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サンヴィッツ+クール_day26_ヨーロッパ建築旅行2018

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昨日、〈彫刻の家〉から宿に戻って、駅の売店で買ったパンとインスタント食品を食べながら、アレックスと今日の予定について話す。
アレックスはクールの外れにあるツムトアの事務所を見に行きたいそうで、僕はクールから電車で1時間ほど行ったツムトアの〈セント・ベネディクト教会〉を見たいと話した。ただお互いクールにある(一緒に泊まったホステルからすぐだった)ツムトアの〈ローマ遺跡発掘シェルター(Shelters for Roman Ruins)〉が見たいことは一致したので、朝一から別行動し14時くらいを目途に合流して、〈ローマ遺跡発掘シェルター〉を見に行くことにした。

7時半には宿を出てクール駅から電車に乗りこむ。目指すは、〈セント・ベネディクト教会〉の最寄り駅Sumvitg-Cumpadials。
駅から教会までは徒歩で1時間かかるので…概念的な最寄り駅だ。
そして、この電車移動で最も不安だったのが、このあたりのいくつかの駅は乗り降りする人がほとんどいないため、日本のバスのように降りるときにボタンを押す必要があるということだ。乗車口の脇にさりげなくボタンがレイアウトしてあるので、かなり押すのがためらわれるがこれを押さないと電車は止まってくれない。幸いやさしいおっちゃんが、それだよ、と教えてくれたので助かった…。

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駅で降りたのは、僕ひとり。無論、駅は無人駅なので走り去っていく電車を見送りながら、ぽつんと取り残される。
駅舎はかわいらしいログハウスで雨戸の裏面が赤い。

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この日は、若干天気が崩れ、ぱらぱらと雨が降っている。そこまで標高が高い訳ではないが完全に雲の上である。
さて、ここからは四の五の言わず、ひたすら坂道を登り続ける。恐らくこの旅で最も長い距離を歩いたのはここだったと思う。
石の町だったジョルニコとは対照的に、サンヴィッツは比較的なだらかな谷地に位置しており植生も森林が十分に成立する場所のようで、民家に限らず牧畜用の倉庫まで、そのほとんどは斜面に接地する1階部分を組積造またはRC造とし、上階部分を木造とする形式を採用している。

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町の中心と思われる通り沿いにある教会の脇を抜け、坂を上っていくうちに徐々に町と谷の全体像が眼下に広がる。
白く光る薄雲がどんどんと流れていくなか、誰かに出会うこともない。否応なく神聖なものに向き合う気持ちにさせられる。

谷底近くに見えていた駅が米粒くらいになったころ、ようやく〈セント・ベネディクト教会〉が現れる。

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ぬるりと突き出た入口から中に入る。中には誰もいない。
雨に降られ歩き疲れた体には、人を覆うシェルターという建築根源的なあり方とそのありがたみが染みる。ここはいつでも開かれていて、人を迎え入れ、包容する場所なのだということが建築を通して体現されている。

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僻地にある建築は、人がいないことが多いので、ひとりじめできることが間々ある。静かに素晴らしい建築と向き合うことのできる時間は本当に貴重だと思う。

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1時間半ほど写真を撮ったり、実測したり、床に這いつくばって椅子の下をのぞき込んだり、開けられそうなところは開けてみたりして過ごす。本当にあらゆるところがぬかりなくつくられている。

造り付け棚にポストカードが置いてあり、貯金箱式でお金を払い購入できる。その写真を見て、時期が時期なら人が埋まるくらい雪が積もる場所なのだと分かり、まだ雪が降る前で運がよかった…と思う。(もともとあった教会が雪崩で崩壊してしまいこの教会を建てたという経緯もあるらしい)
アレックスとの待ち合わせがあるので、後ろ髪引かれつつ駅へ向かって坂を下る。

