見出し画像

『デリバリールーム』(講談社)西尾維新 著

 今日は『物語』シリーズや『掟上今日子の備忘録』などで有名な、西尾維新さんによる『デリバリールーム』の感想である。

 タイトル通り、デリバリールーム、つまり分娩室の、妊婦の話だ。

 と言うと、妊婦さんが共感できるような妊娠から出産までの物語を想像する人もいるかもしれないが、正直全く違う。いや、全くは違わないかもしれない。とにかくこの物語は、何もかもがイレギュラーであることは間違いない。

 ちょっと『デリバリールーム』を読む前に心理テストをさせて貰いたい。

 あなたは「ドクタースミス問題」を知っているだろうか。

 ご存知の方はサラッとスルーでお願いしたい。あ、あと、私は学生時代に心理の教授から聞いただけなので、実際の問題とは異なるだろうがそこら辺もご勘弁を。


ドクタースミスは非常に有能な外科医である。普通の医師ならば匙を投げるケースでも、スミスは幾度もオペを成功させてきた。そんな才能を持っていながら、自分の技術に酔うことなく研究熱心であり、そして患者や看護師達への気配りも出来る非の打ち所がない人物だ。ある日、スミスのもとに急患が運ばれてくる。交通事故を起こし、運転手だった父親は即死。助手席に乗っていた息子は重体だ。だが、早速オペ室に入ったスミスは、手術台に乗せられた少年を見て驚愕する。「これは私の息子じゃないか!!」

 これは一体どういうことだろう──。

 因みにドクタースミスは、事故も起こしていないし、幽霊でもない。



 この心理テストは、あなたがステレオタイプか否かを判断するものである。ステレオタイプでない人なら「なんだ? この問題?」とすんなり答えが出すぎて逆に意味が分からなくなるかもしれない。

 つまり、こうだ。「外科医」と「研究」という言葉から男性をイメージする人は、父親は即死した筈なのに何故スミスは「私の息子」だなんて言ったのだと混乱してしまうという事である。そう、答えは、スミスは女性であり、亡くなったのは彼女の夫。よって重体の少年が自分の息子であることに何らおかしな点は無い、となる。

 さてさて、『デリバリールーム』の感想を書く前に何故にこんな話をしたのかというと、

「妊婦とはこうだ」とか、「こんな妊婦は可哀想だ」とか、「幸せな出産はこうあるべきだ」とか、そういったステレオタイプな思想は完全にどこかに置いておいてから読んだ方が、私はこの作品を受け止め易かったからである。

 なにせ物語の主人公、儘宮 宮子(ままみや みやこ)は中学三年生であり、妊娠六ヶ月だ。

 そんな宮子のもとへある招待状が届く。

本状は新しい生命を授かった特別な女性達の中から、更に厳選された方々へと送られる、理想郷・デリバリールームへの入室案内となります。選ばれた素晴らしい入室者の皆様には、幸せで安全な出産と、愛らしいお子様の輝かしい将来が約束される未曾有のチャンスを進呈いたします。

 いかにも詐欺っぽい招待状だが、実際ソーシャルメディア内でもデリバリールームに関する様々な噂が飛び交っていた。高級ホテルや遊園地を貸し切り、妊婦を集めてゲームをしているらしい。その内容が、デスゲームだとかなんとか……。しかし、所詮は噂であり、実態は参加してみないことには分からない。

 とは言え、こんな胡乱な招待状に飛び付くのは、退っ引きならない理由が無い限りあり得ないだろう。しかし、宮子は飛び付く。要するに、彼女はデリバリールームに参加する以外の選択肢がない状態だという訳だ。彼女を、そしてお腹の子を守るためには──。

 そうして、デリバリールームを運営する甘藍社(かんらんしゃ)が寄越した車に乗った宮子が辿り着いた先は、なんと廃病院だった!

 しかも、幸せで安全な出産を手に入れるために、己の知力と体力を振り絞って妊婦同士で戦えという。

 さて、この時点で、中学生の妊婦が主人公の小説にちょっと苦手な意識を持つ人もいるかもしれない。しかも、妊婦同士のバトル。

 ただ、これはあくまでも小説で、エンターテイメント作品だ。何でも真面目に考え過ぎてはいけない。と、私は言い切れない部分もある。だが、この物語がどこまでいってもフィクションであることは事実だ。

 フィクションであり、これはあくまでも儘宮 宮子の物語であり、本書は彼女のための舞台なのだ。

 例えば、映画『マーズ・アタック!』を見て、「火星人は存在しない」とか「人々があんな風にされる作品なんて……」と言ってしまえば、もうそこで話が終わるように、この『デリバリールーム』もそういうことは抜きにして読むことをおすすめしたいのである。

 それにしても、ここまで妊娠に関する言葉を調べた西尾さんの探究心はすごいとしか言いようがない。私は、ドゥーラという存在を知らなかったし、葉酸が含まれている野菜を三つも答えられないし、二〇一〇年の日本の出生率も知らない。「あなたが特別無知なんですよ」と言われたらそれまでだが。

 正直、男性である西尾さんが妊婦を経験することは現状ほぼ不可能であり、実際本書でもそこに関してリアリティーを出そうとはしていない。ただ経験談は書けない代わりに、言葉と知識で補っており、その補い方は妊婦に取り憑かれていると言っても過言でないレベルだと私は思った。

 たまには舞台を見るように、小説を読んでみるのはどうだろう。宮子が向かう先は、果たして本当にデスゲーム会場なのか、彼女なりの幸福なる出産場所なのか。今夜『デリバリールーム』を読んで、この突き抜けた想像力の舞台を楽しんでみるのはどうだろう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?