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「メンやば本かじり」言葉の弾丸から逃れる編

 精神が抉られる──。

 そんな経験をしたことがある人は、けっして少なくないだろう。

 そしてそれは、たいてい人からの悪意ある言葉が起因となる。

 毎日、毎日、相手はこちらのダメージを知ってか知らずか、罵詈讒謗を薬莢にねじ込み、乱射し続ける。

 こんなとき、ふと映画『愛のむきだし』に出てくる「透明の戦争」という台詞を思い出す。最低な父親に育てられたヨーコは、幼さゆえに抵抗できなかった自分のために、戦う。だが、彼女は知っている。戦っているのは、自分だけではないことを。

何か聞こえる。この世界のノイズ。
見えない弾がいつもどこにいても飛んでいる。
いつだって戦争が起きている。
透明な戦争。

『愛のむきだし』※漢字は川勢によるもの

 私が誰かの言葉の弾丸を受けているとき、この世界には私に向けられた弾丸だけが存在するわけではない。

 この世界では、無数の弾丸が飛び交っているのだ。

 それは、私が受け損ねた弾であり、私とは無関係の弾であり、そしてあなたに当たってしまう弾かもしれない。

 言葉の弾丸を「人」として受け止めてしまうと、「なぜそんな酷いことを言うのだろう」と、そのまま弾丸を避けずにいてしまう。

 だが、実際に弾が飛んできたら? 間違いなく、逃げる方法を考えるだろう。

 そして攻撃が止むことなければ、避難する場を見つけるのが先だ。

 そう、メンタルが抉られたときは、シェルターが必要なのだ。

 歪で五月蝿い弾丸が、飛んでくることのないシェルター。

 私は驚くほど静謐な世界を持つ、シェルター代わりの本を知っている。

 なんてことを言うと、「そんなの、ただの現実逃避じゃないか。現実と向き合わなきゃ駄目だ」と嗜めてくる人もいるだろう。

 ただ、想像してみてほしい。

 戦火から逃れるために、地下のシェルターに命からがら踏み入れようとした人に対して

「銃撃戦が地上で起きているから、逃げてきただって? 駄目だ。現状を受け止めてこい。さあ戻るんだ」

 なんて言ってくる人がいたら、どうだろう。

 私なら、「おやそうかい。なら、その現実とやらを、あなたは思う存分体験してください。私は逃げますね。んじゃっ」と、サボテンダー(ファイナルファンタジー)よろしく、さっと片手をあげ、シェルター内に入り込みますよ。

 そりゃ、そうやろ。

 なんでやねん、逃げるなとか。

「危なくなったら逃げろ」と言う人間の方が、百倍信用できるわ。

 そんなわけで、今日紹介したい一節は、私のシェルター。静謐なる空間を与えてくれる小説だ。

この海に浮かぶ道路は、いったいどうやって造ったのでしょう。(…)波に揺さぶられることもなく、建物がみんなちゃんと建っているのはどうして? そこにまったくのひとりぼっちで暮らす、十二歳くらいの少女。海水のなかの道を、ふつうの地面みたいに、すたすたと木靴で歩いてゆくこの少女は、いったい?

『海に住む少女』(光文社古典新訳文庫)シュペルヴィエル 著 永田千奈 訳

少女はこの世に、自分以外にも女の子がいるなんて知りませんでした。いえ、そもそも自分が少女であることすら、知っていたのでしょうか。 

同上

 町に浮かぶ町の中で、たったひとりきりの少女。誰もいない町で少女は、ランプの明かりで縫い物をしたり、植物図鑑の序文を読み上げたり、そして手紙を書いて、海に投げることも──。

 この『海に住む少女』を読んでいると、次第に周囲の音が波の音にかき消され、いつしかその波の音すら忘れてしまう。

船が近づくと、まだ地平線にその姿が見えないうちから、少女はとても眠たくなって、町はまるごと波の下に消えてしまいます。だから船乗りたちは、(…)町があるなんて考えたことさえないのです。

同上

 波は外界から守るように町を包み、ここにあるのは灰色の輝く瞳をした少女、ただ一人。

灰色の瞳に動かされているようなこの少女の存在に気づいたとき、あなたは時間の底から大きな驚きが湧き上がり、身体をつらぬき、魂にまで届くのを感じることでしょう。

同上

 すべてを、時間も音も全てを消し去ったその先にある場所でだけ、会える少女。

 音は──もう消えただろうか。

 なんて、私の拙い文章だけではきっと無理な話だろう。

 どうか、雑音が消えた場所へ。シュペルヴィエルの『海に住む少女』と共に。


■書籍データ
『海に住む少女』(光文社古典新訳文庫)シュペルヴィエル 著 永田千奈 訳

難易度★★☆☆☆ 生きていたらきっといいことがある、なんて軽い言葉はここにはない。フレンチブルーな短編集。

本書に収録されている作品は、どれもハッピーエンドとは思えない。ただ、精神的に苦しいとき、救いや、擬似幸福を求めているばかりではないだろう。仄暗い、でも、そこで考えることをやめず、葛藤する人がいる。そんな短編集だ。

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