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なじみの場所が変わっていたり、変わっていなかったり

 20歳を迎えた息子を祝いたかった。両親にとって4年会っていない孫と会わせたかった。

 雪で動きづらい時期を超えて、関西の暑くなり過ぎる時期より前に、息子が確実に休みを多く取れて動けるのは年末年始じゃなく春休み。
 夫も何とか休みの日とからめて、当日もギリギリまで仕事しながら何とか同行できた。

 短い滞在だったけど、やはり4年会っていない学生時代からの友人二人とも会えた。

 そして15年ほどゆっくりしていないのではと思う大阪梅田をウロウロできた。

 梅田は、帰国した小学生のころから大学生いっぱいまでよく出かけたものだ。父と、母と、友人たちと。友達の多くが神戸方面に住んでいたけど、宝塚市に住む私にとっては梅田の方が出やすかったのだ。小学生の間は三宮と梅田、どちらにも一度西宮北口駅で乗り換えて行ける場所に住んでいて、当時は歯の矯正のためにわざわざ梅田に出たものだった。
 その後、引っ越しを経て、乗り換えなしで梅田に出るようになる。
 とは言っても30~40分かかる。そして三宮はもっと時間かかるので、友人たちは私に合わせて梅田で待ち合わせてくれた。

 大学を卒業して社会人になった頃。
 梅田の地下街があっちこっち伸びて、なんだか難しくなった。
 ニュージャージーで再び暮らし始め、結婚して帰国してから梅田に行く機会があると、もはや何が何だかわからなくなっていく。ヨドバシカメラとか、それまで商業施設の印象がない辺りが栄えている。
 地下街や新しく商業施設ができた辺りの道順が難しすぎて「梅田ダンジョン」なんて呼ばれたようだ。
 JR大阪は、梅田と歩いて数分、高架ともつながっているけど、その周辺、主にJR大阪駅周辺がにぎわっている。

 圧倒されたのはさらに建設中のビルだらけだったこと。
 写真撮りまくった。

こんな風に建設中のビルがたくさんあった

 いつからあるのか。私が学生時代の30年ほど前にはなかったビルの数々。

 なじみだった梅田が変わってしまったんだなあ。しみじみ実感する。私が学生だったら通うのだろうか。ウィンドウショッピングを楽しみ、母や友人たちとお茶でも飲んだりお喋りを楽しんだりするのだろうか。なじみの店ができるのだろうか。いろんな場所や店舗を把握して楽しむんだろうな。

 新しいビル街は地図を見て何とか把握し、友人と待ち合わせたのは昔、待ち合わせ場所の定番だった「BIG MAN」。今も変わっておらず、にぎわいを見せていた。

 少し早く着いたので、その辺りを歩いていると、何十年と場所が変わらないポストにちょっとグッと来てしまう。キミはどのくらいここにずっと立ちつくしているんだい。入る手紙はきっとすっかり減ったよね。

 母と歩いたショッピングエリア。疲れて休んだ喫茶店。中身は変わっているのかもしれないけど、場所は変わっていない。店内のざっくりとしたレイアウトも。
 パン屋さんのCASCADE。

 店舗は変わったけど、店構えが変わっていないところもたくさん。昔SONY PLAZA(今で言う「PLAZA」)のあった場所には無印良品の店。ハーゲンダッツのあった場所にタリーズ。花屋さんはいつからかあったような気がする。

 友人としゃべろうとすると、けっきょく知っているカフェ店だったり、気持ちの良い天気だからと外に腰かけたり。
 まだまだ新しい商業施設は使いこなせていないけど、それでも変わらない友人との間に流れる空気を味わいながら、今の話、昔の話に花を咲かせる。

 さらに変わっていなかったのは、阪急から御堂筋線に乗り換える時の通路の混雑。にしても、こんなに人多かったっけ。圧倒されながらも息子は「こういうものなのね」と果敢にその人波に挑む。

 古い雰囲気と新しい空気と交わるのを感じながら、梅田を楽しんだ。

 滞在中の出来事や見たものは新しく、人と語った思い出は古く。入り混じった気持ちを含めてまた少しずつ書いていきたい。



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