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わたしがおばさんになっても

「よう、高根沢、ひさしぶり! 相変わらず若いな」
「ひさしぶりー、高根沢くん! 変わらないねえ」
「高根沢、ごぶさた! まだ若さあふれてるな! 調子よさそうだね」
 そのホテルのしゃれた会場には、大勢の人が詰めかけていた。そこら中で人々が足を止め、挨拶をかわす。そのたびにぽんぽんと笑顔の花が咲く。高揚した気分に満ちている。
 今日は懐かしいみんなと再会する、十年ぶりの学年同窓会。
 自分のもとにも入れ替わり立ち替わり人が訪れ、再会を喜ぶ。
 その言葉はどれも似たり寄ったりだ。自分自身も同じような言葉を返す。挨拶なんてそういうものだとわかってはいるが、さすがに少し疲れてきた。
 流れが途切れたのを見計らって、私は壁際の人のいない所へ移動した。さりげなく近寄ってきたウェイターから飲み物を受け取り、口にする。
 配膳ロボットが当たり前の時代に、洗練された所作を見せるプロフェッショナルのサービス。さすが、格式高い高級ホテルだ。一息ついて、辺りをながめる。
 大勢の人々。だが、最初のころに比べれば、だいぶ人数は減ってしまっている。それでもこれだけ集まれば上出来か。私は見知った顔を探しながら、そう考えた。
 十年経ったが、みんな本当に変わっていない。
 これは挨拶でよくかわすお世辞の類ではない。客観的な事実だ。みんな若かりしころのまま、いやむしろ姿形を整えて、より見目麗しくなっている。医療技術が発展した現在、外見から実年齢を当てるのは難しい。
 特に女性陣は、念入りに手入れをしているようだ。今が盛りと咲き誇っている。

 その姿に心を動かされなくなって、ずいぶん経つ。

「楽しんでる?」
 そんな私のもとへ、これまた見目麗しい美女がやってきた。
 内藤カズサ。三年生のころのクラスメイトだ。
「やあ、カズサさん。えっと……」
 躊躇した私に、彼女はすぐに気付いた。頭の回転のよさはさすがだ。
「ああ、今は内藤に戻ってるのよ。前は松山だったわ。高根沢くんと最後に会ったのは、この前の同窓会? だったら、その時もそうよね。ああ、そうだそうだ、思い出した。ちょうど松山になりたてのころだったわ」
「別れちゃったのかい?」
「ええ、そうね。ちょっと仕事の都合ですれ違うことが多くなっちゃったから。いい人だったんだけどねー」
 このセリフも何回聞いただろうか。
 彼女はきらびやかな洗練された見た目と違い、古風な慣習を守っていた。夫婦別姓の方がはるかに多いこの時代に、相手の名前で戸籍を入れる。そのたびに「生涯添い遂げるっていう感じでいいじゃない」と彼女はのろけるのだが、次に同じ名前で会うことはない。梅田だったり竹下だったり、そして松山だったり。
 ただ、彼女が口先だけだというわけではない。彼女はずっとそれを理想としている。それこそ高校のころから、理想の将来として、いの一番に語っていた。
「やっぱり、好きな人とずっと一緒に、なかよく暮らしたいよね。それが一番だよ。仕事? 仕事はね、特になりたい職業もないし、何かできることをするよ。とにかくね、私は幸せなお嫁さんになりたいの。ずっと憧れてるんだから」
 そう顔をほころばせていた彼女のいちばんの問題は、彼女自身のスペックだった。外見のみならず、彼女は中身も飛び抜けていて、男だけではなく仕事も彼女を放さない。男の方が束縛したがるとか、嫉妬して卑屈になるとか、パターンは様々だが、結局仕事と家庭が両立しなくなる。
「人生もこれだけ長くなると、いろいろあるよねえ」
 ため息混じりに、彼女はぽそりとつぶやく。若々しい見た目と違って、それこそいろいろ経験済みの、その言葉は重い。
「そんなことよりさ、楽しい話しようよ。高根沢くんの方はどうなのさ」
「いやあ、相変わらずだよ。浮いた話なんか求められても、ねえ?」
「予想通りのお答え、ありがとうございます」
 彼女は着飾った姿に似つかわしくなく、にひっと、いたずらっ子のように笑った。ああ、変わらないな、と安心する。
 彼女と私は仲がよかった。よく休み時間に冗談をかわしあっていた。だが、それは恋愛感情とは遠いもの。彼女はあまり私の好みではなかったのだ。
 派手なタイプより、おとなしい、少し地味なぐらいがいい。
 彼女が美人過ぎて気後れしていたとも言える。私はクラスでは地味で目立たない方で、彼女と付き合っている自分なんて、想像もつかなかった。釣り合いが取れる気がしない。
 もし彼女の方から望むのであれば、付き合うこともやぶさかではなかっただろう。だが、彼女も私に恋愛感情は持っていなかった。美人な彼女はご機嫌取りに言い寄ってくる男たちにいささか気疲れしていて、そういう感情を見せない貴重な異性の友人として、私に好感を持っていたのだ。
 それが残念かと言えば、やはりそんなことはない。その分、飾らず楽しく付き合える友達として日々を過ごせた。おかげで今でも、会えば話の種は尽きない。

