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家族にあいさつするかしないか

おはよう、おやすみ、ありがとう、ごめんね、などのあいさつを家族にするかしないか。夫はする。私はしない。
する方が多数派で、する方が良しとされそうなのは分かってる。しない派にはいろんなケースがあるだろうけど、私の場合なんでそうなのかというと、

私の実家では、祖父母に両親に妹も含め、みんな家族間ではほとんどあいさつしなかった。皆無ではなく、父に「めんごめんご」(ごめん)と言われたことがあるし、祖父母の「ありがとね」も聞いたことがあるけど、基本はしない。べつに仲が悪いわけでも機嫌が悪いわけでもなく。どんな風かというと、

例えば親が先に起きていて子どもの私が後から起きてきたようなとき、親は無言で無反応のこともあれば、ちらりとこっちを見て“ああ起きたね”という顔だけして無言のこともある。「起きたかね」と口に出す時もあるし、「今朝はメロンパンがあるよ」といきなり朝ごはんの連絡事項だったり、「今日は大雨だに」など状況の共有や、「はい10時だに」(もう10時だ、朝寝坊だねの意味。はい、は“もうすでに”のこと)、など、とにかく日によっていろいろだった。

出かける時は「じゃあ行ってくるわ」と言う場合が多く、行き先だけ「床屋行ってくる」と告げたり、ひとこと「さんぽ」だったり、通勤通学などいつも決まった時間に出かける用事だったらだいたい無言で、何してるかは物音などでわかるのでそれで大丈夫で、「行ってきます」とは言わなかった。「いってらっしゃい」も無く、あるとすれば「傘持った?」や、「車に気をつけりんよ」などだった。

帰宅時も「ただいま」はなく、玄関で物音がしたらああ帰ってきたな、と思うだけ。「おかえり」よりも、「暑かっただら」や「いいもの買えたかね?」などいきなり会話になるのが普通だった。

何か壊しちゃったようなときも、「割れちゃった」
「ああ、まあしょうがないわ」
のような会話はするけど「ごめんなさい」を言ったり言わされたりすることはなかった。

食事は朝は各自でパンや飲み物を出して食べ、昼も夕べの残り物などを適当に食べるので特にやりとりはなし。夜は母が作り、支度ができた頃に手の空いた人から来て食べ、食べ終わった人から去る、というふうなので、「いただきます」「ごちそうさま」はない。だからといって食べ物に感謝しないわけでもなく、それなりに大事にするし、「今日のこれ美味しかったね」などは言う。

それから例えば食卓でちょっと醤油に手が届かないような時、「醤油とってくれる?」「ありがとう」というやりとりがあるのが夫の家では当たり前だったらしい。

うちの実家の場合は、誰かが無言で醤油の方向に手を伸ばすと、近くの人が無言で醤油を取って渡し、無言で受け取って使い、無言で返す、というのが自然に行われていた。言われなくても取って欲しいのわかるし、取ってあげるのは当たり前すぎてお礼を言われるほどでもないし、お互いそうだから無言で問題なかった。

ありがとうが当たり前の夫からすると、「それはあり得ない。ありがとう言わんかったら何様やねんてなる」という。そういう家だとそうなるんだろうなあ。
でも私は逆に、家族間でそんな些細なことで依頼とお礼が必要とされるって、なんて冷たい世界なの?という気さえする。何にも言わなくても伝わって助けあってるのが当たり前なほうが優しいと思うんだけど。

うちの実家だけが変なのかもしれない。ただ、婿入りした父もそれに馴染んでいたので、父の実家も似た感じだったのではないかと思う。父の実家を訪ねた時の父方の祖父母や伯父伯母のことを思い返すと、やっぱり、「こんにちは」抜きで「来た?」とか「寒いねえ」とか「柿あるけど要る?」とかの会話から始まっていたような気がする。親しい親戚とはほぼ自分の家族と同じ感覚で接していた。

自分の家の中であいさつされているのをみると、私はドラマを見ているような感じがして、何だこれ?と強い違和感を感じてしまう。タモリさんが、ミュージカルは急に歌い出すのが不自然だ、というのとちょっと似ているかもしれない。私はあいさつが出た途端に日常から演劇になってしまった感じがする。

なので夫が私に「おはよう」とか「ありがとう」とか言ってくれるたびに、それは善い行いであると理屈ではわかるものの、私はあいさつを返すどころか、耳に水が入った犬みたいにブルブルッとしてしまう。夫は“変なやつだな”という顔でもう一回「おはよう」の駄目押しをしてくるので、私はまたブルブルッとする。

「たぶん誰も共感してくれないと思うよ」と夫は笑う。

でもそれってただ夫が世間では多数派なだけじゃない?良い悪いじゃないよね?なんで多数派が善とされて合わせなきゃいけないの?それに、こどもは私と同じ側の世界観で生きてるっぽいから、この家の中では夫が少数派。
「だからお父さんには合わせられないの」
「ええ〜」

私もよその人にはあいさつする。だけど外であいさつをするとき、必ずしもあいさつ=気持ち、ではない気がする。何かお世話になったり迷惑をかけたりで「ありがとうございます」や「すみません」を言う時はその気持ちだけど、学校などで、元気よくあいさつしましょうと指導されるような時の「おはようございます」や給食の「いただきます」はむしろ心を殺して無理やり叫ばないといけなかった気がする。
外でのあいさつは、「敵意はありません」を伝えるために必要だと私も思ってるから、あいさつするけど、私にとっては結構それは気合いがいる。

家の中で家族のときは、味方に決まってるんだから確認するまでもないよね、という感じなので、あいさつが来ると、え?敵かもしれないと思ってるの?っていう違和感が生じるのかもしれない。

そんな実家で育った私は、あいさつ不要の親から見ても無口過ぎて、たまに「なんとか言いん」「返事くらいせんかね」と言われ、話す必要が少ない家の中でも口に出す言葉が足りてなかった。でも、この娘はそういうおとなしい子だから、とそのままに育った。
だから、幼稚園や学校など、なんでも大きい声で言わないと始まらない外の世界に出たときに、感じたギャップがすごかった。濁流に投げ込まれたみたいでとても疲れた。

でも、そうならないように家庭内も外と同じくしたほうがいいとも思えない。家の中は気楽で安心できることが一番大事だと思うから、自分にとっての自然なふるまいで居られるのがいい。
もし私があいさつしないといけない家に生まれてても、夫と同じ感覚に育ったかどうかわからない。とにかく声を発したくない気持ちのときが結構あった記憶がある。

こどもにも家できちんとあいさつさせようと思わない。
もし、家で猫を飼ってたら、家の中に生きた猫がいるだけでちょっとうれしくて、その猫がこっち見てたらもっとうれしいと思う。そんな感覚で、こどもが今日も元気ならいいし、にこにこしてこっち見てたら最高なので、「おはよう」とか言ってくれなくても私は何も問題ない。偏食の子がご飯を吐かずに食べれただけで一安心なので「ごちそうさま」もなくて大丈夫。

夫が「おう、おはよう」とこどもに言うと、こどもは「ん?」と言ったり言わなかったりしている。
夫は、もうしょうがないなあって感じでププッと笑っている。