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『浮遊』遠野遥 著

 ちょっと、質問させてくださいな。
 
 人間、幽霊、悪霊、マネキン。さて、このなかで存在しているのはどれ?

 この問題の答えは、人それぞれかもしれない。私の答えは、「すべて」だ。

 人間と、人間がつくったマネキンは存在する。私は、霊感がないが、霊感があるという人の話や、小説内に登場する存在としての霊を知っている。悪霊もこれに同じ。ちなみに、確認をしたことがないのに、存在するとは言えないだろうと思うかもしれない。ただ、霊とは悪霊とはなにかと自分の中で問いかけ、そして(それが正解かはさておき)その答えを持っている。その時点で、もう存在がないとは言えなくなってしまう。

 これはちょうど、それまで知らなかったレプラコーンというアイルランドに伝承される妖精──『ハリーポッター』にも登場した魔法が使える小人。金貨の入った壺を隠し持っているといわれている──の話を聞いたあと、私の中でレプラコーンという妖精の存在が生まれるのと同じだ。

 だからどうした、と言われそうなのでそろそろ本題に入ることにしよう。

 今回は、存在することと、しないことの線引きが曖昧な世界が書かれた小説『浮遊』の感想文を書かせてもらいたい。

 作者は遠野遥さんだ。彼の今までの作品を読んだことがある方はご存知だろうが、どれも性的な表現が含まれている。だが、今回は性的表現は皆無だ。それとなく匂わせる場面はあるが、行為については書かれていない。そういう意味では新鮮だし、遠野さんの世界がそれらの描写がなくとも薄れることは一切ないということを証明した傑作だと私は思う。

 むしろ、濃厚だ。

 『浮遊』に登場するのは、女子高生のふうか、彼女の恋人である碧(あお)くん、そして彼の以前の恋人 紗季(さき)さんと彼女がつくったマネキンだ。これがふうかを取り巻く世界の主要な登場人物。

 この『浮遊』にはもう一つの世界が。それは、ふうかが遊ぶホラーゲーム『浮遊』の世界だ。ゲームでは、記憶を失った少女、それから黒田という中年男性、あとは悪霊たちが出てくる。

 ふうかが暮らす現実世界と、ふうかの視点を通して眺めるゲームの世界。この二つの世界から、存在とはなにかについて考えさせられる作品、それが『浮遊』──と私は思ったのだけど、みなさんはこの小説にどんな感想をもったのだろう。

 主人公のふうかは高校一年生。彼女は実家を離れ、恋人のマンションで暮らしている。買い物は、父親か彼氏である碧くんのクレジットカードで済ませている。
 クレジットカードを渡してくる彼氏(親もだが)!! 

 衝撃だ(汗)

 当然、彼は経済的にかなり余裕のある人物となる。そう、彼はアプリを作る会社のC E Oだ。なので、ふうかが買い物に困ることない。いや、買い物だけではない。

 食事も彼がつくるか、料理代行サービスを利用している。

朝は碧くんに起こしてもらい、寝ぼけながらダイニングテーブルにつく。そして碧くんがたまごベーコンやスープなどの簡単な朝食を並べてくれるのを待つ。

昨日はお料理代行サービスの人が来てくれたから、冷蔵庫にごはんがたくさん入っている。お料理代行サービスの人は大量に作り置きをしてくれるし、味の好みも聞いてくれる。お店と違っていつでも好きなときに食べられるから、つい食べすぎてしまう。

※太字は川勢によるもの

 料理が好きではない人にとっては「なんと理想的な環境だ!」となるのだろうか。

 ちなみに、太字部分の理由はのちほど。

 ただ、料理代行の人や、近所の人に彼女の存在を知られないようにと彼氏は気をつけている。

一緒に家を出ると変な噂をする人がいるからと、碧くんは私が学校に行ってからジムに出かける。

毎日ごはんを作ってもらっているのに、お料理代行サービスの人と会ったことは一度もない。碧くんは、私が学校に行っている時間にお料理代行サービスの人が来るように手配している。一度、何かの理由で私が家にいる時に来たことがあったが、その時は寝室にこもって姿を見られないようにした。私がこの家にいることがわかれば、厄介なことになりかねないからだ。

 料理代行サービスがどれくらいの料金か知らないので、さらっとネットで調べたところ、だいたい一時間二千五百円くらいらしい。最低利用時間が三時間らしいので、最低でも七千円プラス材料費となるのだろう。す、すげーな。私の節約ごはんでは考えられない金額だ。
 
 さて、そんなセレブな彼は、ソファまで設置された広いエントランスのある高級マンションで暮らしている。ふうかは彼の部屋に、以前の恋人である紗季と入れ替わりで住むようになった。

