いい歳したおばさんになってからも、夢中なことってできるんだ

 「#とは」がお題になっている。大好きなものを書いた投稿をどうぞと。そんな自分本位な内容を、公に「#」をつけてアピールして良いものなのか。
 と思ったけど、自分本位な内容にまみれている私のこれまでの文章を考えると、今さらちゅうちょすることもないか。思いついたことは二つある。今日は一つ目を書こう。


 観る映画の多くが、アベンジャーズものになっている最近。時々書いているのだが、私は元々こういうタイプの映画がとても苦手であった。苦手だったのに、ハマっていくさまを赤裸々に綴っている。

 前回、前々回、二回にわたって、ぽっちゃんと落ちた音が聞こえるくらいの私のハマりっぷりをしつこく書いた。というか、二回ともほとんど同じことを書いている。タイトルが同じだから、少し違うことを書いていると気づいていない人もいる気がする。まあ良いのだ。実際、ほとんど同じことを書いているわけだから。二回に分けたのは、日が経っても頭から離れないで困惑している様子を表現したかっただけなんです。今では、ぽっちゃんとハマってから、とっぷんと浸かって、そこから決して這い上がろうとはしない。温泉を味わうように、ご機嫌でじっとそこにいる。

 私は47歳になろうとする、世間で言えば「おばさん」という立場である。好きな物ごとはたくさんある。でもいつの頃からか、私には「夢中!」になるものがなかった気がする。「夢中」というのは、人によって様々な定義があるだろう。私にとって、好きなことと「夢中」であることは区別がある。好きな物事は「好き」で完結している。夢中なことは、好きプラス、そこから離れている時間でも日常にハリを与えてくれるものだ。ハリがあると、顔までツヤツヤになりそうな気がする。なれば良いのに。そのことをつい考えたくなり、さらにもっと知りたくて能動的に動いてみるものが、私にとっての「夢中」。


 若い頃は、一つ一つの物事が、好きと同時に夢中だった気がする。それが野球観戦だったり、映画だったり、漫画だったり、テレビの中の人であったりしても、夢中になって、その人やそれについて調べたり覚えたり、何もかも知りたい! という気持ちがあった。もちろんワクワクしていたと思う。

 いつからそういうものがなくなったのだろう。

 結婚する頃からなのかな。ハッキリとはわからないけれど、目の前の生活で精一杯なのと、目の前の人物たちが興味深過ぎてもうそれだけで面白くて、お腹いっぱいだったのかも。それに好きという気持ちは「同じように」好きではなく、変化していくものだ。年齢を少しずつ重ねても、目の前の家族や日常の中に面白いことはたくさんあるものだし、日々の暮らしや家族に深い愛情はあっても夢中とかそういうものとは無縁になっていく。それを自然に受け入れていた。よくテレビで、タレントに夢中になるおばちゃんたちとか映っていても、「エネルギーあるなあ」「好きなんだなあ」としみじみするくらいで。自分にはそういう気持ちはないと思っていた。何となく一生ないだろうと。

 普段の私は音楽もお笑いも漫画もゲームも映画も好きという、ほんのちょっとオタク気質の中で、でも入り込みきれずにうろうろフラフラしている。もちろんその中や、それ以外にも特定のファンがいたりして、それぞれにみんな大好き。だけど、「夢中」って感じとはちょっと違うんです。「楽しいから遊ぶ」「好きだから手に取る」。音楽やお笑いのライブも「行けたら行く」、テレビ「忘れてなかったら観る」。その時その気分なら。そりゃもちろんそれと相対している時は、とても良い気分になる。けど、もしチャンスを逃しても、まあいいや次があるわ。と思ってそれほど執着がない。

 そんな日々を当たり前に暮らしていた中に、「ガーディアンズオブギャラクシー」が入り込んできた。1を観て、2を観て、それから大好きになった。軽妙なやり取りや、絶妙なタイミングで入るカッコいい音楽。怖いシーンも残酷なシーンもカッコ良く描かれちゃうところ。そして時に描かれる美しい世界と、優しく強いお互いの関係。色々なところに惹かれ、愛おしく思った。


 その延長上で「アベンジャーズ インフィニティーウォー」に出会った。そこで思いがけなく、その世界には深い背景と共に相当な広がりがあることを知り、さらにあれもこれも知りたくなっていった。あの登場人物、この登場人物、ここに至るまでの経緯。気が付いたらもう夢中なのだ。知ったところですぐ忘れていくのだけど。どうにも覚えられなくて。覚えられないけど知りたい。


 これが私の心のハリみたいなものになっていった。ネットで情報を目にすると、おお! とかへー! とか心の中で簡単に歓喜の声が上がり、グッズまで欲しくなってお小遣いを少々使ってしまう。気分が若くなっているのがわかる。色々詳しい今の若者と同じように、とは、おこがましくて言えない。でも20年以上前の私の気持ちだ。つまり、今の若者と同等ではなく、自分のワクワクする気持ちを20数年ぶりくらいに、思い出している。

 それを生活のハリになっていると自覚して間もなく、ジェームズガンの件があり、ひどくショックを受けた。改めて「こんなにも私は楽しみにしていたのか」と思い知った。
 ジェームズガンによるガーディアンズ3が観ることができないかもしれないことは、ここに今、書き尽くせない残念さがある。もう見守るしかやりようがないが、彼の活躍は心から願っている。 

 ガーディアンズが、この夢中な気持ちを思い起こすきっかけであったことに対しても私は心から感謝する気持ちでいっぱいだ。少しずつアベンジャーズものを消化し始めているが、まだまだ作品はたくさんあるので、慌てずゆっくりだけど観ていこうと思っている。

 ワクワクは続いていく。


#映画 #MCU #ガーディアンズオブギャラクシー #中年

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