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今ある風景、川俣で頑張っている人の姿を僕が見たままドキュメンタリー映像にしたい

佐原孝兵さん

川俣町地域おこし協力隊1年目。
東京都出身。地元の高校を卒業した後、インフラ系の会社に入社し、5年間勤める。
趣味の音楽に関わる仕事をしたいという想いから、映像制作会社に転職。
仕事を通して、映像撮影・編集スキルを磨く中で「ドキュメンタリー映像」を制作することに興味があることに気づき、フリーの映像クリエイターを志す中で、川俣町の地域おこし協力隊の募集ページを発見し、令和4年度川俣町地域おこし協力隊に応募。2022年6月より、川俣の伝統産業について発信する活動を開始した。

ドキュメンタリー映像に出会ったきっかけは何ですか?

きっかけは映像制作会社で小中学生のインターンシップについてのドキュメンタリー映像の制作を行ったことでした。
中学生が社員に対して提案を行うという内容のインターンシップで、最初は自分達の想いを伝えても全然通用しなくて、良い提案をするために時には生徒同士で喧嘩もしながら進めていました。いろんな困難もありながら最後は素敵な提案をしていて、感動しました。準備過程も含めてみていたからこそ感情移入ができましたし、撮影も編集も気持ち良くできました。
企業のPR映像やドラマの制作にも携わったこともありましたが、リアルに起こっていることを汲み取って、映像を自分で組み替えて、伝えることができるドキュメンタリー制作にのめりこむことができました。ドキュメンタリーの撮影時は何が起こるかわからないんです。だからこそカメラを回しているときのドキドキ感があって、それもドキュメンタリー撮影の楽しみの一つでもあります。

ーお仕事についてー

どうして川俣町に移住しようと思ったのですか?

川俣町の存在は求人サイトの地域おこし協力隊採用の募集をみて初めて知りました。興味が沸き、当時の協力隊採用担当の方に相談したところ、川俣町と川俣町移住・定住相談支援センターが企画した地域おこし協力隊お試しツアーを紹介いただき、冬開催のツアーへ参加を決めました。このツアーで感じたことが移住のきっかけになったと思います。
まずは緑の多さや雪の白さに感動しました。東京生まれ東京育ちだったのもあり、自然の豊かさにあまり慣れてなくて、すごくワクワクしたことを覚えています。
もう一つは川俣町で活動する事業者さんとの出会いです。川俣シルクや川俣シャモ、アンスリウム・トルコギキョウ、どの産業に関わられている方も「とても生き生きしているな」と感じました。その様子をみて驚きと同時に「この人達を撮影してみたい」と強く感じたことが川俣町を選んだ理由です。
福島を拠点にしながら東京でのフリーランスの仕事も続けていきたかったので、東京でも活動が可能な地域おこし協力隊制度はありがたかったです。

町に移住してきて感じたことは何でしょうか?

人の温かさを感じます。近くにミニストップがあるのですが、行くといつも店員さんが気にかけて話しかけてくれます。夜中に行ったら「今日遅いね」、早朝に行ったら「今日は早いね」、自分の活動についても話しているので心配して「今は忙しいの?」など、みなさんが気にかけてくれていることがとても嬉しい。東京との大きな違いだなと思います。
また、会う人会う人が自分が協力隊であることを認識してくれていることも嬉しかったです。東京は人が多いのでどうしても個人は認識されづらい。川俣町では僕が僕であることを知ってくれている。本当に嬉しいです。

現在のお仕事や活動について

現在は川俣町を舞台にしたドキュメンタリー映像を制作し、SNSを活用して発信していくプロジェクトを行っています。
プロジェクトのテーマは「帰れる場所はひとつじゃない」。
川俣町を訪れた際に、東日本大震災による原発事故で山木屋地区が避難区域になったこと、それをきっかけに人口が減少していることを聞きました。自分自身初めて知ったこの事実を、もっと多くの人に知ってもらえたら、それと元々住んでいた方がこの映像を通して「懐かしさ」を感じ川俣町を訪れるきっかけになってほしい、という思いからこのテーマに決めました。
映像を通して、川俣町は地元の方にとっても、これから川俣町を訪れる方にとっても、いつでも気軽に訪れて、「帰れる場所である」ということが伝わると嬉しいです。
実際に現在の川俣町にある風景や、頑張っている人たちの姿をなるべく僕が見たまま、ありのままをドキュメンタリー映像に残していきたいです。
きっとその映像を作ることが僕が川俣町に貢献できることでもあるし、映像を見た人たちの心も温めることができると思うんです。

