もうそろそろ良いよ、じゃなくて、まだまだ「それが日常」の私たち

 思い出す光景は幾つもあるけれど、その一つに、揺れの中で観た地方アナウンサーの様子。
 スタジオが揺れる中、ヘルメットをかぶって「皆さん、安全な場所に避難して下さい」などと何度も何度も声をかけていた。テレビ局も危ないだろうからもう良いよと思う気持ちもあったのは本当だけど、いつも目にするアナウンサーのこの様子がどれだけ心強かっただろう。


 昨年は「日常の積み重ね」と書いた。おそらくこんな思いでこれからも過ごしていくんだろうと思いながら。

 でも今年はさらに状況が違うではないか。
 地震の影響は日常になったものの、また違った種類の不安感が世の中を覆っている。
 そしてそのせいだけではないだろう。9年経った=当時9歳になる年だった息子くらいの年齢の子たちは全然震災を知らない。そして関係のない地域の方たちは記憶が薄れてきているということだ。

 その後、各地で大きな地震も起きたし、大雨による自然災害、被害に遭われた方たちが近年、なんと多いことか。


 何も失っていないこの辺りの地域。私自身も。目に見えるものは。何も失っていない。

 それでも9年前のあの日を忘れるなんて日は、いまだ一日としてない。
 最近、徒歩数分の近所で、避難していた方たちの仮設住宅だった場所の取り壊し作業が始まったようだ。
 元々公園だったそこが更地になっても、私たちはずっと忘れられないだろう。

 天気予報では毎日、放射線量が発表される。

 何十年かかるであろうとは当初からわかっていたことだ。


***

 今回は、夫についても、ほんの少し書きたい。

 夫はロボットに関連した仕事をしている。
 原発事故があってから、近隣で専門的な知識を持って仕事をしている人がごくわずかしかおらず、直後から何度も集まっていた。
 「〇十年かかる」と言われ始めた当初から、「それで済めば良いね」と夫は言っていた。
 今は直接的に廃炉作業に関わっているわけではないけれど、人材育成と地域のロボット研究の活性化を求められているようだ。
 あれから自分の本当にしたい仕事の何割ができているのだろう。間接的に自分の専念したい仕事とつながってはいるけれど。やりがいもあるそうだけど。でも9年経ってもまだずっと忙しい。定年の年齢を迎えてもまだ終わりは見えていないだろう。

 「9年経った」。

 それが長いとか短いとかでなく、覚えているとか思い出すとかでなく、私たちにとっては、ずっと「その後」が地続きになっている。この先おそらく40~50年。


 9年前に見た地方アナウンサーのヘルメットをかぶって呼びかけていた様子もいまだ脳裏に焼き付いており、当時の映像を観ると自然とこみ上げてくる思いがある。

 「私たちは、誤解とか偏見ということで、充分傷ついてきた」
 新型コロナウィルスのために閑散とした観光地で、この前もその局のアナウンサーがレポートしていた。
 そして一方で「課題が山積」。

 世の中は今、新型コロナウィルスで大変な騒ぎだ。
 ただ、「人は人を傷つけるし、不安を与えるし、迷わせるけれど、癒し、寄りそい、支えられる」。

 あの日から何人かの友達とうまくいかなくなった。何人かの友達と心を寄せあっていっそうつながりを強くした。

 せめて「人同士」については、今の騒ぎにも生かしてほしいと思う。​




#エッセイ #東日本大震災 #忘れないで #9年 #原発 #廃炉 #人同士 #地続き #日常

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。