというのに、また一目見ただけで、ため息が漏れた。
七里ヶ浜は、朝もきれい。とてもきれい。
幸いにも昨日よりも風が弱く、私は念願かなって砂浜にを踏みしめることが出来た。砂をふみしめると、さら、さら、と気持ちのいい音がする。コートのフードをかぶり、一面の海を見渡す。
もうすぐだ。
右を見ると、雲が少ないおかげで、くっきりと富士山が見えた。灰色だった空が、だんたんと黄色や桃色の光をまとってくるのがわかる。水面にうつる色もかわっていく。波の音だけがきこえてくる。世界に自分しかいないような気分になってくる。
私は階段に腰をおろし、そのときがくるのを待った。
午前6時33分。
海の向こうから、きらきらしたまっすぐな明るい光が、太陽が、新しい朝がやってきた。海にひとすじ、オレンジの光の道ができる。暗かった街がどんどん明るくなっていく。涙が出そうなほどきれいなその光景に、私はただ圧倒されていた。
ゆっくりと朝日を見たのは、いつぶりだろうか。思い出せない。
いつもせわしなく動いていた。朝の時間を楽しむ間もなく急いで支度をして、家を飛び出し、人混みに押しつぶされながらバスに乗り、電車に乗り、気が付けば夜になり、急いで家に帰って寝る。その繰り返し。忙しくもない生活を、自分の心のゆとりのなさがゆえに、せかせかと過ごした。そうしているうちに、もう12月だ。ゆっくり自分と向き合う時間も、季節の移り変わりを楽しむ時間も、こうして朝日をあびる時間も無かった。
こんなにも贅沢な時間を、私はいつも、自ら逃していたなんて。
もっと頑張りたい。
時間を無駄にしたくない。
幸せになりたい。
次から次へと欲求があふれてきては焦る。あれもしなきゃ。これもしなきゃ。もっとやらなくちゃ。ああもう、時間が無い。
そうして焦る気持ちのせいで、かえって幸せから私自身を遠ざけてきてしまったのかもしれない。私を幸せに出来るのは、この私しかいないのに。
うん、大丈夫だ、と思った。そんなに急がなくても大丈夫。もっと自分の事を大切にしよう。
東京につくと、あいかわらずの人混みだった。一気に現実に戻ってきたような気分。ディズニーランドに行ってきたわけじゃあるまいし、とも思うけれど、鎌倉にはどこかしらそういう、別の世界のような魅力がある。鎌倉というよりも、旅そのものに、人を別世界へ連れて行ってくれる力があるのだろうけど。
混雑する山手線では、このリュックは邪魔になる。体の前に持ち、つり革をつかんで窓の外を見る。
看板。ビル。看板。看板。看板。ビル。ビル。看板……。
見慣れた退屈な景色だ。どれだけ行っても海は見えない。電車の中はいろんな人間のにおいで充満しているし、誰もかれもが不機嫌そうな顔をしている。ああ、現実だ。鎌倉に戻りたい、なんて一瞬思う。
でもこれが私の住む場所だ。生活する場所だ。私の居場所はここなんだ。
そうやって自分自身を確認する。私が存在することをちゃんと確認できる。未来への漠然とした不安は、少し薄くなっていた。人が無性に旅に出たくなるのは、そうやって自分を確かめたくなるときなのかもしれない、とふと思った。
こうやってちょっとずつでもいいから、自分を確かめながら進んでいけば、妄想する理想の自分にいつかはたどり着けるのかもしれない。「いつか」でもいいんだ、とりあえずは。
それでいいや。
よし、と人混みをかきわけてホームにおり、リュックを背負い直し、乱れた髪を手ぐしで直す。
少しきしむ髪の毛からほのかに、塩辛いような海の香りがした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?