 彼氏である碧くんは、ふうかの父親と同じくらいの年齢だ。そして紗季はふうかより十歳くらい年上で、彼より十歳くらい下だという。ふうかは一五歳(途中で誕生日を迎えるので一六歳になるが)なので、紗季は二五前後、つまり彼氏は三五歳くらいだろうか。ふうかとは二十歳ほど離れていることになる。

「愛に年齢差は関係ない」という言葉があるが、彼はそうでもないらしい。

私が手を洗ったかどうかを碧くんはいつも気にする。手を洗い忘れたことなどないのに、いつもいつも確認されるのはちょっと嫌だった。いつだったか私がそう言ったとき、碧くんはごめんと謝り、でもふうかちゃんくらいの年齢の子はちゃんと手を洗っているイメージがないと言った。

 自分の恋人も、彼女と同じくらいの年齢の子も十把一絡げだ。

 ええー。なんだかひどいな。

 神経質な一五歳もいれば、手洗いを気にしない一五歳もいるだろうに。

 ちなみに、私はまったく神経質ではない。だが、以前働いていた会社の同僚には、洋服から鞄、靴に至るまですべて塩素系漂白剤を使用しないと気が済まない人がいた。なので、彼が身につけるものはすべて真っ白だった。ちなみに、漂白剤による肌荒れで全身が痛いらしいが、それでも白くないと耐えられないそうだ。彼にはきっと、私が汚物かなにかに見えていたことだろう、すまん。

 こんなふうに、同じ年齢でも、いろんな人がいる。当然だろう。

 さ、話を戻して。

 彼女を「これくらいの年齢の子」というカテゴリーに押し込めている彼だが、心無いわけではない。ふうかの期末テスト最終日にはケーキを買ってきたり、プレゼントも勝手に決めるのではなく、何が欲しいか意見を聞き、可能な限り希望に応えるなど、寄り添う姿勢はある。さらに、ふうかがゲームをするとき部屋が暗いほうが好むことを知っており、仕事の電話中でも証明を落として、ゲームに集中できるように物音をたてないようにまでする。

 うーん、ここまで気遣いをされたら恐縮してしまいそうだ。

 彼がつくってくれた最高の環境で、ふうかは『浮遊』というゲームの世界へ没入する。ふうかが座るソファのすぐそばには、元恋人である紗季がつくったマネキンが飾られている。紗季は、有名な若手のアーティストだ。

部屋が暗くなると、ソファの隣に置かれたマネキンの存在感が増した。ワンピースを着た百七十センチ近くある女性のマネキンは、ソファの背もたれに手をかけ、のっぺらぼうの顔で私を見下ろしていた。部屋の中にこれほど大きいマネキンがあるのはもちろんん不気味だった。

 こえーよ。めっちゃ怖いやん、この部屋。

 そもそもホラーゲームなんかしなくても、部屋を暗くしただけで、この部屋自体がホラーやん。

 だが、ふうかは不気味だと思いつつも、元恋人の作品を拒絶まではしていない。これは、紗季を受け入れているというよりは、彼が元恋人の許可なしに勝手に作品を処分できないと言ってきたので、その気持ちを受け入れているのだろう。

 明るい部屋ですら『バイオハザード』をプレイできなかった私には到底不可能な環境で、ふうかはゲームをはじめる。

 ゲームは、無数の目が画面いっぱいに広がるところからはじまる。ふくろうだ。天井や壁を覆い尽くすほどのふくろうの剥製が飾られた部屋。その部屋のなかに、ダッフルコート姿の少女が立っている。年齢はふうかと同じくらいのようだ。彼女の首元にはマフラーが巻かれていた。少女は、なぜ自分がこの部屋にいるのか、そもそも自分がなにものなのか分かっていないらしい。どうやら記憶喪失という設定のようだ。

 閉館時間というアナウンスが流れ、少女は建物の外に出る。どうやらそこは美術館のようだ。そして、その美術館はふうかが小学生のときに両親と訪れた美術館と同じだった。

 自分とよく似た登場人物を作品のなかに見つけたとき、私は、あまりの辛さに作品を拒むか、あるいは多少美化して没入するか、どちらかである。

 ふうかは単純にゲームを攻略いたいという達成感のためなのか、自分と重なる部分に愛着をもったのか。彼氏からハンバーグが乗った皿を顔の前で差し出されたとき、悲鳴をあげそうになるほどのめり込んでいた。

 ゲーム内の少女は、自分が何者なのか、どこに帰ればいいのか分からず、きっと頭を打ったせいで記憶喪失になったのだと結論づけ、病院を目指そうと言う。ふうかは記憶がないなら警察に行くべきだと思いつつも、少女に従い、彼女を病院へと操作する。

