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読むこと、書くこと。小説は意外とビジネス文書に活きる。

僕は東京きってのビル街、大手町で働いている。
それなりにまじめなビジネスマンで、自分なりに精一杯働いているつもりだ。

オフィスワーク中心の僕はデスクでビジネス文書を読む時間が多い。
また、仕事柄、会社の公式文書を書くことも多く、「正確かつ簡潔なビジネス文書」を書くのは比較的に得意な方だ。

元大手新聞社の記者からビジネス文書の書き方について指導を受けていることもあり、平日の僕は明瞭な文章表現で一定の評価を受けている(はず)。

ところで、世間一般では、ビジネス文書と小説は別物だという見解が大半を占めるが、完全に別物かというと僕はそうではないように思う。

元新聞記者は「ビジネス文書では、第一に正確であること、次にわかりやすくあること、最後に簡潔であることが重要だ」と言っていた。新聞は紙面のスペースに限りがあるという媒体の性質上、情報を少しでも多く盛り込むため、常に「1文字でも多く削る」意識を持っているらしい。

(文字数制限の無い“電子版“が主流になった現代、記者の意識にも変化があると思うが…)

また、夕方に急遽大きなニュースが入ってきてくると、他の記事の後半を削ってスペースを確保するらしい。後ろに書いた情報は削られるリスクがあるため、重要な情報から順に並べて文章を構成するのだそう。

1つの句読点や接続詞を徹底的に排除する姿勢に、僕は新聞記者のプロ意識を感じた。1文字削るのに魂をかけるんだ、という物言いをかっこいいと感じた。

僕と同じ部の社員は定期的に、元新聞記者によるライティングスキル講座を受講する。

しかし、どんなに同じトレーニングを積んで、同じライティングスキルを習ったとしても、それぞれの人の文章には独特のクセや言い回しがある。基本的な型は身につけても、最後の最後は人の感覚に左右される部分が大きく、スッと読める文章もあれば、どうしても途中で引っ掛かる文章もある。

他人の書き方の特徴は、大体はメールのやり取りを見ればわかるものだが、誰にでも伝わる平易な言い回しができて、リズムが小気味良い文章を書ける人は、総じて活字のインプット量が多く、特に小説やエッセイなどのジャンルを好む人が多い気がする。

これが最近の発見(そりゃそうじゃか、という人もいるかもしれないが)。

昔の小説などは例外も多いが、小説やエッセイは、読み手が内容に没頭できるよう、言葉選びやリズムを生み出す文体で組み立てられていることが多い。自分でも気づかないうちにこうした流麗な日本語の表現やリズムから影響を受けているということは、おそらく確からしい。

音楽家が楽譜から読み取った情報を演奏という形でアウトプットしたり、スポーツ選手が目で見た身体の使い方を反復練習の中で身につけたり…文章を書く人も相応のインプットをした上で書く練習をしないとどこかで頭打ちになるな、と当たり前と言えば当たり前のことをここ1年で再認識。

自己啓発本もいいけれど、やっぱりビジネスマンこそ小説やエッセイもバランス良く触れるべき。

そして実はここまでが、先の3連休、小説に没頭したあまり、まともな生活を送ることができなかった僕の言い訳だ。とても当たり前のことを言い訳がましく述べるために1,000文字以上も費やした僕は、分かりやすく簡潔な文章の書けない、凡庸な書き手なのだと思う。



小説を読むことについて、つらつらと書いてみました。

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