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50過ぎて母から再びピアノレッスンを受けてみている

 母が以前の投稿を読んだようだった。
 私が何を書こうと、そこを通じて何かを訴えかけようとなんかしてないから、直接話す私で充分と思っていて良いから。と言っていたけど、やっぱり母はヴァイオリンとピアノを教えていたわけで。リモートで「どんな楽譜なの」と聞いてきた。

 幼少期、母のレッスンはとにかく厳しくて怖かった。音楽の道は、そう簡単じゃないと伝えてくれていたのかもしれないし、母個人的な思いから、その道に進むのを私に「あまりおススメじゃない」と言っていた。「どうしても好きで進みたいなら応援するけど」と。だから私が「やめたい」と言うと、すぐ「あらそう。良いのよ」とやめさせてくれたし、「またやりたい」と言うと、「あらそう。良いわよ」と教えてくれるのだった。
 「他の人に習った方が良いのに」は何度か言ってくれたけど、私は「母でこんなに怖いんだったら他の人でコレは耐えられない」と思って「ママで良い」と話していた。
 でも実際は、他の人の方が甘いんじゃないだろうかと今となっては思う。

 今回、母が「どんなの?」と聞いてくれたから「見て見て」と私も嬉しくなってパソコンの画面越しに楽譜を見せる。
 見ながら音符を読むので「そうそう! そんな曲よ。さすがあ~!」なんてつい軽口たたきながら、細かな部分を質問する。

 私のやらなくなる理由も細かに伝えた。ほら、こんな音、ド、シ、ラ、ソ…って一つ一つ数えるようにしないと私、初見が読めないんだよ。遅いの。それでやっと少し弾けると、もっとできるはずー! って何小節か進みたくなって、やっぱりできないやってイヤになっちゃう。
 うんうん相づち打ちながら母が言う。「わかるけど、焦らないのよー焦らないー。一回で2小節でも良いから。一週間で4~5小節で良いの。確実にまずそこまでね」

 お。宿題なのかい??

 うれしくなってくる。じゃあがんばる!
 もうこうなると完全に子供の立場で親に甘えている自覚はあるのだけど、ありがたい。やる気が出るってものだ。

 練習し始めると、過去にピアノレッスンを母に受けていた幼少期や、自分で練習していた時期を思い出す。

 私はそれほど上手じゃなかった。楽譜もきちんと読めないまま、よくわからない部分は母に弾いてもらってイメージを覚えて弾いた。
 それでもそうやって練習のコツは覚えて、ある程度の名曲は弾けたのだ。
 ピアノは上手でなくても一応弾けるといったふうに。

 でも今は全然だ。何も覚えていないし、「上手じゃなかった自分」がひょっこり現れて「ねーねー」と私の肩をたたく。あんなところやこんなところが全然だったよね~って。

 「弾けた」過去のちっちゃなプライドは捨てちゃおう。大して弾けもしないのに、勝手に先に先に行こうとして、うまくできないからやめてしまう。ーを繰り返していたではないか。私の弾きたい曲は他にもある。そのために今は目の前の、弾きたい一曲を仕上げる。
 そしてその一曲のために、まずはたった何小節かを次の週までに練習する。

 そこから始まるのだ。

 友人に「えっ。あの曲? 難しいじゃない無理無理」と向けられた言葉も、私の心をほんのり熱くする。
 なんで難しいと、無理なんて言うの。弾かないと弾けるようになんかならないんだよ。やる前からなんてことを言う。

 そして実際に弾き始めて思う。そこまで難しい曲じゃなかった。それは私にとってじゃなく多分ピアノ曲として。どうやら楽譜も簡単な方を購入したようだ。だから弾いてみたらできそうです。って今度会ったら言うんだ。
 弾き始めるまで、ずいぶん時間かかっちゃったけどさ。

 今はリモートで画面越しに母に質問しまくって、上手な人の動画見て、宿題のところまで何とか弾けるよう少しずつ進めている。簡単なはずなのに、なかなか動かない指と覚えられない鈍さ。それでも母は褒めながら私を育ててくれている。亀のようにおっそいおっそい歩みでも私は前に進めたらそれで良いんだ。
 お互いちょっぴり歳とったね。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。