「シビル・ウオー」観て、友情、正義、復讐心、あらゆる「葛藤」を思う

 アベンジャーズの「シビル・ウオー」を初めて観た。
 観終わった瞬間、「何だか申し訳ありませんでした」と謝りたい気分になった。


 何に対して、何故、謝りたい気分なんだとしばらく考えてみたが、ちょっと時間が経ってわかってきた。「シビル・ウオー」、めちゃめちゃ面白かったのだ。すごく興奮したし、大人の世界を見せられたし考えさせられた。直後の最初の感想は「すごかった!!」だったけど、すぐに「ごめんなさい!」という気持ちになったのは、このシビル・ウオーを知らずして「マーベル作品にハマった」なんて、よく言えたものだと自分で思ったのだと思う。

 今まで何だか申し訳ありませんでした。

 そりゃ「インフィニティーウオー」ですごくあれやこれや考えて、考えていくうちにあれもこれも観たくなって、少しずつ消化していっている自分はハマっていると言えるだろう。前に書いたように、ワクワクが止まらないことも本当だし、あれもこれも観たいし、それを年月かけてゆっくり何度も味わうつもりだし、すべてを観ていくことも楽しみで仕方ないし、そのすべてのきっかけは「ガーディアンズオブギャラクシー」であるし。


 だけど、「シビル・ウオー」は、あらゆる作品につながっていたことを初めて知った。「シビル・ウオー」を観た上で、前後に、「スパイダーマン」だの「ブラックパンサー」だの「アントマン」だの観たら、そういった映画を観ながら「?? これはきっとそういうことがあったんだろう」っていう勝手な想像や疑問が随分減る。「きっとそういうことがあったんだろう」「まあ良いや、そういうことになってるのね」と適当に流すのが私の映画の観方なので構わないのだけど、知ってしまったら、あれもこれもつながって、面白くて仕方ない。あの映画のあの人がここにいるとか、あの映画でよく聞いたあの言葉はこの意味かとか、そう思うことがとても多くて、また他の、今まで観た映画を観直したくなってしまった。

 やっぱり私はマーベルの戦略にやられっぱなしだ。

 ああそして満更でもないとか思ってしまうのが、完全にハマっている証拠なのだ。

(※ここから先、ネタバレあります)

 ちょっとだけ知っていたことはある。
 内部で対立するということは見聞きしていた。だけど、どうやってそうなるのかなと想像がつかなかったし、まあ色々あるものだよね~という程度にしか考えていなかった。

 でも思ったより深刻だった。分裂が深刻なわけではなくて、お互いがお互いの気持ちを理解しているところが深刻だ。理解しているけど対立しなければならない。お互いの力が激突するところはすごい。だって皆の特異なパワーが対峙するのだから。致命的なことはしないけど、というか普通は致命的なことだけどお互いを信じているから致命的なことにはならないと思っての精一杯をやっている。抵抗できないまでにはかなり徹底的に戦う。首に力入ってしまうほどの迫力だったし、お互いの力を認め合っているところも感銘を受けるし、認め合いながら戦う姿はそれ故に深刻だと思った。スパイダーマンとアントマンが戦闘シーンでもミーハーでマーベル好きなことを発揮、アピールしていることがちょっとコミカルで、息が詰まるところを緩和してくれていた。


 終盤の、アイアンマンとキャプテンアメリカ、親友バッキーとの戦闘シーンはもうなんかもう!……壮絶……。この内部での対立は、アベンジャーズではない人の仕組まれた罠でもあったわけだが、でもなるべくしてなったとも言えるだろう。いずれ問題になることでもあったと思う。

 社会の秩序と正義や友情との葛藤。

 「正義」については、考え始めるとキリがない難しい問題なのだけど、今のところ私は『ワンダー』(R.Jパラシオ)から「正しいことと親切なこと、どちらか選ぶ時は親切な方を選びなさい」というような言葉が好きだ。現実世界、一般民にしたらそれで充分。
 でも映画の中の世界、そしてアベンジャーズの背負っているものは違う。
 違うけれど、現実世界の私たちにも考えるべきことはあるだろう。
 夫が「どっちの人間だろう。社会で生きていく上で、キャプテンアメリカ側かな、それともアイアンマン側かな」聞いてきたので少し考えたけど、「多分どっちの側面もあると思う」というありきたりの、身も蓋もないのことしか言えませんでした。でもそうしか思いつかない。きっとみんながどちらの面も持っていて、そこのバランスを葛藤しながら、その時その時で判断しているのだろうと思う。
 もしこのアベンジャーズの立場に立って、そこの判断をせまられたら。
 と思ったけど、まず私はアベンジャーズでもない。その判断をせまられていないから、リアルに考えられるはずがない。やっぱりその時その場で、その立場になって考えてみることだろう。


 もう一つ。
 家族の愛情がある故の、復讐心というものもテーマになっていた。

 これはマーベル作品の、というか映画の多くが、というか人類におけるテーマだろう。復讐心に支配される瞬間は、きっと誰もがあるのではないだろうか。そういうことがいけないとは思わないです。でも復讐心を実行に移すことは新たな復讐心を生み、連鎖するだけだ。きっと乗り越えなくてはいけないものなのだろう。愛する家族が奪われたとしても。簡単に乗り越えられるものではないとしても。嫌いなままでも良い。その気持ちが生まれてしまう瞬間に強いエネルギーが出てしまうこともなかなか避けられないことなのかもしれないけれど。それをどのように消化するか。アベンジャーズたちはそれを、身をもって見せようとしてくれているのだと思う。

 壮大なテーマを、大きなスケールで描いた「シビル・ウオー」は、あらゆる映画へのつながりとして、マーベル作品特に今のフェーズ3を知る上で観ておいた方が良いと思った映画でした。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。