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母にとっての洋裁

 祖母が今年、大たい骨を骨折して入院した。
 
 母は長女のプレッシャーなど色々な理由が重なって、早いうちに祖父母と同居を始めていた。私が中学一年生の頃。

 祖母は、戦争に入る時期なども関係して、20歳で結婚している。だから、私たちが同居を始めた頃も、まだまだ若かった。もちろん母も。それからも、いやそれまでも母は、自分の両親である私の祖父母にずいぶん振り回されていた。気持ちが特に。

 30代になった私に、遅い反抗期が来て、私が親子関係を勉強したり家族関係の本を読みあさったりしてみると、母もまた苦しんでいると気が付き、お互いにずいぶん多くを話してきた。同居は少し早すぎたかもしれないことや、それでも仕方ない事情が重なったことなども含めて。

 母は段々と、自分と自分の母親との関係を「考える」ようになったと言う。

 でも5年ちょっと前くらいからだろうか、祖母は、少しずつ認知症が始まっており、それと向き合う母もイライラをぶつけるようになっていった。
 そうは言っても、同居しているためか母は祖母を話し相手として楽しんでいるところもある、と私には見えていた。帰郷すると、祖母に対して母がイライラしても怒っても、母が祖母に嬉しそうな表情でちょこちょこと話している。外で起きた出来事を帰宅後に少し報告し、祖母がどんな反応するかを、純粋に楽しんでいるように見えた。それを見て、いつまでも娘なんだなと感じた。特別に良いとか悪いとかの感情はなく、私にもそんなところはあるし、ただ「ああそうなんだ」と母の心の内を何となく思いやった。


 そんな関係が、祖母の入院で変化していった。
 祖母もそうだけど、それ以上に母が心配で、どんな様子か電話する。その度、母の様子がほんの少しおかしいなと感じていた。元々よく喋る方ではあるが、急に喋り出して止まらない様子はそれまでと少し違った。そうかと思いきや、時々反応が鈍い。一気に歳取っちゃったのかなあ、やっぱり祖母の影響は強かったんだ。そして頻繁にお見舞いに行くため、やはり身体もしんどそうだった。母だってもう70代半ばだ。


 そんなある日、母が「洋裁を習いに行くの」と言い出した。
 好奇心旺盛な母は、歳を重ねてからもちょこちょこと習い事をしては、そこにいる人たちとの付き合いがいやだとやめてきた。私もそのタイプだからとてもわかる。無理してそんな中にいることないよ、と言ってきた。
 でも始める時はいつだってワクワクするようで、それはそれで応援してきた。

 今回は洋裁。

 全国に展開する店の、一角で教わるタイプのようだ。私も多少は手芸をしていたので、その店で縫物の教室めいたものが行われているのを目にした。貼り紙など見てもお金かかるし、気後れするし、で参加したいとは思っていなかったが、友人同士誘い合わせてくるのかな、どういう集まりなのかな、と何度か気にはなった覚えがある。

 これが母にとって意外と楽しいようだ。自由な時間の使い方ができるため、あまり煩わしい人間関係もなく、性に合っているらしく。これまた私も似た部分だが、大雑把でせっかちに作りたくなるので、次々と作品が出来上がる様子。「みんな丁寧に細やかにやってるんだけど、私はもうダダダダダッ! とせっかちに縫っちゃうの。それでも何とかなるから良いの!」とご機嫌だ。
 頼んだら、写真を送ってきてくれた。

 70代の母は、母なりのこだわりがあるようで、色合いや柄など、その店にある生地で縫うので、自分の好きな生地で自分の着る服を作れるのは楽しいらしい。既存の商品で「この色がこうだったら」「柄のバランスがああだったら」とちょっとした不満を感じずに済む。

 何より、洋裁に行き始めてから、母の様子が落ち着いた。ちょっと前の母に戻った。気持ちが明るくてよく喋る母。私の話を聞いて「ふんふん」と考える母。

 家に祖母がいない日々にも慣れてきたのかもしれない。

 この洋裁もいつまで続くかわからないけど、母は縫物も好きらしい、と改めて知った。縫い物が、そんな風に母の気持ちにリラックスとリフレッシュを与える存在だったなんて知らなかった! 洋裁について話す母は心に張りができたようで楽しそう。聞いている方も嬉しくなる。

 今は遠くに住んでいるが、いつか自分で作った洋服を着た母と会ってお茶でも飲みに行きたいなあとぼんやり思い描いている。



#エッセイ #母 #洋裁 #縫物 #祖母

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。