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楽しくて可愛くて笑った「ロングショット」~こういう映画が観たい日もよくある~

 元々人が少ない映画館。今どきの騒ぎで、私たち含めて5人だけ。

 コメディだった。ファンタジーでコメディ。

※多少ネタバレあります

 大統領を目指す女性国務長官と、ダッサダサの現場重視の新聞記者が、子供の頃の縁が元でつながり始める。

 もう終始、「あり得な」くて、ずっとクスクス笑っていた。
 下品な言葉がふんだんに出てくる。でも私にとっては、こっちの方がリアルなんだよなあ。言葉遣いだって本当は悪い時だってあるし、悪態だってつく。それは誰といようともでなくて、こんな風に心を許せる相手の前でだけ。悪口だって、SNSに限らず、あちこちで気軽に誰彼となく言いたくない。傷つけたり、逆にそれほど思っていないのに褒めたり、媚びたりもいやだ。
 あまりに感情を露わにするのは特定の人の前でだけ。そしてそれがリアルな私。

 男女の絡みも下ネタも、デリカシーがなければ芸術性もなく、いろんな意味で呆れる。でもロマンチックで生々しい情熱的なのが苦手な私は、そんなシーンも笑える方が良い。ドラッグのシーンでさえも。
 深刻さのかけらもない。

 深刻な問題を知ったり考えたりしなければならないけれど、疲れちゃったよ、笑い飛ばしたいって日もあるでしょう? 私はある。

 こりゃR指定ついているんじゃないかと思って今調べたら「PG12」だった。ホントに? その程度で良いの?? しかも邦題には「僕と彼女のありえない恋」と付け加えてある。やっぱり「ありえない」って思うよなあ。

 全体的に笑えてしまうのだけど、良いなと思ったシーンが二つあった。

 一つは、親友の支持する政党が違うと知った時。
 信念が違うような気がして、主人公フレッドがその場でなかなか受け入れられない。二人で言い合いになる。
 自分の支持しない政党の、象徴となる考え方が、自分の信念と違うと感じるのは当然だ。だけど目の前で親しくしてきた親友は、それと関係なく素晴らしい友だったはずだ。
 支持する政党の違いが、友情に影響があるのか? 今まで築いてきた関係、積み重ねてきた楽しい思い出を崩してしまうほど、それは「友として受け入れられない」ほどのものなのか? 

 何故今まで言わなかったんだとヒステリーを起こされて、親友のランスが言う。
 「言えば、オマエはこうなるだろうってわかってたからだよ!」

 ランスの方がフレッドに対して理解があった。フレッドがどんな人間かも含めて。指示する政党が違っても、相手との違いを受け入れていた。それは白人であるとか黒人であるとかも超えたい思いがあったからかもしれない。フレッドはランスに対して差別意識が多少でもあったと気付き、自分を振り返る。

 人を許すって何だろうと、全体を通して訴えてもいる。

 スキャンダルの何を許して、何を許してはいけないのかを、こちら側が考えさせられる。
 やみくもに叩く最近の風潮に、きちんと一つ一つの事柄を自分の頭で考え、自分の言葉で表現しているかとの疑問を投げかけられる。人間の何が本当は大事なのか。

 本当は骨っぽい部分もある映画なんですよーと、笑っている私たちが笑われているかもしれない。

 もう一つ、ストーリーと関係のないちょっとしたシーン。

 フレッドが「キミと少しでも知り合って素敵な時間を持てた」と言った時。シャーロットが同じような言葉を返す雰囲気を出すと、「言い返す必要ないから」とフレッドがすぐに言うところ。

 社交辞令じゃなくてもやたらと褒め合うとか、「素敵」のやりとりなんかを、ごく自然にサッサと「そういうの要らないから」と言うフレッドがとても良かった。その気持ち、すごくわかる。良いなと心から思ったら積極的に褒めたいけれど、時々気持ち悪く思うやり取りには、疲弊する。彼はサッパリしていて、でも自分の心はわかっているから、相手の気持ち云々じゃなく、ちゃんと伝える。

 下品で人間臭くて笑える、可愛くて、ちょっとだけロマンチックなファンタジー。こういう映画を、笑いながら一緒に観れるのが夫であるって幸せだなと、エンドロールを眺めながらかみしめた。

#映画 #感想 #ロングショット #コメディ #考え方の違い  


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