 ゲーム内の設定時刻は二十二時を過ぎている。しかし、病院は救急搬送された人や夜間外来の患者の対応で忙しくそうだ。少女が受付の人や看護師に声をかけるが、その存在は無視されてしまう。誰も彼女の存在を気にしてくれず、言葉に耳を傾けてくれない。少女は病院内へと入っていき、そこでようやく彼女を認識してくれる医師と出会う。

「どうしましたか」
 突然声が聞こえ、思わず息を呑んだ。イヤホンをつけていると、まるで自分のすぐ後ろに誰かがいるかのようだ。テレビの中の彼女も短く悲鳴を上げた。彼女が振り向く。すぐ近くに、白衣を着た年配の男性が立っていた。

 正直に告白しよう。ビビりな私は、この部分で手汗がダラダラだった。

「私はホラー小説を読むつもりではないのに!」

 なので、この後に入る白衣の男性の描写にかなりホッとした。え、なにそれってちょっと笑ってしまう内容だ。ぜひ、本書で確認して欲しい。

 ゲーム内の少女は、病院内で悪霊に襲われる。悪霊から逃げる途中、少女はある中年男性に助けられる。彼も少女と同じく自分の記憶がないという。そして、自身も、少女もすでに亡くなっていると伝えてくる。

 ゲームのなかの少女は、自分が幽霊であることを知る。

 一方ふうかは、小学生の頃に負った怪我の跡が大きくなっているような気がして、不安になり、病院へ行く。彼女が訪れた病院もまた、ゲーム内の病院のように混雑していた。予約時間より二時間近くも待たされると受付の女性から聞き、ふうかは院内のレストランで時間を潰すことにした。

 ランチを食べていると、隣に座っている女性がなにやら話をしている。相手がいるわけでもなく、電話をしている様子もない。ふうかはそれとなく彼女の話に耳を傾けてしまう。

「大学のときは長距離の選手だったんです。タイムも悪くなかったんですよ。体型も今よりすらっとしてて。今は少し太っちゃいましたけど。でも駅員さんは今のほうがきっと好きですよね。知ってますよ。駅員さんがホームで見てるのは、いつも少し肉付きの良い女の人ですよね。(後略)」

 ふうかも、一人で喋り続けるこの女性も、駅ではなく、病院のレストランにいる。駅員さんとは誰なのか。過去に実在する駅員さんと話した内容を声に出して反芻しているのか。それとも、女性による空想の存在なのか。

 ある日、女性は夜にランニングをした話をする。駅員さんに語りかけるように。そこで、大学生くらいの男性に声をかけられたという。笑顔で感じの良い人だという。男性に聞かれた質問に答えていくうちに、男性は急に表情を消した。だが、すぐに笑顔をつくってきたという。

「(前略)駅員さんに聞きたいのですが、このとき私は変なことを言ったのでしょうか? (中絡)私はもしかして何か失礼なことを言ったのだろうかと会話を振り返ってみました。でも、ほとんど定型句みたいな返事しかしていません」

 私も女性がさほど人を怒らせるような返事はしていないと思った。ただ、彼女の対応に怒りをおぼえた人もいるのかもしれない。
 それよりも、私が気になったのは、女性が駅員さんに「変なことを言ったのでしょうか?」と質問したわりには、自分は変なことを言っていないという自信を持っている部分だ。なぜ、自分のなかで答えが出ているのに、あえて相手に聞くのだろうか。この問いには、同意かもしくは相手の答えは求めていない。

どのような問いであっても、〈問う〉ということは、探し求めることである。(中略)〈問う〉という営みは、ある存在者が、自らが存在しているという事実において、みずからがそのように存在していることについて、みずから認識しながら探し求めるということである。

『存在と時間』ハイデガー 著 中山元  訳(光文社古典新訳文庫)

 女性は探し求めていない。一方的に喋っているだけだ。つまり、これは問いのように見せかけて、問いではない、のではないだろうか。もしくは、相手の存在を無視している。実際、女性の目の前に「駅員さん」の姿はない。では、存在しない駅員さんに問うことすらしない彼女の存在とは──?

