【小説】風船病

 受験に大失敗した私は、帰りのバスで白く染まる街を眺めていた。今までの行動を顧みるでもなく、ただ外を眺めていた。不思議なことに、街はモノクロにも極彩のようにも見えるのであった。そのように見えるのは、失敗した時のあっさりした放心からだろうか、それともこれから始まる浪人生活への緊張からくるものなのか。
 街はいつも通りの賑わいであった。街灯のイルミネーション、しんしんと降る粉雪、楽しそうに笑う子供たち。そのいずれも、私の心情とはかけ離れているものだった。それらを見て、暖房の効いていない車内が一層寒くなった。
 バスを降りて、家へと歩いた。あの家庭は、私の将来を真に考えたうえで、厳しく迎えるだろう。その愛情に、私は号泣しそうになるほど申し訳なく思うのだ。
 小学校を出るまでそんな言葉は一度も聞いたことがなかった。私は学内でトップだった。当時、真剣に学習に向き合ったことなど一度なかった。その習慣が中学校にまで引き継がれ、今の自分がいる。高校生でどうにかやっていけているのも今の才能のおかげである。生まれてこのかた努力をしなかった。才能におぼれてぬるま湯に生きた私にはもう更生の余地はない。
 治そうとはしたのだ。しかし、治らない。
 道の角を曲がると、ある一団に遭遇した。それは私が見たくない、対極の世界に生きる人種の人々であった。
「裕二君、おめでとう!○○高校に受かるなんてすごいことだぞ。奥さんも頑張ったね」
「この子が努力した結果ですわ。うちの夫とそっくりで頑張り屋なんです」
 あの集団は私に恐怖を覚えさせる。私が彼らのようになれないから。私は意志が弱すぎるから。頑張ろうと思っても、踏み出した先の地面が割れて底なしの谷に突き落とされる。自分ができないことができる人たちへの羨望と感嘆に加え、何か恨めしい感情が湧き上がってくるのだ。
 ―こんな状態じゃ、変われないな。
 つくづく、そう思った。彼らは努力しているからこそ正当な評価を得ている。私はしていないから得られない。中途半端な才能は中学からもう通じなくなった。その中途半端な才能を信じてしまった私が馬鹿だったのだ。いや、馬鹿にも劣るほどの愚者だった。

 家に着いた。この時ばかりは、家の門が魔王の城のような強大な威圧感を放っているように感じられた。親にはまだ結果を伝えていない。催促のメールはすべて未読にしてある。鬱陶しさからそうしたのではない。親の純粋な期待を見るのが辛かったからだ。
 玄関を開けた。誰も出迎えに来なかった。それだけで私は安堵した。リビングの部屋を開けると、両親の姿があった。部屋には風船と折り紙で作られた飾りつけが、一層むなしさを増していた。二人は私の表情を見て、すぐに結果を察したようだった。父親がこう言い放った。
「浪人はさせん。したいなら自分で稼いでやれ。勉強しないやつを大学に行かせる必要はない」
 全くもってその通りだった。父は私と対照的な人物である。努力家で、意志が強い、誰からも信頼される、絵に描いたような模範人だ。模範的であるがゆえに、息子にも正しい道を歩んでほしいと願っているのが明確に伝わってくる。しかし私は間違いなく、彼のように偉大にはなれない。私は黙って説教を受けるほかなかった。
 説教後に、父は部屋の装飾を片付け始めた。ペンの先で風船を割り始めた。乾いた音が部屋に満ちた。そのとき、私の中の何かが破裂した。
 自分に向き合ってきた。果てしないほどの自問自答、試行錯誤を繰り返して、自分を正そうとした。しかし、どれも全く効果がなかった。私の心にこびりついている「甘え」は、死んでも私の中から消えることはないだろう。私は十分に戦ったはずだ。自分の弱さを見つめて、何がいけないのかを真剣に考えた。必死に弱い自分を治そうとした。私はできることをすべてやった。もう、楽になってもいいんじゃないか?このまま生きてもロクなことはない。意志の弱い、努力できない病に罹った人間にできることはほとんどない。社会はそれを教えてくれた、だからこそ、もう諦めよう。
 私はリビングを出て、自分の部屋に戻った。心には全てに対する感謝の気持ちがあった。そして、自分への慰めがあった。私は逃げ場のないこの世界から逃げることにした。整頓された箪笥の奥底から、幼いころに秘密基地ごっこで使った思い出のロープを引っ張り出した。


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