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背伸びをして見回すと

 コーヒーをいれようと、やかんのお湯を注いでいると、持つ右腕がだるく痛くなってきた。ふりそでと呼ばれる下側も、反対の上側も。
 こんなことで痛くなるほど筋力が弱ってしまったのか。

 「歳を取ると筋肉痛が遅れて来ると言うけどそうではない」と、どこかで誰かが語っていたのを思い出していた。

 身体を動かさなくなり、使う筋肉が減ってくるから、少しの運動だけで筋肉痛になる。少しの運動とは、ほぼ無意識の動作も含まれるらしい。だから運動した覚えもないのに翌日に筋肉痛がやってくると「これは何の? そう言えば何日か前にあんな動きをしたな。あれのか! 遅いな!!」と思いこむとのこと。本当は前日の動きによる筋肉痛なのに。
 といった内容だった。ちょっとした動きがいちいち負担になってきている。もっと歳取ってくると、こんなことだらけなんだろうな。

 それにしても腕がだるいわ。
 コーヒーをいれるために注ぐやかんって、側面に沿わせるように取っ手がついている。オシャレに見せるためにあんな形をしていると思っていたけど、きっと合理的でもある形なんだ。
 今の、ふたがある上側に取っ手があるやかんにしてから、すっかりオシャレケトル(オシャレのためではないと言ったところだけど)から遠ざかっている。お湯を細く注げるようにもなって、もうオシャレケトルである必要なんてないと思っていた。
 でもコーヒーをいれる時ってだいたい夫。自分でいれる時は、簡易のパック。1杯~2杯分なので、もうただの苦いお湯だってかまわないのかもしれない。甘ったるいジュースもいやだし、夕方にはルイボスティーを飲む。朝はコーヒーを飲みながらの作業が、落ち着くしそれでいて頭もよくめぐるし、はかどるのでとても好き。
 それほどまでに「うわぁ~良い香り!」と実感しなくても、そこそこでかまわないので自分の時はぞんざいになってしまう。
 でも夫が出るまでに時間の余裕があったり、休日だったりは私がいれる日もある。
 めったにないので、やかんのお湯の重さが気になる。

 そうだ。夫はふだんどのくらいの感覚なのだろう。
 筋力のちがいについてはさておき、夫の背の高さに近づくべく背伸びをしてみる。


 わあ。ラクだ!

 少しの差なのに腕がラクに感じる。
 気分が良くなって、ふと周りを見回してみる。
 あっ。視界が広がる気がする。
 ほんの少し見下ろす感覚。

 背伸びをして変わる高さはたった7~8センチのちがいらしい。でも自分が167~8センチくらいになるとこんな風に世界は見えているんだと新鮮だ。その感覚が面白くて、何度も背伸びしては、ペタンと元の高さにもどる。背の高い人は良いな。理由もないけれど見える風景にそう思ってしまう。見えている物は同じで、ほんの少し角度がちがうだけなのに。つま先立っている間は夫の普段の目線も体験できる。そうか。こんな世界を生きているんだ。

 気が付くとコーヒーポットの方には、なみなみとコーヒーが注がれている。また元の高さに戻って、日常も戻る。

 最近面白くて、時々背伸びをしては部屋を見渡している。



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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。