編集作業している佐原さん

今後町で取り組みたいこと

まず今年は、川俣町を代表する事業者さんや、懐かしさを想い起こせる町の伝統・文化を題材に取材を行っていきたいと思っています。
僕が初めて川俣町を訪れた際に感動したのは、川俣町を盛り上げようとしている産業や特産品がたくさんあったということ。その1つ1つに触れて僕自身が深く理解していくことが最初の目標です。
その先は個人の方に焦点を当てた映像も撮りたいですね。町民の1日の暮らしを通して、川俣町ではどんな時間を過ごすことができるのかを追体験してもらえるような映像が撮れると面白いなと思っています。
ほかにも、映像を通して川俣町の力になることがあればどんどん実行していきたいです!僕にできることがあればいつでもお声かけください!

ー川俣町についてー

暮らしてみていいところ、楽しいところは?

鳥や虫などの鳴き声がすごく気持ち良いです。朝、ウグイスが鳴いて起きるという経験は東京ではできないので、リアルな自然の音を聞いた時は嬉しかったです。今まで使っていた音楽アプリなどを使わなくなりました。(笑)
子どもの頃、合宿や旅行で地方を訪れた時の特別感を毎朝感じていて、来てよかったなと思います。

大変なところ、困るところは?

「人」との関わりで困ったことは全くないですが、虫の量だけは慣れないです。(笑)
僕は虫が得意ではないので、自然が多いことに魅力を感じる反面、虫の多さがたまに難点です。

町で体験したエピソード、印象に残った出来事は?

撮影場所で、各所でたくさんの方がご馳走などしてくださることですかね。
川俣町農業振興公社さんに行った時は渡辺社長が、わざわざ僕のために、シャモの塩焼きを焼いてくださり、川俣シャモファームさんでシャモの卵をいただきました。最近だと、あぶくまカットフラワーグループさんで立派なトルコギキョウの花を、20本ぐらいいただきました。「とにかくみなさん優しい!」撮影にお邪魔している立場なのに毎回心が温まり良い文化だなと感じました。

株式会社川俣町農業振興会社での撮影風景

あなたにとっての川俣町は?

僕が今作っている映像のテーマにある通り、「帰れる場所はひとつじゃない」ということ。
僕自身は、川俣と東京の2拠点生活をしていて、東京で仕事することもあれば、川俣に戻ってきて仕事をすることもあります。僕にとって川俣町はゆっくり休みたいなと感じる場所で、川俣町に移住してまだ3ヶ月ですが、東京から川俣町に帰ってきたときは、「帰ってきたな」という感覚がすでにあります。

ー読者の皆さんにメッセージー

移住検討されている方へメッセージをお願いします!

株式会社川俣町農業振興会社工場内の撮影風景

自分の環境を変えることはハードルが高いように感じると思います。
でも移住しなければ得られないチャンスがあると感じています。僕の場合東京にいたままやりたいことを探していても見つかりずらかった。思い切って川俣町に移住したことで、やりたいことに思いっきり取り組める機会を得ることができました。
しかし、お金の問題も実際には気にするところ。しかし、地域おこし協力隊としてお仕事が決まれば、活動に伴う経費は、給料とは別に支給されるので、自分の生活を支えながら思いっきりチャレンジすることができます。協力隊の制度を使わないで何か自分のやりたいことをするよりも、この制度を使った方が、メリットが大きいんじゃないかなと感じています。

現在活用している支援策

「地域おこし協力隊」という制度があることで、やりたいことをスムーズに実現できるようになりました。自分の給料の中だけで何とかするだけではなくて、ちゃんとその挑戦や仕事などの活動に必要な資金を調達することができ、すごく助かっています。
映像制作をする中で、例えばカメラが足りない、高性能の機材を使って撮影したい、こういう演出をしたいなど、手持ちの機材だけでは実現できないことが出てきた際に、機材レンタルも経費に含めることができるため、質にこだわった映像制作ができています。


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