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(映画鑑賞記録) 三宅唱監督『ケイコ 目を澄ませて』

・あらすじ
嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコは、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムで日々鍛錬を重ねる彼女は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。母からは「いつまで続けるつもりなの?」と心配され、言葉にできない想いが心の中に溜まっていく。「一度、お休みしたいです」と書き留めた会長宛ての手紙を出せずにいたある日、ジムが閉鎖されることを知り、ケイコの心が動き出すーー。

・感想
  岸井ゆきの主演、監督は『きみの鳥はうたえる』の三宅唱監督、ボクシングジムもの、そして16mmフィルム…この時点でこの映画の作品としての素晴らしさは確約されていたようなものだったけれど、やはり最高だった…"良い作品を観たな〜"という心地よい余韻が残り、映画館を出たあともしばらく頭がぽーっとしてしまう。
  この映画はストーリーに起伏がほぼない。ケイコがどんな理由からプロボクサーを目指し、どんな葛藤を抱えていたのか等、ほとんど何の説明もなく、淡々とケイコとその周りの人々のなんてことない日々を描いている。
  「聴覚障害」というプロボクサーとしては致命的なハンデについてあまり重々しく描いていないのも個人的にすごく良かった。
  ケイコの台詞は「はい」だけ(しかも3回ほど)だし、心情もほとんど描かれない。BGMもエンディングの音楽もないけれど、そのおかげで聞こえてくる音というのもあって、それがとても新鮮だった。こんなにも色んな音で溢れかえっていたのだな、と。
  音楽がないとどこか寂しいような心細いような気持ちになってしまうわたしは、完全に音のない世界で生きるケイコが見ている世界ってどんなものなのだろう、と思いを馳せてしまう。
  そして、人が人に何かを伝えたいと思ったときに、「声」というのがいかに重要な役割を果たしてくれているのか、いかに言葉に頼っているのか、という当たり前のことに改めて気付かされる。
  自分の気持ちをあまり表に出さないケイコにとって、ボクシングが他者とのコミュニケーションのための身体言語のひとつであるのかな、と思う。
  ケイコと会長が静まり返ったジムでシャドーボクシングをするシーンは、ケイコの気持ちがすごく伝わってきて、良いシーンだったな〜。一番印象に強く残っている。
  わたしが好きな窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』という本の中にあった"本当に伝えたいことはいつだってほんの少しで、しかも、大声でなくても、言葉でなくても伝わるのだ"という言葉を思い出した。あのときのケイコと会長は、言葉なんてなくても心が通じあっていたよね、と思う。
  そしてやはり16mmフィルムは良い。
  

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