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【日記】なぜ大人になってからの勉強のほうが楽しいのか?「どういうこと?」と「そうだったのか!」のバランス


 取材ってなんでこんなに面白いんだろうと、今日あらためて考えてみた。
 今日もすばらしいお話をきくことができた。「なるほど、そういうことだったのか!」の連続で、メモをとる手が追いつかないくらいだった。
 大人になってからの勉強が、たまらなく楽しい。学生時代とはえらい違いだ。昔は、勉強しないと進学できないから勉強していただけであって、とくに「勉強が楽しい」という感覚はなかった。どうしてこうも「面白い」と感じるようになったのだろう。
 この問いについては以前からいろいろと考えをめぐらせてはいるのだけれど、今日また、一つ新しい仮説を思いついた。「どういうこと?」と「そういうことだったのか!」のバランスがちょうどよくなってきたからではないか、ということだ。
 たとえば、ミステリードラマなんかを観ていると、犯人は誰だとか、凶器はなんだとか、事件の黒幕はとか、いろいろな謎が出てくる。頭の中は「どういうこと?」の連続である。面白いストーリーというのは、だいたい、謎が謎を呼ぶ仕掛けになっていて、「どういうこと?」→「そういうことだったのか!」→「だったらこれはどういうこと?」という具合に、「謎がとけた」というスッキリ感と、「気になる謎がまた出てきた」というモヤモヤ感のバランスがちょうどいいのだ。
 勉強の面白さも、これと似ているんじゃないかと思った。
 子どものころは、知識が少ないので毎日「どういうこと?」だらけだ。大人たちがニュース番組を見ながら憤っている理由がわからなくて、もやもやする。学校の授業でも、なぜこれを学ばなくてはいけないのかわからなくてもやもやする。「そういうことだったのか!」よりも「どういうこと?」の割合が圧倒的に高いので、総合すると「勉強はつまらない」という印象になってしまう。
 ところが大人になると、「どういうこと?」の膨大な蓄積が活きてくるわけだ。過去に抱いていた謎が解き明かされる、伏線回収の瞬間が一気にやってくる。「大人たちが言っていたのはこういうことだったのか!」「だからこうなっていたのか!」の連続である。「そうだったのか!」のスッキリ感の割合が高くなると、今度は「だったらこれはどういうこと?」と、自分で思いついた新しい謎へ取り掛かる意欲も出てくる。このループに入ると、勉強は完全に「面白いもの」に変わる。
 正直な話、私は大学生のときもわからないことだらけで、論文を書くのもしんどかったし、教科書もあまり読みたくなかった。好き勝手に読書するほうがよかった。でも20代後半になったあたりからは、比較的どんなジャンルのことでも面白いと思えるようになった。おそらく、「どういうこと?」と「そうだったのか!」が6対4くらいになってきたのだろう。あるいは「そうだったのか!」とスッキリ感を得るポイントの探し方がうまくなったのかもしれない。
 勉強をエンタメとして楽しめるようになるのは、歳を重ねることの幸福の一つだな、と思う。「そうだったのか!」の回数を増やすためにもまた「どういうこと?」のストックを増やしていかなければと、そんなことを思った。




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