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信じていたサンタさんがバレても

 クリスマス当日なので、朝起きたらツリーの近く、家族でそれぞれのプレゼントを開けるお楽しみがある。でも平日だし、家族三人してものすごく日常が流れている。買い物に出ると、小さいお子さん連れの家族は冬休みモードで、親は大変だろうに何だか楽しそうに見えてしまう。クリスマスなんだな~。
 こんな日は、サンタさんの思い出について書きたい。


 幼少期、クリスマスプレゼントは、12月入った辺りから人にもらった物をツリーの下に飾っていた。サンタさんもツリーの下に置いて行くシステム。だけど。ウチは「良い子にしてたらもらえる」とかそういうことを言われたこともなく、ニューヨーク市で「メリークリスマス!……寄付してちょうだい!」と、あからさまな偽サンタさんと出会ってしまったのもあり、私は全然期待しないつまらない子だった。でもどこかで「いるのではないか」と思っていました。きっとサンタさんにお願いした子には配られるのかなとか、そんな風に。
 それで一度試してみようと、小学4年生くらいの頃、「カメラがほしい」とツリーの下に手紙を書いて置いてみた。次の日の朝、さらにその次の朝と見たけど何も変化はない。「やっぱりいないよね」と思いかけたある朝、私の置いた手紙と違う紙が置いてあるではないか!

 興奮して読んでみると、

 「慌てて探したけど忙しくてね、キミの望んでいるプレゼントは見つからなくて用意できない」といった内容だった。

 あ~そうかあ。要望の手紙がクリスマスに迫り過ぎていたのかあ……と思ったものの、返事があったということが、自分でも驚くほど嬉しかった。

 でも母にアピールしていると、どうも普段よりニヤニヤしているので、ふと気が付いた。

 この字……。見覚えがある。

 ……父の字。

 どうりで「しもやけがかゆくて」とか「薬が見つからない」とか、人間くさいことが書いてあると思った。
 だけど父の気持ちが嬉しくてずっとその手紙を持っていた。

 そしてそうやって「サンタさんいなかった」とわかった時に、ただの落胆に終わらないことを知っているため、自分の子供にも精一杯やって、楽しんでもらおうと思った。

 プレゼントは、手紙に書かせてどれが欲しいかを知っておいた。もっと幼い頃は、目の前で代筆、宛先は一応ネットなどで書かれてある住所を書く。

 我が家では、やはりプレゼントはツリーの下。前夜から電球をつけておけば、サンタさんが気づいてプレゼント置いて行ってくれるよ、と勝手な発想で話していた。寝る前には、その時すでに置いてあるプレゼントを確認して寝てもらう。
 そして朝起きると「新しい箱がある!!」と驚く息子を見て、内心ぬふふふと笑う。


 小学校3年生くらいですね、疑いをあからさまに向けてきたのは。「どうやって入ってくるんだろう?」「たくさん子供いるのに、どうやって配るんだろう?」。

 こちらもあれこれと知恵を絞って言っていたけれど、ネットを見ていると、皆さんも「信じさせよう」と躍起になって、色々手がこんでいる。朝方少し窓を開けておいたとか、インターホンにサンタの恰好で写り込んでおくとか。庭の積もった雪に二本の筋を入れておいて「ソリの跡がある」とかわざわざ教えたり、何の気配もないのにお父さんがさも驚いたかのように、窓をいきなり開けて外に向かって「誰だ!」と大声を出したり。皆さんの苦労が垣間見られて大笑いさせてもらった。


 そうまでして信じ込ませても、子供は気が付くもので。そうなった時は「やっぱり」という気持ちと「やりやがったな」という気持ちがまぜこぜになったニヤニヤを向けてきました。バレた時、それはそれで子供の成長を感じるのか嬉しい。

 息子に「ガッカリした?」と聞いたら「いや面白かったよ」と言い、年を追うごとに強くなっていった疑いの気持ちの動きなんかを詳しく話してくれた。大人のいたずらに、子供が笑ってくれているという感じでしょうかね。
 大人になってからも思い出してほしいことの一つです。


#エッセイ #思い出 #クリスマス #サンタさん #子供  

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。