 診察を終え、家に帰るとふうかはゲームに没頭する。ゲームのなかでは、少女が唯一会話のできる相手──病院で出会った中年男性だ。名前が思い出せない彼を少女は黒田さんと呼ぶことにした──を見つけて少し安心しているようだった。少女は彼に東京タワーに行ってみたいと話す。

「(前略)好きなんです。きれいで大きくて、あったかい色をしていて。暗い道を歩いていても、東京タワーが見えると少し安心します。気のせいだとは思うんですけど、私のことを見守ってくれているような気がするときがあって。(後略)」

 心がないはずのものに、感情があるように感じるのは少し分かる気がする。ふうかにも似たような場面がある。
 

ソファの脇のマネキンを見上げると、蝋燭の火に照らされ、のっぺらぼうの白い顔がかすかに見える。蝋燭の火が揺れると、それに合わせてマネキンの顔にも表情めいたものがよぎることがあった。

 彼氏の元恋人が置いていったマネキン。それは彼女の体を細かく採寸し、彼女を再現したものだった。それでも、ふうかは紗季と一緒に過ごしているという感覚はない。ただ、恋人だった彼氏はどうなのだろう。彼はもちろん、紗季の体型をよく知っているはずだ。その体を模したものだけが手元に残っており、一緒に暮らしている感覚とは──。

 ゲームは終盤へと進んでいく。少女は自分が住んでいたマンションを思い出す。

 そして、ふうかは終業式を終え、彼氏と博多旅行へ。ただ、旅行の前に、ふうかは久しぶりに実家に立ち寄る。実家には父親と、それから猫の青児が暮らしている。母親は小学校高学年までは一緒に暮らしていたようだが、出て行ったのか、今はいない。母親の話はほとんで出てこないが、ふうかには母親から存在を無視されていたという記憶が残っている。

高学年になる頃には、母親は私のことを無視するようになっていた。

私が話しかけなければ、母親も私を無視せずに済んだ。

母親と言葉を交わすことに、あまりにも慣れていなかった。

 これらの文章から、決して親子関係が良好でないことは分かる。理由は書かれていないが、小学生の子供を無視しなければならない親の心情とはいったいどうやって理解したらいいのだろう。私には難しい。ただ、

私はそのままの勢いで母親に抱きついた。母親は、たぶんそんなことをするつもりはなかったと思うけれど、反射的に私を受け止め、ほんの少しの間だけ私を抱きしめるような恰好になった。

 いくら反射的とはいえ、抱きしめたのだから、きっと心底憎かったり、拒んでいたわけではないのだろう、と信じたい。完全に拒絶している母親なら、たった三歳の子供が泣きながら駆け寄ったとき「触らないで!」と突き飛ばしてくる。そう。私はそういう母親を知っている。

 さて、父親に会いに帰ったふうか。父は猫の青児にかまってもらえないと愚痴をこぼす。青児はいつもふうかの部屋にいるという。久しぶりの愛猫との再会。しかし、青児が太っていることに気付く。

青児はもともと太っていたけれど、また少し太ったような気がする。父親が必要以上に餌を与えるからだ。私がそのことを指摘すると、だって欲しいと言うからと父親は言い訳をした。猫が餌を要求するのは当たり前だ。(中略)食事の量をコントロールするのは飼い主の役目だ。

 ここで、最初のほうに太字にした部分と重ねて考えるてみることにしよう。って、なんの話やねんって感じだろう。私もすっかり忘れかけていた。

昨日はお料理代行サービスの人が来てくれたから、冷蔵庫にごはんがたくさん入っている。お料理代行サービスの人は大量に作り置きをしてくれるし、味の好みも聞いてくれる。お店と違っていつでも好きなときに食べられるから、つい食べすぎてしまう

 朝起きたら彼氏がご飯を用意してくれ、普段の食事は料理代行サービスの人が用意したものをあたためるだけだ。一見すると、一方的に与えられているだけのふうかだが、ふうかの管理をするのは彼女自身だ。青児とは違う。それは彼女を含む人間が高等な生物という意味ではなく、猫はそこで暮らす人間が一方的につくったルールの中で生活させられているのに対し、ふうかは彼氏のルールに従うが、いつまでもその生活が続くとは限らない。もちろん、猫だって同じだが、彼らは万が一今までの関係が崩れたとき、生命にかかわる問題になる。だが、ふうかには(これまた人間が勝手につくったルールだが)別の生き方を選ぶチャンスはある。そのチャンスのタイミングで、どう行動するかはふうか次第だが。

 そして、転機が訪れる。彼氏がアプリの開発で、あるトラブルに巻き込まれるのだ。

 ふうかはこの「時」を好機ととるか、窮地に追い込まれふうかの存在は、消えてしまうのか──。

 ところで、ゲーム『浮遊』の冒頭シーンにふくろうが出てくる。ふくろうと言えば、ミネルヴァのふくろうを思い出す。

ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる。

『法の哲学』ヘーゲル 著 藤野歩  赤沢正敏 訳(中公クラシックス)

  
 高校生のふうかは、今は彼氏や親に頼って生きている。彼女は、自分の道を自分で進む知を見つけていくか、あるいは人生のたそがれどきにようやく訪れるのか。


 ところで、

 この二日間、誰とも会わず、リアルで会話をしていない私は

 誰に存在すると証明してもらえるのだろうか。

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