「noteを書く」が「ググる」に並ぶ日 『noteではじめる 新しいアウトプットの教室』出版記念イベント 2019.8.26@ピースオブケイク #note本
ブログサービスの一種と思っていたら、クリエイターを意識した機能開発で急成長する「note」。解説本『noteではじめる新しいアウトプットの教室』の出版記念イベントに参加しました。
【結論】広告がないからクリエイティブに
今回のイベントで感じたnoteの魅力は3つです。
(1)わかりやすい:ブログは概念であり、始める前にはまず選ぶ。noteはサービス名でわかりやすい。
(2)広告やランキングがないから競わない・多様性がある:アクセスを稼ごうとして、検索エンジンにウケようと圧力がかかる。競わないから、クリエイティブに。
(3)LTの堀正岳さんが熱い:コンテンツが埋もれる現状への危機感が強い。
では、イベントをレポートします。
会場は、noteを提供するピースオブケイクのオフィスです。
登壇者の紹介
司会はピースオブケイクでも働く、徳力さん。
登壇者は3名です。
まず。画像の右にいる「ネタフル」のコグレさん。今回の書籍の著者のひとりです。
続いて、もうひとりの著者のまつゆう*さん。2018年12月に33万フォロワーがいたInstagramのアカウントを閉じ、2019年1月からnoteを活用するように。
そして、noteディレクターの三原琴実さん。
noteのわかりやすさ
ちょっと哲学的な言い回しになってものの、noteはサービス名。一方、ブログは概念。
ブログサービスの1種のようだけど、ブログという言葉を使わないことで独自の存在になりつつある。
コグレさんは、Googleで検索することをググるというように、noteを書くという表現を見かけると。サービス名が動詞になるのは、認知の拡大や普及を意味する。「noteを書く」はどこまで広がっていくのだろう。
コグレさんから補足をいただきました!
noteは広告がないから…
広告やランキングがあると、PVが気になる。検索エンジンからの流入が重要になり、検索エンジンや読者ウケのためのコンテンツになってしまう。
noteは、広告やランキングをなくして、コンテンツに多様性があり、コンテンツへの導線(の一部)は編集部が担う。日々公開される大量のコンテンツをひたすら読んでいる。
まつゆう*さんがnoteのやさしい空気に愛を感じるという。
ライトニングトークでnoteを熱く語る堀氏
ベストセラー『知的生活の設計』でも知られるブロガーの堀正岳氏が登場。
怒涛のトークを展開。
この燃えている青い鳥は…。
SNSや動画、大量のコンテンツの海のなかでブログはどうすればいいのか…。
(1)SNSの延長線にあるプラットフォーム:記事公開時に、TwitterやFacebookへのシェアするよう設計されている。
(2)多様なコンテンツを一箇所に束ねている:文章以外、画像、動画など、さまざまなコンテンツを発信できる。
(3)書きやすさは表現と継続へのハードルの低さ:機能としての書きやすさとともに、背中を教えくれるような「スキ」や投稿数に応じた「お祝い画面」などで書き手の気持ちを盛り上げてくれる。
徳力さんの昭和節が…
司会者の徳力さんは第一次ブロガーブームからのブロガーであり、ところどころに昔話がさく裂した。もはや「芸術」のレベルに…。
三原さんは、隣のまつゆう*さんやコグレさんに頼るしか…。
「トラックバックで、梅田望夫さんのブログから自分のブログにリンクが貼られたときは、それはもう…」
自分もトラックバックで喜んだのを思い出した。noteでは進化した形でトラックバックが実装されているのがすばらしい。
Q&Aコーナーでも…。
ぼくも共感しまくったので、同世代ですが…。
イベントの詳しい内容は、ほかのブロガーさんのレポート記事やtogetterもどうぞ!
なんと、ゲーテにはまつゆう*さんのnote活用法の記事が!
まとめ(noteをもっと気楽に書いてみる!)
noteは書き手をクリエイターとして尊重し、その気持ちを大事にして運営している。だからこそ、多くのブロガーがnoteを選ぶのだろう。
(もっと普及するために、noteを書くブロガーを4文字で呼べる愛称が欲しい。note writter(ノートライター)は長すぎる…。note writterを短くしたノトラーだと、コトラーっぽいか…。)
というわけで、今回のイベントに参加して、もっと気楽にnoteを書くことにする。マーケターの日々の積み重ねが、きっと価値が出ると信じて(コグレさんを信じて)
コグレさん、まつゆう*さん、三原さん、徳力さん、ピースオブケイクのみなさん、参加者のみなさん、ありがとうございました。
この記事が参加している募集
面白いものを見つけて写真を撮れたら投稿します。世の中、面白いものがたくさんあるのに、消えてしまうのがさみしくて。