ターニングポイントについて
わたしはぴったり40才なのですが、
なんとなく、”折り返し地点”感があります。
いま、
住んでいるところ、
ともに生きている人、
笑ったり、怒ったりしあえる人、
自分の
体型や着ている服、顔の印象だって、
すべてが40年の積み重ねの結果なんですよね。
ときには、あぁ〜なんでこんなことが、
もういやだぁ、って落ち込むこともありました。
いい年になって、ちょっと恥ずかしいのですが、
わたしはすぐ、
人のことをいいなぁいいなぁって羨んでしまいます。
バリバリ働けるっていいなぁ、とか
友達と自由に遊びに行けるっていいなぁ、とか
自分が持ってないものに、いいなぁいいなぁって思うのと同時に、
自分はまだまだダメだわ、何も持っていない、と自分を責めてしまうのです。
数年前から心理学を学んでいるのですが、
あるとき「いまの状況はメリットがあるから選んでいる」という言葉に出会いました。
バリバリ仕事をしたいと思うのに、そうなってないのなら
家族といたいと思っている。
じつは心の深いところでは、バリバリ働くことに不安がある。
もっと働きたい!と思っていましたから、
ぜんぜん思いつきもしない考えでしたが、
「もし、そうだとしたら・・・」
こう考えると、
そうか、わたしは家族の優先度がすごく高かったんだ・・・
こどもとおままごととか、
勉強を見るとか、一緒に遊ぶことは苦手なので、
自分は家族への優先度が低いんだと思っていました。
でも、
家族団らんして、食後にコーヒー飲んでるときや
「ママー、できたよー」ってテヘって笑う顔や、
最強の寝顔、走ってる姿をみているとき、
なんともいえない幸福感がわいてくるのです。
ちょっと言いすぎかもしれませんが
お世話することが愛ではなく、成長を促すことが愛だと思うようになりました。
それと、
わたしはバリバリ仕事をしている人に比べて、
成果がない、何も成し遂げていないと劣等感を感じていましたが、
「え?家族をつくって、子どもをふたりも産み育てているなんて
一大プロジェクトだよ!
あなたは、お金も時間も掛けて見返りも求めず、
人を育てるってこと、もうしてるんだよ!」
何言ってんの?!っていう顔をされて目が覚めました。
すでに持っていることに、気付きなさいってことですね。
ははは・・・言われてやっと気づきました。
本当に、自分で持ってるものは、当たり前過ぎて気づかない。
心臓が勝手に動くのとか、
髪の毛がちょっとずつ伸びているのとかと一緒。
意識なく、特別感なく、”ある”ものだから。
”ある”ものを見ないで、ないものねだりしてたんですね。
40年という長いマラソンの折り返し地点付近で、
自分が本当に求めていたもの、
自分というものが理解できつつあります。
さて、自分がわかったところで、
じゃあ、どうしたいか、です。
わかることで、地に足がついたような気分になりますが、
わかって、よかったねーじゃなくて、
どうしたいのか。どうありたいのか、です。
これからのまた長い道のりを、どうして行きたいのか、
前へ進む、行きたい方向へ進む。
もう若くないし、
年下ばっかりだしって思うこともあるけれど、
チャレンジすることをやめたくはない。
だいそれたことができなくっていい。
小さくとも、わたしにとってのチャレンジが踏み出せたらいい。
少しずつでも
大切な家族とともに、一步いっぽ、歩んでいきたいです。