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医者は処方箋が出せるのに広告代理店が出せていない訳

 日本中にワクワクを感染させる。これは僕の夢である。21歳の若者が何を言ってんだと言われそうだが、本気である。ジャンヌ・ダルクは12歳という僕の半分の年齢の時に戦争をどう解決するか悩み葛藤していた。僕のバイブルであるONE PIECEの主人公モンキー・D・ルフィは17歳の時に兄を救うために世界規模の戦いに挑んだ。勝ち負けではない。本気になれば、挑戦する志に性別や年齢なんて本当に関係ないと思う。

 これを書いているのは2020年8月。今年起きた出来事は僕がおじいさんになった時、孫の教科書には扱われることになるだろう。僕たちはそんな歴史の渦中を必死に走っている。僕自身、今まで行なっていたバイトから「自主退職」を進められ、3月下旬から7月上旬までは実家の群馬県に帰省していた。予定していた夏の石垣島旅行は沖縄県の緊急事態宣言を受け中止。きっと僕と同じような境遇の学生は多いのではないだろうか。しかし僕は再び東京に帰ってきた。「このくらいで日本を変えたい男は立ち止まってはいけない。」そう何度も自分に言い聞かせている。ではなぜ僕は東京に帰ってきたのか。それは僕の夢を叶えるため、思考を止めないためである。

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 冒頭でも紹介したが、僕の夢は「日本中にワクワクを感染させる」ことである。もう少し具体的に話すと「日本中の社会問題、人々の怒り・疑問に新しい問いを立て、新しい価値を創造できるようなクリエイティブディレクターになる」 ことである。僕が広告業界を目指すきっかけは大学1年生のとき。これについてはまた今度話そう。

コロナ後に必要な能力「省察」

 今回話すことはコロナ禍に必要な能力について。いや、コロナが終わってからの自分の人生、僕がジョインする広告業界に必要な能力についてである。社会の変化は僕が10年前に思っていたよりはるかに速い。10年前の川上少年は10年後、こうしてnoteなどといったサービスができるとも思っていないだろうし、「マスク焼け」などといった言葉が生まれるなんて考えてもいなかった。SNS の普及により、社会に出回る情報は一般の人にとって「受け手」から「送受信者」の立場へとシフトしている。2,3日風邪で寝込んでしまえば浦島太郎の気持ちを味わえる。
 社会のこうした変化は加速の一途をたどり、僕たち学生が予測をすることは不可能といえる。広告業界においても、その変化は目まぐるしい。僕は大学1年からネットを主な主戦場とするベンチャー広告代理店にジョインしていたが、たった3年間でもその変化は目まぐるしかった。昨日まで戦っていたGunosy、スマートニュースでの記事広告はInstagram、TikTok などのインフルエンサーマーケティングという黒船によってそれまでの論理、戦法は通用しなくなってしまった。コロナによって世の中の変化はさらに加速し、まさにカオスな時代が訪れるだろう。
 そんな時代において僕が一番重要だと考える能力がある。それは「省察」である。英語では”Reflection”。こちらの方が馴染み深いかもしれない。省察は自分の行動、言動などを仕事や業務から離れて一度客観的に振り返ることを指し示す。僕も含めて現代人には圧倒的にこの「省察力」が足りていない。

アウトプットからインプットの時代への変遷

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 夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。

 平安時代の歌人和泉式部が書いた「和泉式部日記」の冒頭文である。季節の移り変わり、和泉式部のフィルターを通された情緒が美しく書かれている女流日記文学の代表的作品である。かつての日本人は、アウトプットに非常に長けていた。自分の心情、季節の変わり目などを日記や俳句、和歌にして詠み、さらに相手への気遣い、想いを茶道、武士道、花道など「道」としてアウトプットした。誇るべき功績の数々である。
 しかしながら、第一次、二次と二度の世界大戦を繰り返すうちにそうしたアウトプットに重きをおく時代はいつしかインプットが重要視される時代へと変わっていった。第二次世界大戦後、世界の産業技術は加速的に発達し、専門家という分野の必要性が出てきた。ウィルバート・ムーアは1970年に専門的職業に関する著書を出版しておりそこではこのようなことが述べられている。

専門的職業とは個別の問題に一般原理を適用することを意味しており、この一般原理が豊かに展開し増大していくのが、現代社会のひとつの特徴である。専門的職業の中には、専門分化に必要なふたつの主要な土台がある。すなわち、(1)専門家が威厳を得られると言えるだけの実質的な知識領域、(2)専門家が習得する必要があるとされる熟達した知を生産し、その知を適応する技術、のふたつである。
ドナルド・A・ショーン「省察的実践とは何か」より

 簡単に言うと、専門的職業はケーススタディごととの知識領域を全て把握している必要があり、さらにそれを適応できる技術が必要であるということである。医者は医学、物理学者は物理法則を全て理解しているものが最も専門家として優れていると言う思想である。この考え方は教育機関である大学でも当然活用され日本にもこの考え方は輸入された。人々は知識を大量にインプットすることが大切だと考え、やがて一般論となった。また近年ではIoT化の促進によって動画配信サービスやネットニュースなどが広まり、人々のインプットにかける比重は増加していると感じる。僕自身隙間時間のほとんどをこれらのサービスに費やしている。
 ウィルバート・ムーアの考え方に沿って物事を考えると大学での研究者が専門家として最も優れていることになる。しかし果たしてそうだろうか。アフリカで医療技術が発展していない中子供達の治療にあたっている医師、企業からの悩みに対して自分のデザインで立ち向かうデザイナー。こうした「実践家」と呼べる人たちは優れてないと言えるのだろうか。

