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もらったバトンを渡す立場になった時

 もう50代に入った夫だけど、40代に入った頃から、度々「僕はバトンを誰かから渡されたんだなあ」と言うようになった。先輩の方たちに教わったこと、直接的な言葉でなくても仕事の仕方や人付き合いなどに関してのこと、時には仕事に関わる大きなことだった。いつの間にかそのバトンを持っていて、それを渡す時が来ていると。そのバトンも一つや二つでなく、色々な人からたくさんもらっていて、それを自分の後に来る者たちに渡していっている気がすると。
 私は当時30代後半で、子育てのことや勉強していた内容から、似たような感覚を持ち始めていた頃だ。
 その頃から、私たちは「バトンを渡す」という表現をよくするようになった。
 
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 ハラスメントや虐待を受けた話を、ここnoteで目にすることが時々ある。
 当人たちが過去を乗り越えることは、大変な作業である。私の、傍から見ればちょっとしたトラウマからでさえ、解放されるのは年月がかかった。それでも何とかしたかったのは、時々自分を傷つけてしまうことがあったからだ。わかりやすい自傷行為はないけれど、自分の心を傷つけたり、一人でいる時に物に当たりそのはずみで自分がケガしてしまったりすることがあった。それは自分で苦しい行為だったし、自分の心を傷つけることは、夫や息子を大事にできない瞬間があるということで、何とかしたかった。

 私は夫や息子をイヤな態度で傷つけたくない。

 強い気持ちがあって、わかったこと。
 それは、まず過去をしっかりと振り返り、自分と向き合う勇気と強さが必要ということだった。

 自分が育った環境、家族はどうだったかと考えた時に、イヤな思い、辛い思いがたまっていることはある。恨みを持つこともあるかもしれない。巷で出ている様々な本からは、それを思い出させてくれたり、自分の過去を振り返り苦しんだり、もう読むのもイヤだと強い抵抗感を覚えたりすることもある。
 思い出したくない気持ちと、克服しようと頑張りたい気持ちとで、葛藤することもあるだろうし、親の愛情を求めて諦められなかったりすることもあるかもしれない。考え抜いても結局家族を許せなかったり、嫌いなままだったりもするだろう。

 本当は許せた方がその後が幸せになれると思う。できるものならその方が当然おススメです。あきらめてしまえば強い思いも減っていく。できるのであれば克服した方が良いに決まってる。

 でも、許せなくても良いんです。
 許すことのできない人が「これではいけない」と思わなくても大丈夫。
 許せないことも、あきらめられないことも、嫌いなことも、苦しみを抱えたまま生きるということが続くから辛い。でももっと大事なことがあるのです。

 それは、後に続く者にどのように伝えていくか。

 過去のものから連鎖しないようにするにはどのように考え、意識して行動し、発言していけば良いか。

 自分が苦しんだこと、悲しんだこと、辛かったことをできれば克服したいけれど、できなくても仕方がない場合もある。それぞれ事情もある。

 問題は、そこからどんなバトンを人に渡すか。

 そこが一番大事だと覚悟を決めた時、私は自分で、大人になったものだなと感じた。


#エッセイ #親子 #家族 #バトン #連鎖

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。