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「1万人の第九」は、カタマリじゃなかった

 年末の「1万人の第九」と言えば、一度は目にしたことある人が多いはず。

「大阪21世紀計画」の賑わい拠点となるべく誕生した大阪城ホール(=1983年)。その完成記念として「大阪城ホールの完成は年末。
年末といえば第九。いっそ1万人で第九を歌うのはどうだろう?」―そんなアイデアから『サントリー1万人の第九』は産声をあげました。
当時のサントリー社長、故・佐治敬三がクラシックファンであったことも手伝い「面白い企画ですね」と快諾。

「1万人の第九の歴史」より

 こうやって始まったそうだ。

 初年度の最年長参加者は、79歳の男性。最年少は9歳の少女。

 と書かれているけど、当初は知ったところで「へぇすごいね! 楽しそう」くらいしか感想はなかったと思う。
 1983年が最初ってことは私が12歳の頃だったのか。だいぶ他人事だったなあ。長年、気付けばみんなで歌っている映像が年末に流れているイメージ。
 
 ちゃんと座ってじっと観ることはなかった。ずーっと。
 
 
 時は経ち、2015年。いや、忘れていたからさっき調べた。2015年だったんだ。ついこの前じゃないか。
 「街角のクリエイディブ」で、田中泰延さんのコラムを読んだ夫が教えてくれた。
 「今回のすごかったよ」

 (載せて良くないようでしたら消します)

 映画感想のコラムでは、ほぼ毎回大笑いしながら読んでいたけど、その時ばかりは笑いながら鳥肌を立て、読み終わる頃には泣いていた。
 「あそこにヒロノブがいたんだ!(夫にとっては年下だし、私たち夫婦にとっては有名人だしで呼び捨てで)」夫も感動している。
 今読んでも笑いと感動でドキドキしちゃう文だ。
 
 それでも「気付けばみんなで歌っている」イメージはなかなかくずれなくて。当時は二人でそのコラムに感動し、そうかそうかと言い合っただけだった。
 それは私たちにとって遠い存在だったからなのかもしれない。

 そう思ったのは、今回、だいなさんのnoteを読んでから。

 
 ええーダンナさん、参加するのー!
 フォローして読み続けていると、勝手にその人を身近に感じるものだから。
 
 読んでみると、私が思いこんでいた「その道のプロたちが歌う」感じではなさそうだ。田中泰延さんだって、本人そうとは書かないだけで実は特別お上手なのではと勝手に思っている。
 でもだいなさんの文からだと、謙遜にしておられるにしてもプロというわけではなく。

 ただ

一度でいいから、ベートーヴェンの第九に参加したい

 そんな思いを持っていらした。
 それがもう特別の始まりなんだけどね。
 夢として持っていたのだから。
 そして応募してみたのだから。

でも、ドイツ語の発音も分からんし、練習も大変そうや

 そうおっしゃりつつ、練習に励んだそうだ。様々に素直な感想を持ちながら練習に臨む様子がよく伝わる。
 そしてだいなさんの、あたたかくガンバレーと見守り応援する気持ちも伝わってくる。
 
 本番当日も投稿があった。

 ああお元気そうで良かった。どんなに気をつけていても体調悪くする時は防ぎようがなかったりするからね。
 だいなさんが「受験当日のお母さん」のような気持ちでおられるなら、私は近所のおばさんだ。
 アラいよいよ今日なのね。うまくいくといいわねえ。
 責任ないくせに余計なお節介で、動向は気になってしまう。
 
 そしてテレビ放送された16日、歌う部分は腰を落ち着けて観られた。
 

 1983年に始まってから、社会全体で様々なことがあった。
 阪神大震災の年は開かれるか話し合われたそうだけど、「地元から元気を出していこうとの思いから「鎮魂・復活・希望」をテーマに開催」されたのだそうだ。
 その後の様々な災害があった年も、「鎮魂・復活・希望」の精神で続けられてきたのだろうと思う。

 2020年、緊急事態宣言が出てから人々は集まれなくなった。
 当時もしっかり観たわけではなかったけど、リモートで、それぞれの場所から歌っている姿に泣きそうになったのを覚えている。みんな確かにそこで生きていて、日々暮らしていて、会いたいねの気持ちをたずさえて。
 また集まれる日が来るのだろうか。当たり前だった日常は戻ってくるのだろうか。

 昨年は集まれたものの、感染対策で2000人に減らしていた。

 つまり1万人が集まれたのは4年ぶり。
 

 今回、これまでと見方が全然ちがう自分に驚いた。
 以前までの、失礼ながら「プロとか合唱団とか、普段歌い慣れている人たちなんだろうなーみんな好きなんだなー」程度の気持ちではない。
 だって知っている人(厳密には、ただ文を読んで、たまにコメントするだけなのだけど)のダンナさんがこの中に!

 そこにおられる彼らや彼女らに家族がいて、応援されている背景を感じる。

 だいなさんのダンナさん。もしかしたらあの人かもしれないし、この人かもしれない。この頭かもしれないし、そこの肩かもしれないし、豆粒みたいに小さいけどあそこに見えている人かもしれない。
 きっとみんな放送を観ながら「あっ映った!」とか「この辺で歌っていたんだ」とか感じたり話したりしているのだろう。
 それだけでもね、なんだか心揺さぶられるのだ。
 
 災害も病気もそうだけど、戦争がなくなってほしい思いは、ひときわ大きい昨年や今年だろう。
 一人ひとりの、歌詞への思いも感じて胸いっぱいになる。
 それぞれがこの日まで練習してきて、それぞれの第九への思いを歌い、コトバを感じている。文字通り老、若、男、女が全力で歌っている!

 1万人は、カタマリじゃなかった。
 一人ひとりの思いが1万、そこに集まっているのだった。

 ああすごいな。

 あの場所で歌っている人はそれを全身で感じながら歌っているのだ。誇らしく感じていることだろうな。
 
 こんな場所でこうやって歌ったらきっと一生歌い続けたくなるだろうな。

  *

 そして書き加えておきたい気持ち。
 だいなさんのダンナさんの「参加したい」思いが、だいなさんの文を読んだことでこんな風に影響を及ぼす。
 noteやってきて良かった。人と交流があるって気持ちを動かすものなんだなと改めて思う。


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