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目の前の人を尊重する大切さを訴え続けたアレサ・フランクリン~「リスペクト」を観て~

 日本人とそれ以外。
 日本に住んでいると、外国人に対する差別感情ってそんな風に感じる。
 それは田舎街に行ってもそんなようなもので、ここで生まれ育った人と、それ以外。「ヨソ者」に対する強い視線や高い壁を感じる。
 だけど肌の色に関してはきっと割と無頓着よね。
 認識はしても、外国での差別ってそれほど知識はないだろうし、実感もないだろう。
 こうやって書いている私だって真実からはほど遠い場所にいてわかっていない。

 幼少期、ニュージャージーに住んでいた頃も、アジア人の多い地域に住んでいて、黒人の存在について深く考えはしなかった。
 学校で、先生にはアジア人に対する差別感情があるんだと伝わってしまったとか、近くのマンションの前で「日本人!」と何人もの子に石を投げつけられた経験はある。

 それらは、相手が白人の場合で、住んでいる場所や学校が偶然黒人が少なめだったのも影響しているかもしれない。

 最初に黒人差別について考えさせられたのは、高校生の頃に映画「遠い夜明け」を学校で観た時。
 もう少し後で「カラーパープル」を観た時には、黒人の立場と、その中でも女性はこんなにも虐げられているのかと衝撃が強かった。スピルバーグの駄作だと言われているそうだけど、私は大好きな映画だ。女性二人で鏡の前に立ったあのシーンは胸を打つ。
 その後も、再びニュージャージーに住んだ時には黒人の多い地域に住んでいたために意識的にはなったけど、映画によって知った事実の方が多かった。「大統領の執事の涙」や「グリーンブック」で、その立場や「知らない」ことの残酷さを少しずつ知る。
 最近だとマーベルのドラマ「ファルコン&ウィンターソルジャー」でも。ファルコンであるサムがキャプテンアメリカになる意味を、盾を渡されていた時に私はもっと簡単に考えていたと思い知る。終盤のサムの演説は圧巻だった。

 どの作品も、「人」そのものについて描かれている。個人個人を知り合うことをやめたら、一括りにして、個人の顔が見えてこなくなるものね。当たり前なんだけどね。でも映画を通して「その人」を知るって意義あるんだよな。

 「リスペクト」は、アレサ・フランクリンの半生について描かれていた。

 近年、私たち世代に馴染みのあるミュージシャンの半生を描いた映画が次々と出ている。「ボヘミアンラプソディ」でフレディ・マーキュリーの半生が、「ロケットマン」でエルトン・ジョンの半生が描かれた。
 アレサ・フランクリンの子供時代を観ても、親に抑圧された人生を送っていたのかと胸が痛い。心の中に爆発しそうな思いが積もっていたのだろう。
 そして黒人であること、子供であることと女性であることは、こんなにも無力で虐げられなければならないのかと、途中で絶望的な気持ちになる。
 それでもアレサ・フランクリンは自由になりたいと大きな声を上げて歌う。
 「Freedom」や「Respect」は多くの人が知る曲だろう。
 母親の愛情が、アレサ・フランクリンにとっての救いだった。
 彼女が、ゴスペル・アルバム「アメイジンググレイス」を作った経緯も知ることができる。

 それにしても、私はジェニファー・ハドソンの歌声に何度泣かされたら気が済むのだろう。
 「sing」でナナ・ヌードルマンの歌声に。「キャッツ」でグリザベラの歌声に。
 そして今回は、アレサ・フランクリンとしての歌声に。二度も。

 二人の気概と歌唱力に感謝。

 

#映画 #感想 #黒人問題 #リスペクト #アレサ・フランクリン #ジェニファー・ハドソン

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