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ムード・ホール 『増殖 II』 制作メモ

・ムード・ホールのつくりかた
タイトルと演出
3DCGアニメーションについて
・『増殖 II』制作メモ(本題)
・なぜ走る I
・なぜ走る II
・なぜ走る III
・実験をまぜ合わせる
・おわりに

ムード・ホールのつくりかた
2014年8月23日からカワイオカムラ共有用に使い始めたEvernoteにはそれなりの数のメモと画像が残っている。中には実感として思い出すことができないものも多く、本当に自分が書いたのかと不思議に思うことも少なくない。手書きなら筆跡から自分が書いたんだなと認めざるを得ないのだが、〈共同編集〉設定にしているため、互いのメモに加筆することが容易いこともまた懐疑的になる理由かもしれない。

『増殖』についてふりかえる前に、カワイオカムラの制作の仕方について触れておきたい。2016年の@KCUAでの展覧会『ムード・ホール』の制作以来、それまでの手作業による造形と、ストップモーションアニメーションにデジタル加工・編集を施すという手法から、3DCGアニメーションに変更した。
同時に、スタジオで共同作業する必要がなくなった。川合と岡村各々が自室でテストピースをつくり、VimeoとEvernoteで共有、意見交換し、必要に応じアイデアや実作業のサポートをしながら、発案、試作した人間が最後まで仕上げるというスタイルになっていった。

映画『ムード・ホール』全8本のエピソードの内、前半の4本は展覧会『ムード・ホール』で公開したもの、後半の4本は展覧会終了後に作り上げた。
楽曲制作は原摩利彦。前半4本は2016年秋から12月の展覧会初日までに空間展示も踏まえて作ってもらった。OPタイトルと後半の4本については2018年の師走から2019年春までの作曲である。彼とのやりとりについても触れたいが、福永信責任編集、展覧会カタログ『ムード・ホール』第2巻で対談が記載されているので読んでほしい(BGMにはサウンドトラック『ムード・ホール』を)。

オープニングタイトルや幕間の章題、エンディングタイトルは水野開斗のモーションデザインによる。彼の仕事が8本のエピソードをつなぎ、映画として完成させる鍵となった。

タイトルと演出
「増殖 Multiplication」というタイトルは、全8本のエピソードとOPが出揃い、総合して一本にまとめる段階で決まった。2本の表象の共通性から同じにした。スネークマンショーが収録されているYMOの4枚目と同じ邦題であることは承知していたため、さすがに英題は“Multiplies”にしないよう注意を払った。それはそれとして、一つのアルバムの中に「I」「II」という末尾番数違いの同名曲があることもまた名盤っぽいではないか。
前作『コロンボス Columbos』までは、制作のあらゆる段階で、二人のアイデアと手を、文字どおり交差させてつくっていたため、「Screenplay by カワイオカムラ」としか表しようがないことも多かったのだが、『ムード・ホール』は分業が比較的はっきりしたため、エンドロールに記した。『増殖 I  Multiplication I』は岡村、『増殖 II  Multiplication II』は川合による。

3DCGアニメーションについて
3DCGアニメーションの製作では、モデリング、空間設計、モーション(時間設計)、カメラワーク、ライティング等を一つ一つ設定、調整し、全体を組み立てていく。カワイオカムラの場合は何から何まで一からつくるわけではない。人物、動物、衣装、モーション、ライティング、プロップ(シーン・セット)はプリセットとして用意されているものを使い、まずはその組み合わせでテストピースをつくる。人物のヘアや衣装を着せ替えたり、顔の表情やポーズを加えたり、砂漠で踊らせてみたりする。このフェーズは無邪気なもので、子供の人形遊びと大差ない。
こうして集まった各種パーツをランダムに並べたり、ああでもないこうでもないと交換したり、自作要素を足したり、引いたり、試してはまた組み直すといったことをひたすらつづけ、頭の中でイメージが芽吹くのを根気強く待つ。「笑う月」や「カフカ式練習帳」を参考にした日常や夢の観察の仕方によって録っておいたメモを読み返したり、ちびが没頭しているビデオゲームの様子を眺めながら、どうしたら〈映画〉として成立するか、どうやって『ムード・ホール』全体の一部を担うものにできるだろうか、と待つ。
カレンダーを横目に、どの芽を育てるか選び、エピソード全体の像を具体化していく。製作の段取りを考え、段取りのためのテストも交えながら、試作のレベルを上げていく。状況に応じ設計を練り直す。こうした工程をある程度がんばれば、後はコンピューターががんばってくれる。視覚的想像の域を超える、画面内に生成される情報量、増幅されていくそれら変化には作り手自らも予測しきれない面白さがある。

