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訪問時に「主人がいたときは」「嫁がいたときは」という言葉を聞き

死別するまで生活を共にするというのは死語なのかもしれない

それほど離婚ということは難しくない時代になっている


修理がメインの水道屋をやっていて思うのは、住人の方の物事への覚えの曖昧さである

「何年くらい使っていますかね?」

「どれくらい前に取り替えたかわかりますか?」

話の導入部分として聞くことは多いし、そこを聞かないと作業にかかれない場合も多い

その答えを完璧に返せる人は2割くらいで、高齢になるほど覚えてないのは如実だ


そこで冒頭に戻る

奥さんからすれば「夫がいたときは何でも自分でしてた」「夫が知ってるから私は・・」ということを言われることも多い

僕らからすれば素人が手を出したのか?業者が手を加えたのか?見たらわかることも多い

「ここ修理しましたよね?」と聞いても頭に???が回ってるのはわかる

それなら、まあいいか・・と思うんだけど「直してない」と言われると「え?」とこっちが困ってしまう

手が加えられていないものを加えたとは言わないよ‥

主人に聞くと「嫁さんが管理してたからわからん」という説明書や保証書などの書類関係の不明点

まあ、これは無ければ無いで仕方ないのだが・・


何が言いたいのか?

長く添い遂げた方は相手への依存があるのだが、今の時代はどちらかが独占してる気がする

高齢夫婦は「ここみて?直せる?」「これ保管しといて」という役割が互いの口から相手に伝達され相手が行動に移してる

相談するよりネット依存してるんだろうし、意見を求めることもないんだろうな

それだけに任せたことは相手がいないとわからないということになってしまうのであろうが、それが古き時代の夫婦像なのかな?と何気ない会話の中から感じ取ることがある

仲の良い夫婦だとは限らないかもしれないが‥

ただ訪問時にわかりえる正確な情報は頂けると助かります(笑)

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