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旅はセレンディピティでできている?

どうも!「千夜特急」という小説を書いている川島です!

最近また少しずつ、旅をする人が増えてきたような感覚がある。とは言っても、「僕は私は旅人です」と面と向かって言われたわけではないから、それはそれで肌感のようなものなのだろう。

そんなわけで、今日は旅について思うことを少し綴っていこうと思う。



さすらいの旅人


セレンディピティとは

旅について調べていると、たまにこの言葉に出会うことがある。
そしてこういう言葉に出会う人たちは、目的地や旅ルートといったものではなく、旅そのものについて調べている場合が多いと思う。

まず簡単に言うとセレンディピティとは

幸運な偶然を引き寄せる力。といろんな場所で言われている。

もともとはイギリスの小説家が書いた「セレンディップと三人の王子」という話から作られた言葉のようで、三人の王子がイギリスからスリランカに向かう旅をする中で、様々な幸運と出会うことからつけられたものだという。



そういう僕が一番最初にこの言葉を目にしたのは、とある写真家さんのサイトを見ているときだった。

インドを十周もバイクで旅をしたという三井昌志(みついまさし)さん。
この方の写真を見ると、本当に写真を撮られる人たちがとてもいい顔をしているのだ。(少なくとも僕はそう感じている)

そんな三井さんのたびそらというサイトの旅行記にはセレンディピティのことが面白い表現で書かれていた。


”探し物とは違うものが見つかる”ことがポイント。だそうだ。


自分探しの旅とはいうが、自分じゃないものが見つかる。

目的を持った旅をしていて、別の何かに気が付く。

そんな小さなバタフライエフェクトの連続が、まさかの想像もしないものにたどり着く。なんかロマンがあってかっこいいじゃないですか笑



無邪気な気持ちって大切だよね


セレンディピティを起こす人たちの特徴


旅で出会った人も含め、自分の身の回りにもそういう人が何人かいるが、彼らは総じて

全ての物事に対する際、とてもフラットにとらえている。


彼らも人間なため、調子がいいときや悪いとき、感情の上がり下がり、予定通りにいかないことが多々ある。

しかしそんな時、

彼らは己の感情を尊重しながらも

その現実にとらわれることはない。


ゆえに、誰かを責めることや
無理に何かを誇示して己を証明することはない。

それはとても単純化されているが、とても自然なもので、それが無意識的なものとして状態化されている。


その姿勢は緩いというよりは、緩やかなもので。

とても自然にできているから、周りにいても居心地がいいもので。

そして無理に幸運を引き寄せてやろうとかも思ってなくて、

幸運は普通に訪れるけど、別に訪れなくても気にしないよ。みたいな不思議な確信みたいなものをみんな持ってる気がする。


だから、旅の話に戻るけど、

旅はやっぱりセレンディピティでできているってことかな。


出会う人たちにも自分にもリスペクトを持って丁寧にしていると、
なんとなくそういう人が寄ってくる。

僕も実際インドで旅をしてた時に、とてつもなく色んなものに助けられて、なんかインドを旅したこと以上に、旅をさせてもらった感が強かったかな。


そんな風に旅をする人が増えて、みんなが互いを尊重できる世界になればいいなとか思いながら文字を終わろうかな。

あ、あと旅と文字に興味ある人は「千夜特急」って小説もおすすめ。

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次は何を書こうかな。

小説のこととか、旅のこととか、それとも自分の宗教のこととか?

気分のままに書いてみるね~bではでは、しーゆーすーん!



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