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そんな大げさなものじゃなくて、子供が良い気分だと親はラクなのだ

 占いには左右されるわけではないけど、お楽しみとして見る。ゲーム感覚でわりとその場限り。占いに通じた、人の心に関するエッセイが面白いと本や文を読む。性格判断とか分類なんかは、自分の傾向が分析されているようで、その時の心境で捉え方も違って楽しい。

 TV番組の「今日の占い」なんて、猛スピードで忘れるのに観てしまう。自分の星座が一番ランクが低い時でも「今日のラッキーカラー」だの「ラッキーアイテム」だのを確認して「じゃあ迷った時にそっちを選べば良いや」と思う。そしてそれすら忘れちゃう。だって昨日のだったか今日のだったか。他に目にした占いのラッキーカラーがちがったりするともう。明日にはまた変わっているんだろうし。
 「昨日悪かったけど、今日はちがうかも」「今日イヤなことあっても、また変わるさ」と思うために見ている気もする。

 1位と12位の星座が最後に発表される番組があって、ちょうどそれを見ていた時、春休みで来ていた息子と私の星座が残った。息子はいて座なので、「いて座が一位で良いよーいて座いて座」と唱えるように言った。

 息子は「えーじゃあ母さん最下位になっちゃうじゃん」と言うので「別に母さんは良いんだよ」と言ったけど。

 なんだかこのやり取りだけ切り取ると、自分より息子を思う美しい母親愛みたいだ。別に自己犠牲とかそんな大げさなものじゃあない。
 単に、息子が不機嫌でいるよりご機嫌でいてくれた方がうれしいってだけよ。うれしいというかラク。そうだな、自分に特別な良いことがなくたって子供が機嫌良い方が、接していて全然ラクなのだよ。こちらが。

 なにか良くないことが自分に起きたって息子が楽しそうなら「まいっか」って励まされたり慰められたりする。それは自分を犠牲にしているとか親らしくとかじゃなくて、家族が楽しそうな顔していると、単にこちらの気持ちが安定する。そういう人の方がきっと多いよね。
 自分の機嫌くらい自分で取らなきゃと思うから、時には愚痴聞いてもらいながらのお喋りとかストレス解消法は大人は自分でわかっているし。
 身体や気持ちがしんどい時に、無理に機嫌良くしている必要もないけど。だからこそ「今日の運勢」が良いと、その場限りでも機嫌が良さそうでこちらもありがたいではないか。明らかにその場しのぎってやつなのだろう。
 まあどうせ、2人してきっと数時間後にはすっかり忘れているのだ。そして明日にはまた変わっちゃうのだ。


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。