電車に乗る時も、降りる時と同じく駅にあるボタンを押しておかないと電車が止まってくれないので要注意。
再び電車に揺られ1時間ほどでクールに到着。

続いて同じくツムトア設計の〈ローマ遺跡発掘シェルター〉を目指す。だが、この建物も〈彫刻の家〉のように事前に鍵を借りる必要があるので、クール駅のツーリストインフォメーションに立ち寄る。ここで、受付の人に見学したい旨を伝えるとパスポートを預ける代わりに鍵を貸してもらえる。
その後、駅でアレックスと無事合流し、歩いて15分ほどの〈ローマ遺跡発掘シェルター〉へ。

この建物は1986年の竣工。ローマ時代の遺構を保護するためのシェルターで、中に入ると遺構と出土品およびその解説を見ることができる。
こちらもツムトアのキャリアの中で初期の作品で〈セント・ベネディクト教会〉と同様木造だ。

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通りから少し入った場所に、ひっそりと建っている。
外観は、経年変化でグレーになった、肌理の細かい木のルーバーに覆われていて、一見なんの建物かわからない不思議な出で立ちだ。
面する道に対して、大きめの窓が開いていて外からでも内部の遺構が見える工夫がなされている(ただ正直昼間は暗くて覗いてもほとんど見えない)。

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入口はボリュームから飛び出し宙に浮いている。
それまで写真を見て、構造を持たせるために何かが仕込んであるだろ…と思っていたが、特別何かが仕込んである訳ではなく、ただ単に鉄板を溶接してつくられた筒だ。そして、入り口の扉も同じく5ミリ鉄板1枚という笑えるつくりだ。

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扉を開けて中に入る。
外観と打って変わり、内部ではこの建物のつくりが全て露わにされている。遺構の外形に沿って柱が並び、屋根はトラスを組み外周部以外無柱としている。外壁の木ルーバーからは柔らかく光が入り込み、対称的に四角い筒状のトップライトは屋根を切り裂いたように鋭く、曇り空の白い光を遺構の上に落としている。
入口から真っすぐ延びたブリッジが、三つの遺構の上に跨って掛けられていて、その内2つの遺構へは階段が伸び降りられるようになっている。降りた先には、出土品が展示されたケースや壁画、遺構についての説明ボードが設置してある。

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建築の構成はとてもシンプルで遺構を覆う木造の架構と、それを串刺しにする鋼製のブリッジは、概念的にも、ものとしても、明確にそのつくりを異にしている。
つまり、この建築は第一義的に遺構のシェルターとして組み立てられ、そして二次的なものとして人間のための動線や設えが適切に分節されながら挿入される。

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アレックスと喋りながらゆっくりと見て回り、見終えるころには辺りは暗くなり始めていた。

〈セント・ベネディクト教会〉と〈ローマ遺跡発掘シェルター〉は、それぞれ、1989年、1986年の竣工で、ツムトア初期の代表作だ。その上、無人で小規模な木造、外観と内観の関係、現しの軸組などいくつかの建築的な共通点が見られることも面白い。しかし、それぞれの建築の体験は、明らかに違いがあり、そのことがとても興味深い。加えて、もともと、ツムトア建築の尋常ならざるつくり込みは、実際のところどのように建築の体験に寄与しているのかについても興味があったため、このふたつを合わせて少し考えてみたい。

足掛かりとして、共に簡素な木造であることに着目してみる。
ふたつの建物は、外観は単一の外装によって覆われ、内部空間では、木造の軸組を現したつくりとなっていて、機能として大した設備を抱える必要がないことも相まって、「懐」というものをほとんど持っていない。
そしてこの「懐」がないということが、このふたつの建築の、シェルターとしてのあり様を強固なものにしているように思う。
ある場所に覆いを架けることことで、別の場所へと変様させる、といった建築の持つ始原的な性質をどちらの建築からも感じることができる。

