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「きみの友だち」を読んで思い出した私の友だち

 フォローしているMaiさんが、読書家な方で本をたくさん読む。年始に、彼女が昨年読んだ100冊から、興味を持ったものを読んでみようと思った。

 そして、重松清の「きみの友だち」を選んだ。ここ7~8年くらい、本を読むことから離れていたので、時々こうやって人のおススメを知ることができるのはありがたい。
 Maiさんは、この100冊紹介では羅列しているだけだが、彼女のお気に入りの海外ドラマ「This Is Us」の説明なんかは、ドラマを知らない私でも読んでいて「なるほど」と面白く思う部分が幾つかある。「この映画を観ていない人にとっては、つまんないだろうなあ~」っていう、私の映画の感想とは一味も二味も違って、観ていない人たちにとってもわかりやすいです。さらに、彼女の「バッタモン家族」も感じるところが多い。彼女の文章は、どんな内容でも客観的で整然とまとめられていて、明るくて力強い。他のもおススメです。

 さて、「きみの友だち」について。
 私の映画を観た後に書く文章も、結局いつもこんな感じなのだけど、この本についても、内容のことより、思い出したこと、感じたことについてになってしまいます。
 
 今回は、一人の友人について。

 ニュージャージーから小学校1年生の途中で帰国した私は、3年生になる頃、兄の中学校の関係もあって引っ越し、転校した。そこで女の子にしばらくイジメられた。何度も鉛筆を全部折られ、ケガさせられ、傘を取られ、とにかく言うことを聞かされた。聞かないと惨めな恥をかかされた。

 でも当然いじめられるのがイヤだったので、そのうち私はできるだけその子から離れるよう、気を配った。眼中からいなくなろうと、物理的に近くにいないようにし、近くになっても言うことを聞かないように、流すようにした。

 彼女のイジメるターゲットは次々変わっていったので、私がそういう態度でいると、私はようやく眼中になくなったようだった。でも私は段々孤立させられていた。

 だいぶ解放されていたある日、イジメられた女の子に言われて、別の子へのいじめに加担してしまったことがある。「ある場所に来て」「みんな来るから」と呼び出された。行かなくてもいいのに、油断していて何だろう?と呑気に行ってみると、一人の女の子を輪になって責めていた。びっくりして、立ち尽くしていると、私がどう思うかと意見を求められた。「私は知らないけど……本当にそうだとしたら、良くないんじゃない?」ということを小さな声でボソボソと歯切れ悪く言った覚えがある。輪の中にいた子は泣いていた。彼女が何をしたのか覚えていない。でも責め立てている内容が、良いことだろうと悪いことだろうと、皆で責めているこの状況がわからない。自分もイジメる側と一緒になってしまった。

 もうウンザリだった。何となく一緒になって責めた自分にも。

 何だかわからないのに、自分がイジメられるのが怖くて、人を泣かすなんてやってられないと思った。
 もう私は誰とも仲が良くないし、学校で一人になったってかまわない。もうみんなと一緒になって何かをするなんてごめんだ。と強く思った。

 それでもう完全に一人になった。
 ただ毎日、授業を受けて、班の子と会話して、イジメっ子と関わらなければ良い。そうしたら人のことをイジメる場面にも加わらないで済む。私には私の世界をこれ以上傷つけたくない。そう思って残りの小学校生活を送ることにした。
 修学旅行の一人ぼっち感たら、今思えば胸が痛むけど、イジメられるのもイジメるのもいやだから、一人で構わなかった。周りに何と見られても知るもんかと思うようになった。

 それより私には失ったものが多すぎると気づいていた。幼少期の私はこんなじゃなかった。少しでも自分を残しておくために、一人でいる方が断然良かった。
 多分、このころの自分があったから、今も私は自分がどうしてもという時には思ったことを言葉にできるのだと思う。自分を大事にしたい思いは、このころから強く意識的になった。ただ具体的にどのようにしたら良いのかという方法は長い間わからなかったけれど。

 当時の救いは、他の女子グループだった。オシャレや流行に関心があり、大人っぽくて、モテる男の子たちと仲が良い、ませた女の子たちがクラスにいて、そういった人たちには可愛がられていたと思う。でも彼女たちのような流行やオシャレには全然関心がなく、決定的に‘幼ない’雰囲気の私は、仲間に入れなかった。休み時間とか休日とか特別に仲良くするわけじゃなかったけど、イジメっ子に関係なく私に話しかけてくれて、同じ班になったら一緒にフザけてくれた。何度かイジメっ子から守ってもらったこともある。私は彼女たちが好きだった。

 6年生になったら、私の学年の生徒が、引っ越しなどでたくさん転校し、1クラス分近くの生徒が減ったために2年に一度のクラス替えが、この年は行われた。
 そこで、イジメっ子と離れ、輪の中にいて泣いていた彼女と同じクラスになり、私たちは少しずつ仲が良くなった。彼女はその頃のことを責めずに私と仲良くしてくれた。彼女は本来、私よりずっとはつらつとしていて元気が良く、サバサバしたタイプだった。物事もハッキリ言う子だった。なのに以前の私のことを責めないでいてくれた。彼女と友達になって、私は初めて心から小学校生活を楽しめた。
 彼女とは、私のせいで一度だけケンカをしたこともあるけれど、それ以外はいつも仲が良くて楽しかった。休み時間になると、学校の中で一番に運動場に飛び出て、気に入っている場所のブランコを取りに行き、夢中で遊んだ。時には運動場の隅で静かに語り合った。私が受験勉強していることを知っていたので、家に帰ってから遊びに誘うことなく、そっとしておいてくれた。
 私の受験勉強が終わったら、毎日、放課後にお互いのウチを行き来し、遊んでフザけて大笑いして残りの一か月を過ごした。彼女はちょっと遠くへの引っ越しが決まっていた。

 その後、手紙を少しやり取りしたけれど、若い私たちはお互いの環境の違いを埋めることができずに、少しずつやり取りがなくなっていった。

 時々思い出す彼女のことを、「きみの友だち」で、また強烈に思い出している。彼女にもらった小さなガラスの入れ物、まだ持っている。
 サッパリした彼女は、きっと笑いながら元気に暮らしているんだろうなと想像するようにしているけど、彼女にも会いたい。彼女とは多分、今までの積もる話をすることはない気がする。ただ、あの輪の中にいた時に私が加担した一言を発してしまったことは一度も話していないから、彼女が覚えていようといなかろと、私の気が済まないから謝りたいという気持ちがある。そして今、彼女自身が幸せだと感じて暮らせているか、元気かどうか、会ったらそれを聞いてみたい。

 「きみの友だち」を読んで、思い出したのは、‘みんな’の存在とイジメられたりイジメることに加わってしまったりした自分。一人になることを選んだ自分。そして一人の大切な友人のこと。
 まだ感じたことがあるので、それは明日。

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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。