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大河「光る君へ」(17)うつろい

 なんだかんだでGW突入。またもや福井へ向かう予定でっす。
※「源氏物語を読みたい80代母」のための企画です。最終回までこの形式で続ける所存。思いっきりネタバレ全開なのでご注意くださいまし。
お喋り役の平安女房ズは以下:
右近(右)、侍従(侍)、王命婦(王)、少納言(少)

侍「右近っちゃーーーん!!!」
右「なあに侍従ちゃん。すっかり元のノリね」
侍「えーだってさあああ、道長くんなんか超カッコよくなった気がしなーい?まひろちゃんへの秘めた思いがジワジワ洩れて男の色気たっぷりっていうかさぁ」
右「ああ、まあそうかもね。倫子さまもピーンと来ちゃうわけだ」
侍「……やっぱりバレバレ?!」
右「当たり前でしょ。もう
『どちらにお泊りでしたの?』
 と聞いてる時点でほぼロックオン状態よ」
侍「ヤッバ!!こっわ!!さっすがトップオブトップの天上人女子!」
王「更に、高松殿ではないですよねと聞かれた答えが
『内裏で仕事してた』
 ですものね。道長くん甘いわ脇が。で、
『さようですか(ニッコリ)』
 ハイ嘘確定。相変わらず痺れるわね倫子さま。お父様から受け継いだ財産もたんまり持ってるし無敵よ」
少「素晴らしい洞察力と圧ですわ……紫上を思い出します」
右「当の道長くんは全く気がついてなくて、呑気に月観てウットリしてたけど」
侍「いやいやいや、まひろちゃんと二人別の場所から同じ月を観る、あの場面はサイコー!にエモかったじゃーん!道長くんはあのトボけたところというかー、ちょいお間抜けなとこがイイ!のよ。ま、ヒカル王子は紫ちゃんの気持ちにちゃんと気づいたもんね。さすがはこのアタシの最推し!(エッヘン)」
右「いやあの時は出かける口実からしてミエミエのバレバレでしょ。てか、何で侍従ちゃんがドヤ顔」
【参考:ひかるのきみ「若菜上 九」】

王「それはともかく今回のハイライトはやっぱり道隆さまよ。壮絶だったわね病みつかれてからの展開は」
少「あんなに温厚で思慮深い方だった道隆さまが恥も外聞もなく、定子さまに皇子を生めと迫り、帝の御前で御簾を撥ね上げるという無礼をはたらかれるなど……病というのは恐ろしいですわ」
右「平安時代には医療なんてないもんね。基本は加持祈祷、薬湯なんて気休め程度。そもそも何入ってるか知れたもんじゃない。令和のナントカサプリどころか、栄養ドリンクの超劣化版みたいなもんよ。ただただ持って生まれた運と体力に頼るしかない」
侍「やっぱりさぁ、道隆さまがなりふり構わず権力志向になってったのも病気のせいじゃないの?だって最初と全然違うもんキャラが。徐々に弱ってって、思考力や判断力も落ちていくのって普通に怖いじゃん?こんなはずじゃって焦りまくって余裕ゼロどころかマイナスに振り切って、最低限の体裁すら保てなくなっちゃったってことよね」
少「そうですね侍従さん、本当にそうだと思います。貴子さまとのシーン泣けましたわ……貴子さまにとっては道隆さまこそが『光る君』だった。寧子さまにとっての『光る君』が兼家さまだったのと同じく。道兼さまはどなたにそこまで思っていただけるか、と考えると痛ましくて涙が」
王「もう春は終わったものね……辛いわ。少納言さん気をしっかり持って」
右「まだ早いわよ二人とも。いや一週間ってすぐだけどね」
侍「じゃ、じゃあアタシが晴明サンの真似っこして!
『ヒュイ!!!』」
<強制音声オフ>

 いやー晴明さんのあからさまなやる気のなさ、ヤバかったですね。兼家の時と比べてもひときわ突き放し感が酷い。「さして長くはない」とも言っていたし、最初からこの結果が見えてはいたんでしょうね。そんな中、従者・須麻流の
「せめてお苦しみが和らぐようご祈祷いたします」
には救われました。まひろの従者・乙丸といい、道長の従者・百舌彦といい、従者さんたちの温かさにはほっこりさせられます。
 道隆の死因は糖尿病とも流行り病とも言われていて、事実は不明ですが、当時の各日記にも「様子がおかしい」道隆の姿が描かれているようです。

 道隆役の井浦新さん、圧巻の演技でしたね。先週から引き続いて、徐々に言動がおかしくなっていく様子が顔つきや立ち姿、ちょっとした仕草にすら現れていて背筋が寒くなりました。繰り返し言ってますが役者さんて本当にすごすぎ!
 そして差し挟まれる和歌。
 兼家の最期は寧子(右大将道綱母)の
  嘆きつつ ひとりる夜の 明くる間は 
  いかに久しき ものとかは知る【百人一首54番】

(来ない貴方を待ちわびて嘆きながらひとり寝る夜がどれほど長いか、おわかりにはならないでしょうね)
 道隆の最期は貴子(儀同三司母)の
  忘れじの 行く末までは かたければ
  今日を限りの 命ともがな【百人一首55番】

(忘れないといっても遠い将来までは難しいでしょう?ならばいっそ今日を限りに私の命が絶えてしまえばいい)
 この情熱的な二首の恋歌によって、父と息子の今わの際をシンクロさせるというアイディアは、百人一首中で連番になっていることから出て来たのでしょうか。
 何かを成し遂げたとはいえなくても、たとえほんの束の間でも、人として生きたことは輝きであり、誰かを照らす光になりうる。和歌はその光の一片を三十一文字の中におさめたもの。心打たれた人たちが書き留め残し、繋いだ糸がこの令和の世にまで届いた。さあ見るがいい軽々と時空を超えてきた儚くも尊いこの光を!
 いくつもの死を容赦なく盛り込みながらの17回、積み上げてきたものはこれか!と確信しました(個人の意見です)。
 そして清少納言。
 御簾をかかげてみせて道隆一家の「我が世の春」を体現した清少納言が、娘の定子に喚き散らす道隆の姿を隠すため御簾を下ろすシーンは衝撃的でした。
 この先も坂道を転がるように落ちていくばかりの中、清少納言があの「一瞬の春」を書こう!と心を決めるまでには相当の逡巡があることでしょう。きっと生半可な覚悟ではない。
 自分のために生きることが誰かのためにもなる、そのように生きていきたいと言った清少納言のこれからの姿は、まひろにとっても必要かつ最重要な要素のひとつとなるはず。今後も超期待ですね!
 さて私は明日から福井。また旅行記を上げるかも?帰ってからかも?こちらはあんまり期待せず、皆さまそれぞれGW後半をお楽しみくださいまし(と予防線を張る)。
<つづく>

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。