そして、このシェルター性みたいなものを土台としつつ、ふたつの建築の体験の違いは、シェルター性の現れに認められると思う。

〈ローマ遺跡発掘シェルター〉はそもそも遺構保護を前提とした建築であり、人間の存在は、ひとまず眼中にない、そういう「最適化したシェルター」としてのあり方を先鋭化している。
木造軸組構法は、いくつもの異なる役割を担う層を重ねることで、境界の外側の環境と内側の環境を行き来する作用因子を調整し、求められる性能を満たす、というシステムが組み込まれていて、この建築は素晴らしく適切にそのシステムを駆動させている––––この辺りのお話は内田研BE論や西沢大良さんの『木造進化論』など面白い話がたくさんあるので、きちんと考えていきたい。
通風を確保しつつ雨水の侵入は許さないルーバー外装、構造及び内外装の支持体として機能する柱やブレース、地面から2m程度の高さまでは湿気および跳ね返りの雨水侵入を防ぐ布地の内装などなど、素晴らしいアッセンブルだ。
バラックや廃墟的なものが、外部と内部の境界をなし崩し的に消し去りおおらかさを獲得するという話は良くあるが、意図的に外気や外の環境を取り込むことは、周到に設計を行わない限り達成できることではなく、何かを誤れば、すぐに朽ち果て、バラックや廃墟に成り果ててしまうだろう。
そうした、「最適化されたシェルター」に人間が絡む設えが二次的に滑り込まされている。その突き放されたような二次的な場所のつくり方は、建築の体験にさわやかさをもたらすことに成功している。

それに対して〈セントベネディクト教会〉では、シェルターを研ぎ澄ましていくことで簡素さが抽象性へスライドし、その先に神聖さを獲得しているように思う。

〈ローマ遺跡発掘シェルター〉では木造軸組構法のシステムの中で適切なアッセンブルを図っているのに対し、ここでは意図的にシステムから逸脱しようとする意図が垣間見れる。
最も分かりやすいのは、柱と壁の関係だろう。通常であれば、柱から下地を介して外壁をつくるが、ここでは壁は柱から遊離し、繊細な鋼材でつながれているのみである。
柱と壁を遊離させることの効果は抜群で、柱は独立して空間の中に整然と立ち並び、遊離した壁は銀色に塗られ、ハイサイドライトからの光を受けて柱の向こうにホワイトアウトする。
といったように、ここでは単に物理的なテクトニクスではなく現象的な側面から各々の部材を組み立てていく思考を感じる。
壁を柱から切り離すと壁がそれ自体で構造的に成立することが求められるし、内外装の下地の手がかりもなくなるので改めてもうひとつ層を設ける必要があり、構法的なセオリーからすると合理的ではない。しかし、そういったセオリーを逸脱することで、周辺のオーディナリーな木造文化の建物からも、木造軸組のシステムからも抜けだして、抽象性を、そして神聖さをその射程に捉えている。

簡単にまとめると、どちらの建築もシェルター性を出発点にしながらも、そのドライブの仕方に明確な差異があるということだろう。
どちらの建築にも単なる建物が建築になる瞬間が埋め込まれているようで、本当に素晴らしいと思うし、勇気づけられる。

この二日間行動を共にしてきたアレックスとも今日でお別れ。
僕は夜の電車で、国境を越えてオーストリアはブレゲンツへ、アレックスは友達と合流してこの地方の建築を引き続き見て回るそうだ。
海外の大学とのワークショップで英語を使って建築計画の話をしたことはあったが、アレックスとは、好きな建築についてなぜ良いか、というようなことを話せたのはとても面白かった(ぜんぜん伝わってないかもだが…)。
日本に来ることがあれば、連絡ちょうだいねと言ってクールの駅で別れる。


国境付近での電車の乗り換えがよくわからず、若干テンパりつつなんとかブレゲンツ到着。湖のほとりのきれいな街だが、僕がついた時にはお店がほとんど閉まっていて、空腹に耐えながらなんとかホテルに到着、滑り込みでピザにありつく。
明日の目的地はもちろん〈ブレゲンツ美術館〉だ。

200508@東京


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