前作『コロンボス』(2012)までの、ストップモーションアニメーションによる表現を賞賛してくださった世界中のみなさまに申し訳ない思いもあるが、カワイオカムラ二人で103歳である。きんさんぎんさんの半分ではないかとの野次も聞こえるが、MJは50歳、横山やすしは51歳、スーちゃんは54歳、プリンスは57歳の生涯だった。あと何年つくる意欲が湧くかもわからない。二人がかりでのストップモーションはもうないだろう。

『増殖 II』制作メモ(本題)
本題に。
スティーヴ・ライヒの「Clapping music」や「Piano Phase」はインスピレーションを得たソースの一つだったかもしれない、と後になって思う。律動、反復、スリップ(スライド)によるループの基本パターンをつくり、一定の法則でズレていくという構造。走り、90度の方向転換を繰り返し、転倒し、立ち上がり、再び駆け出す。転倒者から幽体離脱的に別人物が現れる。冒頭一人で立つ人間を「第一世代」、次に現れる者を「第二世代」さらに「第三世代」と名付け、世代ごとの共通性をもたせた。4分30秒の間に「第五世代」までが現れる。
ライヒの楽曲と身体表現といえば、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの「fase」があげられる。『ムード・ホール』制作時にこのことはほとんど忘れていて、こうして書いている内に思い出したしだいである。作品化のプロセスは異なるが、類似性はあるかもしれない。

なぜ走る I
なぜ、疾走し転倒するのか。そこに物語や社会メッセージを意図していない。求めたのは、純粋に、中高年の男女が四角い軌道を走り、転び、増殖していく、思わず眺め入る視覚のイメージである。
倒れてもまた立ち上がり走り続ける人生。サラリーマンの悲哀または風刺。視聴時の心象や考察において、なるべくこうした簡素な解釈に帰結してしまうことがないようにするためにも、制限時間いっぱいまで調整する。

逃げる、追うために走る。これが生物一般における走る必然性ではないかと思うが、スーツ姿の大人が全速で走る姿は日常生活においてそう見られるものでもない。少なくとも私の生活圏ではほとんど目にすることがない。近年の007はスーツ姿で全力疾走する。娯楽映画やテレビドラマ、CMにおいて背広で走る姿は珍しくない。刑事、探偵、政治家、スパイ、銀行マン、金融マン、営業マン、プレゼン会場へ、出社に間に合わない、終電に間に合わないサラリーマンはしばしば目にする。『増殖 II』では、親切な〈物語〉は設定していないが、それでもイメージや意味らしきもの(物語性)はもくもくと生じる。

好奇心やイマジネーションを刺激し、知識や記憶、さまざまなイメージを喚起させ、自らで組み合わせる視聴覚と思考の愉楽としての映画。いまこの時代に在っていいはずの時間的視覚表現づくりを、割と真芯でとらえているんじゃないかという手応えはある。言語化が至らないところはもうしわけないが、はったりでもない。

なぜ走る II
ロックの名盤には疾走感のある曲がつきものである。と思い込んでいる。そういうジャンルのミュージックを、感性が磨かれる大切な時期に聴き過ぎた。
『増殖 II』は全8本の内、7番目に完成したが、既にできていた6本と、並行して相方が制作していた『増殖 I』の様子を横目で見つつ、各エピソードのテンポを比較し、アップテンポ感のあるものがほしいとも考えていた。
映像のテンポをアップするためのアプローチはいくつかある。
 1 被写体の動作の速さ
 2 カットの切り替わりの速さ
 3 物語の展開
 4 1〜3の組み合わせ