「実践家」たちは何に優れているのか

 次に実践家たちが何に優れているのだろうか考えてみた。私たちは実は無意識のうちに省察を行なっている。「さっきのミーティングはうまく進行できたか」「Bさんへのメールの対応はこれで良かったのか」こういったことを、いちいちノートに書き出す人はあまりいないだろう。こうした省察は行為中に行われることがほとんどで「行為の中の省察」に分類される。実践家たちは行動の中で無意識のうちに反省し、実践をしているのである。自分の経験則から導き出される答え。また、未知との遭遇に対しても省察を行い、記憶の引き出しと照らし合わせることができる。こうしたことが実践家と研究者との大きな違いである。
 ここで今回つけたタイトルについて考えたいと思う。僕が普段通う医者は「実践家」ばかりだ。患者さん一人一人に寄り添い、その人の症状、これからの生活を考えて適切な処方箋を出すことができる人である。今の広告業界はクライアントに対してどうだろうか。僕は少し疑問である。

医者には処方箋が出せるのに広告が出せていない訳

 ではなぜ広告代理店は患者(パートナー)に対して処方箋(ソリューション)が出せないのだろうか。それはパートナーの本質を理解していないビジネスパーソンが多いことが起因していると考える。(僕はあまりクライアントという呼び方が好きではないのでここからはパートナーと書きます)
 例えば「美顔ローラーBの販促を行なって欲しい」との依頼が来たとする。代理店の仕事とすると、市場マーケティング分析を行い類似商品を扱っている主戦場はどこなのか、どのような広告形態で広告を運用するか、インフルエンサーを使うかなどを考えるのが一般的だろう。確かにその場では売れるかもしれない。しかし持続性という観点で考えるとどうだろう。高級志向で商品展開を考えていた美顔ローラーBはインフルエンサーを使ったことによってブランディングが成功するだろうか。その会社が本当に社会に伝えたいメッセージは何なのだろうか。僕はこの部分について今までの経験則を元に省察する必要があると考える。
 広告代理店は今までのようにマスに広告を流せば売上が上がるような戦い方では生き残れない。これからはパートナーと一緒にその会社が伝えたいメッセージを考えていくことが大切なのである。
 僕の大好きな株式会社GOの三浦崇宏さん。その中でも一番好きな「キングダム」を一つの事例に紹介したいと思う。

キングダムを「ビジネス書」に定義した省察方法

 三浦さんはキングダムという僕も大好きな漫画を「日本で一番売れているビジネス書」と再定義し、日本に旋風を巻き起こした。まさに日本をワクワクさせるクリエイティブだ。最高である。「キングダムという漫画の販促をして欲しい」という依頼がきたとする。その時、貴方ならどう考えるだろうか。
・キングダムのテレビCMを作って放映する
・有名タレントを使って様々な媒体を使って広告を作る
・新聞にキングダムの漫画を載せる
・漫画無料購読サービスに10巻分を無料で掲載する

 その手段はたくさんあると思う。しかし、これでは伝わるメッセージ性は一部の層にしか伝わらないだろう。漫画が好きな人やマスメディアに触れる機会がある人である。こうした手段ではパートナーにとって本質的な意味がない。ここで僕は三浦さんは自分の経験則を元に「実践家としての省察」を行なったと考える。キングダムで書かれている内容は実際にビジネスシーンにおいて役に立つ考え方や、パンチラインが多い。また周囲にもそのように感じている人は多くいる。このような経験則から省察を行いキングダムを「日本で一番売れているビジネス書」として再定義し直した。
 ビジネス書と定義し直したことにより、普段漫画に触れる機会がない層へアプローチもでき、また話題性を呼び雑誌やメディアに挙げられる機会も増える。本当に良いアイデアである。このように、より良い広告アイデアを創り出すためには実践家としての省察が欠かせないと僕は考える。

日常の差異に目を向け、アウトプットする

 これからの広告業界に「省察」することが大切なことは分かっていただけただろうか。僕自身、パートナーの一過性の利益を考えるのではなくパートナーが社会にとってどのような位置にいるのかを共に考え、共に戦うようなビジネスパーソンになりたい。いや、なる。そのために就職までの残り半年、何が必要かを考えた。ここでは一つだけ取り上げて紹介する。
 それは「日常の差異に目を向ける」ことである。コロナ禍によって僕の生活は激変した。バイト以外のほとんどの時間を家で過ごすようになった。日常に変化がなくなったのである。しかし、そんな毎日でも小さな差異はある。周囲の人の服装が変わってきた。スーパーの食材の値段が変わった。など本当に些細なことで良い。そうしたことに疑問を持つことが大切だと思う。また、それをアウトプットすることが大切だ。自分の中での気持ちは変わるものである。その時に思っていたこともきっと何日かすれば変わる。現に、今書いている内容もきっと冒頭には思いついもいないだろう。こうした気持ちの変化をアウトプットすることが大切である。日記でもメモでも何でもいい。僕らにはかつての日本人のアウトプットする血が流れている。すぐにできるはずだ。

変化を楽しんでいこう 

 人の気持ちは季節よりも早く変わるものである。僕自身2020年上半期は自分の気持ちがこんなに弱いのかと打ちのめされた。しかし、変化を楽しむくらいが良いのかもしれない。

「心配すんな 全部上手くいく」
キングダム28巻より

秦の将軍、桓騎(かんき)の一言である。僕たち大学生は本当についていないと思うのも今だけだ。きっと10年後には居酒屋で笑い話になっていると僕は信じている。そんな仲間がこれを読んでいると思うとワクワクが止まらない。
楽しんでいこうぜ。答え合わせは先だから。


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