 懐かしい高校の日々。みんなが本当の意味で若かったあのころ。

 二人でしばらく昔話に花を咲かせていた。すると突然、彼女がその整った顔をくもらせた。
「あらやだ。こっちに来るわ」
 彼女が私の肩越しに視線を送っている。
 振り返ると、やはりそこにはよく知った顔。
 井ノ坂蓮司。成績優秀なバスケ部のエース。押しが強く、クラスでも中心人物だった。
「私のところにはもう来たのよね。あなた狙いだと思う。ねえ、事情は知ってる?」
「ああ」
 私はうなずいた。
 彼だけではない。全員の近況を調べてある。
 目的は薄れゆく記憶を手繰り寄せること。見た目は若くても、実際の青春時代ははるか昔なのだ。いろいろなことを忘れてしまっていて、確認を取らないと、もう思い出せない。失礼に当たらないよう、事前のリサーチが必要だった。
 その副産物として、だいたいの近況は把握している。カズサのように最近の出来事、かつ本人がプライベートをさらすタイプではない、ということで引っかからなかったケースもあるが、彼の場合はすぐに調べがついた。
「私は二回も同じ話を聞きたくないなあ。ごめん、行くね。それじゃまた後で」
 カズサはそう言って私のもとを離れた。
 それを見た井ノ坂の顔に、かすかに安堵の色が浮かんだ。彼自身にとってもカズサに二度話すのは不本意なはずだ。あまり喜ばしい話題ではないからだ。
 彼は足早に歩み寄ってきた。
「やあ高根沢。ひさしぶり。元気にしてるみたいだな」
「君も相変わらずだね。元気そうだ」
 そう、相変わらずだ。もう卒業してからずいぶん経つというのに、同窓会というのは不思議なものだ。みんなを過去へと引き戻す。
 カースト上位だった彼と、地味でおとなしく目立たず、カーストの麓の方にいた私。彼の頭の中ではまだその位置づけなのだということが、その口調の端々ににじみ出ている。
 そういう立場ではないだろうに。
 相変わらずと言ったが、こちらは他の人に向けたものと違い社交辞令だった。彼には変化が見て取れる。
 たるみ始めた皮膚。目元のしわ。老化の始まりがはっきりと見えている。ここにいる他の人たちには見えないもの。
「ところでさ」
 適当な世間話を続けたところで、彼はとうとう本題を切り出してきた。
「新しい投資に興味ないかな。俺が始めたプロジェクトなんだけどさ」
 そう、彼の今日の目的はこれ。出資者を募りたいのだ。
 そして、ここにいるみんなが、それを知っている。ずっとつながっているグループもあるが、それも全員ではないので、私と同じように薄れゆく過去の記憶を掘り起こすために、事前に調べているからだ。彼の近況は衆目の知るところ。
 井ノ坂は事業に失敗していた。
 資金繰りに相当困っているはずだ。今日、同窓会に顔を出したのは、金の手当てをするためだ。
 何しろこの同窓会には現在、富裕層しか来ていない。
 それがみんなの容姿に表れているのだ。医療技術が進んで、見た目を若いまま保てるようになった。外見だけではなく、体の中身も同様だ。細胞の老化を食い止め、組織を新しく更新する。そんな技術によって、人の寿命は無限に伸ばすことができるようになっている。
 ただしそれには当然、お金がかかる。若返り術は美容医療の一つとされ、保険適用外である。金さえあれば寿命と若さを買える時代。逆に言えば、なければ買えない時代。そこに格差が生まれていた。
 十年ごとに開かれるこの同窓会。うちの高校は超難関進学校だったから、卒業生たちはみないい大学に進み、高収入の仕事に就く者が多かった。それでも身体内外の若さを維持するのに必要な途方もない資金を、全員が用意できるわけではなかった。だんだんと見た目の格差が表れ始め、同窓会から足が遠のく者が増えてきた。
 十年ごと。それが何度も開かれてきた。今ここに来ているのは、若返り技術のないころであれば、老人とされている者たちだ。命を買うほど稼げなければ、もう死が身近に迫っている。
 そして今、目の前に立つ井ノ坂もそうだ。必死に私を口説き落とそうと、プロジェクトについて熱く語る。しゃべればしゃべるほど目立つほうれい線。それは彼がもう若返りの施術を受ける金銭的余裕をなくしていることを表している。
 もう一度事業を立て直し、富裕層に返り咲かなければ、彼の寿命は自然法則の通り老化を重ねて燃え尽きる。
 もともとそういうものだと割り切れる時代では、もうない。一度死を逃れる術を知った後では、平常心ではいられない。彼はまさに必死だったのだ。
「で、どうだ。一口乗らないか?」
 熱弁の最後を彼はそう締めくくった。
 だが私の答えは最初から決まっていた。
「すまないね、そちら方面の事業には、あまり関心がないんだ」
「……ま、まあ、確かにお前が今、抱えている案件とは畑違いかもしれないが、ちゃんと調べてくれれば将来性があるプロジェクトだとわかるはずだ。どうだ俺の顔に免じて、ここはひとつ信頼してくれないか」
