見出し画像

生命力小説

「見て見て! おっぱい!ー>(.Y.)」

 『火星の人』アンディ・ウィアー 著 小野田和子 訳

 突然こんな引用からスタートすると、自分でも精神状態が心配になる。大丈夫か、私よ。

 もちろん答えは最悪、だ。

 こういう時、救いを本へ求める。人に求めたら迷惑になるだけだからね。

 だが、ここで一番大事なのが小説のチョイスだ。間違ってもブラッドベリの『万華鏡』なんて読んじゃ駄目。石井光太氏の『砂漠の影絵』も。今日じゃない、また今度。

 人の力強さを感じられる作品がいい。生命力が強い登場人物が出てくる小説。

 ただしその生命力が、支配欲でも、復讐心でも、反骨心から湧き上がるものではなく、ただひたすら自分と向き合うことで生まれたものが好ましい。

その点で言えば『火星の人』の主人公、ワトニーはかなり最強の人物だ。

 彼は火星探査のミッション中に、嵐に遭遇する。嵐によって吹き飛ばされた彼を、仲間は死んだものと思い込み、宇宙船で火星から離脱してしまう。ひとり火星に取り残されたワトニー。次のミッションで宇宙飛行士たちが地球から火星へ到着するまでに、ワトニーの食料は尽きてしまう。

 だが、彼は諦めない。

 なんと感謝祭用のジャガイモをハブの中で栽培するのだ。

 さらに、嵐のせいで地球との交信用アンテナが壊れてしまっていたが、ローバーを改造し、火星砂漠を三ニ〇〇キロも移動し、骨董品のパスファインダーを起動させる。NASAへ自分の画像を送ろうという訳だ。「ぼくは生きているぞ!」この言葉を伝えるために。

 さらに彼はローバーをハッキングして、NASAとの通信を可能にした。その時送った文字が冒頭の引用文である。

 なんて諦めの悪い(めちゃくちゃ褒めてます)、強靭な精神力の持ち主。

 自分と向き合い、ポジティブな結論に至るのはワトニーだけでなく劉慈欣氏短編集『老神介護』に掲載されている「彼女の眼を連れて」に登場する「彼女」もそうだ。

 「彼女の眼を連れて」は恋人の眼球を持ち歩くホラー小説、ではない。センサーグラスと呼ばれる眼鏡をかけると、見たものすべてが高周波の無線シグナルで送信され、同じようにセンサーグラスをかけている遠方の人に届くのだ。つまり、私が自宅でセンサーグラスをかけ、リンクするセンサーグラスを持った相手がハワイで観光をしたとしたら、私も自宅に居ながらハワイの景色が楽しめるというもの。

 彼女が行きたがった場所は。
 その眼に焼き付けておきたかったものは──。

 これは『火星の人』とは違い、紅涙を絞る作品だけど。

 最後は「彼女の眼を連れて」からの引用で。

ぼくは金色の陽光と銀色の月光が、この星の中心を照らすのを想像した。彼女がハミングする『月の光』が聞こえてきた。そして、あのやわらかな声も。「……どんなに美しいかしら。もう一つの音楽よ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?