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映画『次郎物語』と『子猫物語』

先日、BS1で映画『次郎物語』を放送していた。見てみた。

小学生の時、両親に連れられて隣町の駅前の映画館で『子猫物語』を見たとき、同時に『次郎物語』も上映していたと思う。子猫物語は間違いなく見た。次郎物語は見たかどうか思い出せない。映画館の外に次郎物語の看板かポスターが出ていたのだけははっきり覚えがある。次郎物語、の文字と、次郎の着物の柄も覚えている。映画自体は見たのかどうか、確かめたくて放送を見たものの、見終わってもすっきりしない。初めて見たようでもあり、見たことがあったような気もする。

次郎の育ての母を泉ピン子が演じている。ピン子は母が好きな俳優の一人。『渡る世間は鬼ばかり』というドラマを母はずっと見ていた。渡鬼のピン子は厳しい姑の役だったけど、次郎物語のピン子は優しい役だった。母が渡鬼以前からのピン子ファンだったとすれば、ピン子が出る映画なら見たい、と当時の母が言って見に行った可能性はあるかもしれない。

次郎の父の役は加藤剛。私は中学時代、夕方に再放送されていた加藤剛の大岡越前を見るのが好きだった。私にとっての加藤剛は越前なので、忠相が断髪して洋装してる、と思ってしまう。

小野武彦が親族か番頭さん?のような役で出ている。私の父はちょっとだけ小野武彦に似ていた。小野武彦を見るといつも父を思い出すけど、父を見て小野武彦を思い出しはしない、というくらいにちょっとだけ似た雰囲気だった。次郎の実の母が亡くなって、小野武彦が次郎を呼びに祭会場に走るシーンを見て、若い父が走ってるようななつかしい気持ちになった。次郎は次男で里子に出され、私の父は次男で婿養子に来ているので、もし映画を見ていたとしたら、父は次郎に共感するところがあったかもしれない。

次男といえば思い出す父の話。
「四人きょうだいで、姉貴は女の子一人だもんでかわいがられただよ。兄貴は長男だもんで跡取りだで大事にされて、弟は末っ子だもんでみんなにかわいがられただけど、父ちゃんは叱られてばっかりで一番かわいそうだっただよ」
もう一つ。
「粉糠三斗あったら養子には行くな、って昔から言うだけど、父ちゃんのうちは貧乏でそれが無かったもんで父ちゃんは養子になっただよ。農家の次男はかわいそうなもんだよ。えんえん」
母が「こぬかさんと、って何だん?」
父「米ぬか。米じゃなくて米ぬかでも三斗だけでもあったら養子なんか行くもんじゃないっていう意味だよ。聞いたことないのかね?」
母「何それ(笑)」
ほんとは父だってそれなりにかわいがられたと思うし、貧乏だから婿養子に来たわけじゃなかったはずだけど、こう言って最後に泣き声を表す「えんえん」をつけて話すのが、父なりのおもしろい話なのだった。

BS1で次郎物語を見た少し後、こんどは猫の日にBS松竹東急で『子猫物語』が放送された。こっちも見てみた。私の記憶にあったのはチャトランがしっぽで魚を釣るところと、白っぽい犬がいた、ということくらいだった。

白い犬はプー助だった。チャトランは川に流されたんだった。このへんは見たら思い出した。舞台は北海道だった。間あいだに谷川俊太郎の詩の小泉今日子による朗読が入っている。聞き覚えのある音楽は坂本龍一だった。そういうことは子どもの時は気にもしていなかった。

ただ猫がかわいいと見ていた子どもの時と違い、今見ると、どうやって撮影したんだろうとか、出演した動物たちの安全は、とかそんなところが気になってしまう。ムツゴロウさんが撮ったんだからちゃんと考えられたと思うけど。

記事を公開する前に一応調べとこうと確認したら、次郎物語は1987年7月、子猫物語は1986年7月だった。あれ?一年ずれてる。違う年の記憶が混ざってるのか?
うちはそう毎年毎年、映画館に行く家ではなかった。そのうちテレビでやるだら、とのんきに待っているほうだったから、一回か二回しか映画館に連れてってもらったことはなかったと思う。みんながナウシカで大騒ぎのときだって、ナウシカって何のこと?だったし、ドラえもんの毎年の映画も一回も行かなかったし、バックトゥザフューチャーだってインディージョーンズだって全部テレビで見た。
もしかして子猫物語が一年以上にわたって上映され続けていたとしたら、87年の夏休みに両方やっていたか???それとも次郎物語を目にしたのは子猫物語とは別の機会だったのか?あのころの映画でいうと『となりのトトロ』だったら見に行ったかもしれない、と思ったらトトロは1988年4月だった。もうなんだかわからない。とにかく昭和で私が小学生だったころの思い出には違いない。
そして、『渡る世間は鬼ばかり』は1990年、平成2年に始まっていた。