「すまない」
 それでも、私の答えは変わらなかった。
 近況を知った時に調べてある。彼のプロジェクトに資金を投じるのは自殺行為だ。一気に取り返さなければという焦りから、かなり強引な手を打って、悪循環にはまってしまっている。
 さらに言えば彼自身の問題もある。肉体内外の若返りはできる。その中には脳も含まれる。だが、神経細胞組織をリフレッシュしたから、そこに宿る精神までそうなるということではない。
 井ノ坂の打った手を細かく調べていくと、ビジネス環境の変化に考え方が追いつけていないことが見て取れる。しかも生来の唯我独尊の性格が災いして、周りの意見を吸い上げることもできていない。
 一言で言えば彼はもう老害だ。事業家としての寿命が尽きてしまっているのだ。
 そんな泥船に乗るわけにはいかない。
 にべもない私の答えに、井ノ坂の顔色が変わった。
「お願いだ、助けると思って、そこを何とか。他のやつらには断られてしまって、もうお前しかいないんだよ。この通り!」
 そこで彼はびっくりするような行動を取った。ぱっとひざまずき、頭を地面につける。
「頼む! ここで断られたら、俺は……」
 そう、私のところで最後のはずだ。私は投資の専門家だから。
 彼自身に自分のプロジェクトがうまく回っていない自覚はあるのだから、なるべく事情のわからない、言いくるめやすい素人の同級生から金を引っ張り出したかったに違いない。
 だからこそ私は、首を縦に振ることはできなかった。
「すまないね。そんなことをされても、無理なものは無理だ」
 それを聞いて、井ノ坂の態度が一変する。
「おい! 俺がここまでして頭を下げているってえのに、何様だ貴様!」
 急に立ち上がって胸ぐらをつかむ。確かに彼にしてみれば大層なことだっただろう。学生のころであれば、カースト最上位の彼が、ここまで私に対してへりくだるなんて考えられないことだからだ。相当プライドを傷つけられていたことだろう。でも私の答えがそれで変わるわけではない。
「おい! 何してるんだ!」
 周りの誰かが伝えたのだろう、幹事二人が警備員を連れてやってきて、あわてて私と井ノ坂を引き離す。
「お前、さっきから目に余るよ。ちょっとこっちに来い」
 幹事の一人に引き立てられて、井ノ坂は会場を後にする。
 こちらを振り返った彼の顔。
 絶望。
 ねたみ。
 怒り。
 いろいろなものがモザイクのように入り混じっていた。
 残ったもう一人の幹事が、私の様子を気にかける。
「大丈夫か?」
「ああ」
「すまないな。あいつの事情は知ってたんで、釘は刺してあったんだが」
「気にしないでくれ。大したことじゃない」
 そう大したことではない。会場で起きるのが珍しいというだけで、こういうことは何度も経験している。
 格差は別に、同級生の間でだけ生まれているのではない。それこそ家族の間だってむしばむのだ。
 もう長いこと、親兄弟と顔を合わせていない。
 会えば金の無心をされることが、わかり切っているからだ。
 別に一銭も金を出したくないというわけではない。例えば親が病気になって、その治療費が必要だという話になれば、すぐにできる限りの援助をするし、実際一度そうした。
 だが、それが若返りの施術となれば、永遠に資金を出し続けなければいけないということになる。途中で手を引けば、自分が殺したのと同じだ。そんな援助を家族全員平等になんて、さすがにそこまでの余裕はない。では誰を生き延びさせて、誰を殺すのか。そんな厳しい判断などできない。
 さらには親族となれば、親兄弟その限りではない。その配偶者、その子供と、無限に増えていく。面倒を見切れるわけがないのだ。
 一番問題だったのは、下の弟の配偶者だった。兄弟の中で私だけが若返り施術をするだけの余裕があると知ると、ねちねちと嫌みを言い、絡んでくるようになった。
「義兄さんはいいわよねえ、若返るだけのお金があって。ほら見てよ、この手。最近すっかり張りがなくなってきてさ。肌はかさつくし、しわは目立つようになってきたし、やんなっちゃう」
 ちらりとこちらに視線を走らせて、大袈裟にため息をつく。
「あの人がもう少し稼げる人だったら、私も若い体のままだったのかしらねえ」
 弟がいさめてくれればいいのだが、当人は聞こえているだろうに聞こえていないふり。その態度は、言外の肯定を意味していた。嫁に言わせているだけで、ねたんでいるのは弟も同じなのだ。
 こんな居心地の悪い思いをしに、わざわざ出向く物好きはいない。自然と実家から足が遠のいた。こうして私は家族とのつながりが切れた。
 ふと「長く生きてると色々あるよね」というカズサの言葉が思い出される。本当だ。外見は若くても、長く生きて酸いも甘いも経験している。もうあの時のような純粋な存在ではない。忘れそうなほどのはるか昔、あの若かりしころ……。