『増殖 II』は上記1を採用した。時間表現として欲していた疾走感を、登場人物の疾走で表した。全く捻らないというのも、時に少なからず思い切りが要るものだ。

なぜ走る III
こんな経緯もある。『ムード・ホール』は「iClone」という3DCGとしては安価かつマイナーなソフトでつくった。ソフトは何を?と質問され、「iClone」と答えて、その存在を知っていたのはこれまで木村君一人だけである。
3DCGというとお金も手間暇もかかると思っていた。Y.I.ロードブレアースや美女、巨人など、簡易的モデリングでつくった10人程をのぞくと、あとはほとんどプリセットを組み合わせてつくっている。この分野では、人物、動物、建物、星、各種シーンのセット、モーション等、あらゆる素材データが売り買いされていることもまた新鮮で、今でもまだ不思議な気分になる。モデルアニメーション時代、たとえばY.I.ロードブレアースのスーツは外注のカスタムメイドだったが一週間以上はかかった。今はPayPalの手続きに1-2分、スーツ一着千円以内で手に入る。P.K.ディックの「パーキー・パットの日々」は人形遊びに興じる大人たちがいるディストピアの話だが、こういう形で現実になったのかと感慨深く思いながら、もう一つの世界を歩き廻る。
モーションデータとして〈走る→直角に曲がる〉や〈派手に転ける〉が売られていた。ポチっとし、モーション設定、再生。1999年頃、カワイオカムラ作品に登場して以来一貫してほとんど動くことなく、静かながら存在感ある演技を特長としていたY.I.ロードブレアースが20年の時を経て猛然と駆け出した。相方にデモを送る。103歳が笑う。育てる芽が決定的となる瞬間の一例だ。

実験をまぜ合わせる
視覚認知に関する実験とでもいうような効果も重ねてみた。時間の経過とともに人物が増えていくその風景は、同時・同一空間である。4分30秒の間、出演者や制作スタッフは誰一人としてミスを許されないという類の撮影である。緊張を伴うこのシーンを、四方に設置した4台のカメラが人物を追う。その4カメの映像をマルチスクリーン的に構成した。厩戸皇子が十人の請願を同時に聞き、一人ずつに的確な答えを返したという故事があるが、われわれの目は複数の視覚情報を同時に(ある程度知覚はできるとして)どれだけ認識できるかという視力、認知力の実験。ワンシーンを4つのアングルで捉え、一画面に収めることで、脳内で成立しかける空間認識の中間的状態が生じることを想定した。

おわりに
インスピレーション源、諸々の創作背景に関して、思い出したり、もやもやと言語化を試みていることはほかにまだある。6番目のエピソード『Mood Hall st.』と『増殖 II』は初期段階では同一のエピソードとして試作を進めていたこと、背景をなし(真暗)にした経緯、ライティングとカメラワーク、コンテンポラリーダンスと3DCGアニメーション、テンポ考の続き、相方の動きや試作との間合いの取り方、空間現代の楽曲構造の観察、始まり方と終わり方、なぜ走るIV、・・・といった具合にとめどない。
このメモが『増殖 II』あるいは『ムード・ホール』にとってよかったのか。原作が小説や漫画の映画なら、読んでから見るか、見てから読むかというような話題も愉しいがそういう趣向とも違う。というようなことを言い出すと、そもそも8本から成る映画のエピソードを切り出して見せることへの自問にまで遡ってしまいそうである。つぎの制作へ移ろう。

note初回の公開から約2週間、最初に投稿した時点では、劇場公開の模索を一旦保留にした旨記したが、その後ありがたいことに新たな話もいただいた。『ムード・ホール』のオンライン公開の模索とあわせ、計画を進めていくつもりだ。

※『増殖 I』『増殖 II』の期間限定配信は終了しました。(2020/8/10)


カワイオカムラK 
 2020.06.07.23:45更新
     06.08.09:35更新
     06.09.00:50更新
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     06.27.16:12更新





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