飛行機に乗りながら読んだ「雲を紡ぐ」~成熟していく大人の姿~
飛行機の中で、飛び立つのを待っている間、落ち着かなくて仕方ない。幼少期から何度も飛行機に乗ってきたのに、22歳になる年、15年ぶりくらいに乗った時には怖くなっていた。
実際には着陸の方が気を引き締めなくちゃいけないそうだけど、スピードが増して行って浮いていく状態、どんどん上に向かっている体勢だって怖い。
その間にもう習慣のように必ずしているのが、本や漫画など読めるものを手に取る。その世界に入り込む。動き始める前から本を開き、動き始めた頃にはその世界に入り始めている。没頭している頃に機体が浮き始める。
「動き始めた頃」とか「浮き始める」とか、認識している時点で、本当に没頭できているわけではない。でも少なくとも「気が付けば」程度にはなっている。
足が押し付けられるような感覚や、おへその下辺りから胃の辺りまでふわあっと浮くような感覚が繰り返しやってきて、必死で本の世界に入り込もうとする。
今回は、ずっと前から読みたかった伊吹有喜さんの「雲を紡ぐ」を手に取った。前半部分を少し読んでいたけど、息子の受験関係でなかなか続きを読む気持ちにならず。良い機会ができた。
行きと帰りの機内でほぼ全部を読めたし、行きも帰りも涙がこぼれ落ちそうになって参った。
最初は「最近、不登校について取り上げるのがはやってるなあ」くらいに思っていた。家庭内について描こうとすると、やっぱり昨今、取り上げずにはいられない問題なのだろうか。
そんな気持ちが、軽々しく思えたくらい、段々と入り込んでいき、泣くのをグッとこらえた。
美緒ちゃんの繊細さがよく理解できる。
共感する力が強くて、相手のちょっとした表情から、自分へのネガティブな気持ちをすぐ拾う。
そして、女子高生である美緒ちゃんの、大人の前で心の声を一切閉じてしまう気持ちもよくわかって。
私もそのタイプだったので、擦り傷がヒーヒーするくらいに心が痛い。この気持ち、もう35年程前なのに、鮮明によく覚えている。
大人たちに正論や感情的な言葉をぶつけられて、何の覚悟も責任も根拠もない自分の思いを聞いてもらうなんて、できなかった。素直な自分の思いはきっと論破されて、経験不足な子供の気持ちとして処理される。たくさんを経験して、たくさんを知っている大人に正しいこと言われたら、私なんてぺちゃんこにされる。自分の意見なんて甘えているだけなんだろう。
これ以上自分を失うのが怖くて、何も言えない子供だった。
「綺麗だね」「怖いよ」の一言も抑えていた。
泣きたくなった私は本を閉じた。
私の肩の上で、横に座る息子が寝息を立てている。目をパチパチしばたたかせながら、涙が引っ込むのを待った。
読めば読むほど、文学的で情緒的で、詳しい情景が頭の中に描けるように書かれている。全部の要素が少しずつあって、そのバランスが心地良い。
繊細な美緒ちゃんの、おじいさんの前での言動は、とても素直に表れて可愛らしい。
それは、おじいさんが聴く姿勢を持っているから。皆の思いを受け止めてくれるから。そしておじいさん自身が、自分の思いを言葉にしようと努力してくれているのが伝わるから。
美緒ちゃんが、おじいさんを通じて大人になっていく。
そして、美緒ちゃんの両親も、おじいさんを通じて、ようやく大人になっていく。
成熟した大人になるって、衝動を感じるそれ自体も、それをコントロールすることも、覚悟も、伝えたい気持ちも、思いを言葉にする勇気も、全部必要なんだ。
帰りの飛行機で本を開けるのは楽しみだった。
でも今度は、泣きたくなるどころじゃない。涙がこぼれ落ちそうに文字がゆらゆら揺れ始めた。あと数行読み進めただけで、目を覆うたっぷりの液体が落ちそう。マズいぞ。息子は帰りは起きている。ハンカチで押さえよう。ハンカチをカバンからごそごそ出しているうちに涙が何とかおさまった。ホッとしたのも束の間、今度は鼻水が出てきた。慌ててカバンからティッシュを出す。
さっきCAさんから飴をもらって、喉をうるおそうとしたのに、少し咳込んでしまったから、鼻を盛大にかむのははばかられる。このご時世、風邪っぽい症状はいやがられるだろうから、控えめにかむ。
「雲を紡ぐ」を読んでいると、美緒ちゃんのおじいさんのことが、きっとみんな好きになると思う。それはもう泣くほどに。
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