「高根沢くん……」

 その時、懐かしい声が私の名を呼んだ。
 それはまさに今、思い出していた声だった。
 さあっとあの時の風景がよみがえる。甘く切ないあの時の……。
 その声の主に私は振り向き。
 ぎょっとする。
 そこに立っていたのは女性。
 ただしとても場違いな姿をしていた。
 服装の話ではない。品良く、華やかではないがシックにまとめられた、落ち着いたコーディネート。確かに派手に着飾った中では多少目立つが、他にいないわけではない。
 問題は顔だ。
 中年の女性だったのだ。
「川原さん……」
「わー、わかってくれた! うれしい!」
 そこにいたのは、確かに川原さんだった。
 川原希美。彼女も同じクラス。しかも三年間一緒。そして同じ部活だった。
 幽霊部員の多かった文芸部。ただ私と川原さんは熱心に部室に顔を出していた。
 好きな小説の話をしたり、好きな本を薦めたり、薦められたり、そしてその感想を述べて、また……。大好きなものを共有できる仲間。楽しい時間を過ごせる友人。
 私に勇気がなくて告白できなかったけれど、実は初恋の人でもあった。
 その川原さんが、目の前に立っている。
 いやそれ自体は驚くことではない。彼女も何度もこの同窓会に顔を出している。
 とにかくその顔が問題だ。

 老けている。

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