マガジンのカバー画像

親子のこと

113
親のこと、子供のこと、その関係についての考察や自分の思い出話、などなど家族に関することなら何でも ※映画の感想については含めません
運営しているクリエイター

#育児

小包を送る喜び、受け取る楽しみ

 親からの小包。とかで検索してみて衝撃を受ける。  「要らない」。「送ってほしくない」。「欲しくもないものを」。「ストレスだ」。「愛なんかじゃない」。  そんな言葉が連なっていて、ちょっと慌てた。  自分が子供の側としてはどうだったっけ。  義母からの小包、困った時もあったよな。趣味の物と違ったり、要らない物が多かったり。  若い頃は「ホントに要らないから」って強く思っていた気がする。でもそれも遠い記憶で、いつの間にやら、段ボールが届くと「何が入ってるのかなあ~」と楽しん

親にも子供にも豊かな体験だったんだろうな~キャンプの思い出~

 もうずいぶん前の話になってしまう。  息子が小学生になった辺りから中学生になる頃まで、夏になると毎年キャンプに出掛けたものだった。川岸にタープ張って日帰りキャンプ。そして山の湖のほとりへ泊まりキャンプ。  車を1時間くらい走らせて山の中に行けば、真夏でもエアコン要らずの避暑地となる。 ***  息子は生き物に興味のないタイプだった。  夫も私も、息子を知ってから、子供に対する考え方がずいぶん変わった。  幼少期の私は、兄の友人たちと公園に虫捕りに行ったものだった。

子供への接し方を比較して、わざわざ伝えないで

 子供への接し方で、自信のある親もきっといるんだよな。  親から受け継いだ「何か」の、どこが悪いのかをわからないまま連鎖させていたり、良いと信じている部分を受け継いでいたり。  以前、その頃に人気の出始めたタレントが街頭インタビューをしていて。  マイクを向けられた人が「今、サークル(だったかクラブ活動だったか)の先輩が理不尽なことを要求してきて腹が立つ」みたいなことを言っていた。  それに対して「じゃあ今度入ってくる後輩に……」とタレントが返答を始めたので「そうだよね、自

育っていたと気づく息子の感性~絵本「よるくま」で~

「ちゅきま、白いねえ」  息子の視線の先には、白い月が空に浮かんでいた。 「おつきさま」を、その頃「ちゅきま」と言うようになっていた。  その後「黒、ないねえ。水色ねえ」って言う。  黒? 何言ってるんだろうと、息子と並んで空を見上げた。 *  今はよく喋り、気持ちを表現してくれる息子の、十五年ちょっと前。  言葉遊びや仕掛け絵本から、少しだけ文字が増えて、ストーリー性のある絵本に移行しようとしていた。  二歳くらいの息子は、人一倍かんしゃくがひどかった。周りの同

「けっこんしよう」って子供に言われた思い出

 いつの時代も、親が、まだ幼い自分の子供に求婚される話は聞く。  そういう記事を読んだり、話を聞いたりしていると、息子にも言われたなあと思い出し、昔の日記を探ってみる。  そこには、忘れていたやり取りもあって、懐かしく笑いながら読んだ。 ***  息子が、人生ゲームにハマってしまった時期があった。  途中で「結婚」のマスがあって、そこに来ると、相方として別の色の人形を車に乗せることになっている。  何十回やってきただろう。  何十回もスタートからゴールまで行き、ある日

子供の立場からの母の日と、母の立場からの母の日

 「お父さんあってのあなたたちなんだからね」ちゃんと感謝しなさい、それを形で表しなさい。  結婚して間もなく、義母から言われた。  そんなこと、押し付けられるの? 「感謝しなさい」「形で表しなさい」??  しかもそれは、母の日の前。  父親にだけ感謝っておかしいじゃないのよ。  なんだかなあ!  ……って気持ちで、先にある母の日にも何かを贈ることにした。  私はどこか冷めたところもあって、一度、割り切っちゃうと情が薄く感じる人もいるだろう。感情をぶつけられた時に、それほど怒

12月、17歳になる息子へ

キミがうれしい気持ちになる時、その瞬間 刻々と笑顔にかわっていく様子を 今も思い出せる パアッと明るくなった目が キラキラしてきて ほっぺたの前がぷっくりしてきて そのうち笑い声がもれてきて おかしくておかしくて仕方ないと 声が出なくなるほど 一緒に転げ回って笑って キミがかなしい気持ちになる時、その瞬間 徐々に泣き顔に変わっていく様子を 今も思い出せる ぼんやり開いた口が キュッと結ばれて への字口に曲がって その口にググッと力が入って 呼吸が荒くなってきて つむっ

そりゃそんな風に育てられたら良かった~子供がグレーゾーンなのかなと苦しんでいる人も読んでほしい~

 息子が1歳になる前から、札幌で行きつけだった保育所の保育士さんに「反抗期かな? 早いですね」と笑われたのを覚えている。  札幌では週に1~2回、数時間だけ見てもらっていた。夫の両親は市内だったけど遠かったし、見てもらう間柄でもなかった。私も身体が丈夫じゃなく、息子の夜泣きは0歳4か月頃から始まっていて、昼間に少しでも良いから休みたかった。    1歳半頃に今の田舎に引っ越してきた。閉鎖的で、考え方もとても保守的な土地。子供は祖父母が見ている世帯が多い。3歳まで預けられる保育

自分の子供が、思っていたのと違って良かった

 今日は風邪なのか熱が出てしまい、医者に行く以外は寝てばかりいる息子。今、高校生の彼は、機嫌の悪いこともまだまだ多いし、私をうるさく感じ、イライラすることもあるようで、言っていることを完全にスルーされていることもあるけど、穏やかな方だと思う。  でも何度か書いてきたように、息子は0歳代から小学5年生くらいまで、かんしゃくが激しくて大変だった。想像していた子育てとは全然違ったし、「男の子ってこうだろう」という概念を、ことごとく覆されてきた。  私には兄がいて、男の子ってこう、