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四面楚歌な現実は自分の弱みを認めない心が投影した世界だった/占い師になる前の話

自分には相容れない自分以外の価値観を、第三者に話して、共感を得て自分を守る方法があります。女性が得意とする会話術で、恋愛テクニックでもよくあることです。恋敵を好きな人と「共通の敵にする」という方法、あるいは共通の友人に相談して対立構造を作る「外堀を埋める」という方法です。

滅びの前の世紀末のような世界観で孤立していたティーンの思い出

中学生の頃から、わたしはとてもハッキリと自分の意見を伝えるタイプ。なので、どんな人でも本人に直接「意見」を伝えていたんですね。

語彙力や自分に対する自信、気質などもあるので、誰しも自分の意見を伝えるべき相手に、目を見てハッキリ伝えることができるわけではなかったりします。わたしも自信はないのですが、それ以上に、立場の弱い相手、当事者のいない場面で陰口を言って、周囲が結束するのは自分がされたら嫌なので言わないと決めていました。

そんな時に、わたしに対して周りの同性の友人たちがよく行っていたのが、この方法だったのです。高校生、大学生、ずっと「なんでこんなに、相手のことを考えながら、清廉潔白に動き回っているのに、身内に裏切られたり、四面楚歌になるんだろう」と思っていたのですが、大人になって個人で仕事をするようになって、離れた場所から人を観察していて、感情的な人の動きに敏感な方は、周囲との「価値観のすり合わせ」を細かく行っていることに気づいたのです。

弱みを出せないことが弱点になる

わたしはどうも「相手の価値観に自分の価値観をすり合わせていないな」と気がついて。

じゃあ何で、人と関わっていたのだろう?と振り返ってみると、どうやら「目に見える物・成果を出すことで信頼される」という価値観がベースにあったと気づきました。基本的には信頼を得るために成績を上げる、成功させることにがむしゃらだったのですが、この厳しさは自分の「できない」ことを認めない姿勢であったと顧みます。

それは心身の痛みや苦しみも伴います。わたしはその痛みや苦しみを、抑え込んで弱った心身に鞭を打って前進するスタイルだったので、自分が痛みや苦しみとして感じている「できない・難しいこと」を廃して無視し、「言語化」しなくなっていきました。言語化しなくなると、感度が鈍くなり「できなく」なり、人に話せなくなったり、意味のない叫びになったり、肉体的な苦しみになったり、段階的に、パニックや発作といった、とてつもない獰猛で衝動的な行動に現れてしまいました。

このように怪獣化してしまうと、誰かの期待に応えることが生き甲斐だったのに、誰かに拒絶される反転した世界のはじまりです。

こうなってしまうのは、本人に知性や教養、説明下手だったり、言葉をしらないとかではないのです。自分への厳しさであり、「こうあらねばならない」とこれまでたくさん外側から求められている姿になろうとして、本来の自分がえぐられてしまっている、とても不健康な状態なのです。

自分が受け止めている感情・価値観は相手に伝えられる

冒頭で話した「自分が相容れない自分の価値観を、第三者に話して、共感を得て自分を守る方法」は、言い換えれば「自分がどのくらい、自分の感情や考え、価値観を認めて、それを相手に『どう思う?』って、自分以外の相手に投げかけられるか」のテクニックです。

健康な状態であれば、程度の差はあれど、普通は自然とそのように、自分以外の誰かに心情を吐露して、相互補完的にバランスをとっていく。それで誰かと誰かの相性が悪くなったり、誰かと誰かが深い仲になって行くのは、関係する別の特定の誰かを、意図して貶めようとしているわけではないのです。成功体験から得意げに話す方もいますが、これはその方の好みや世界観の問題ですよね。

「弱い部分」「強い部分」「良い部分」「悪い部分」と、対立的に捉えているのは、自分です。相手は必ずしもそうではない。「話題」として、他者に投げかけてみてからが、スタート地点。そしてこのスタート地点に立つことが、私はとても怖かった。自分が認められていないことを、自分以外の人が認めてくれるだろうか?いいや認めてくれないだろう。だったら何で認めさせるか?現実的な成果だ、となるのです。

すると、自分の感情や価値観、考えへの許容力は、相手の価値観を信頼して「投げかけられる力」と言い換えられるかもしれません。

自分で自分の感情や考え、価値観を許容することで

①自分の感情や考え、価値観を明晰に捉えられる
②他者への信頼が持てるようになる

のです。しなやかに生きていく上では、自分で抱えている分を、外側に出していった上でコミュニケートして行くのが、とても健康的で自然なこと。それでもし「なんなんだこの人は!」と思ったら、きっと自分の中で強烈にアピールしている何かが、コントラスト(対比)として浮かび上がってきているんですよね。

その対比を知ることが、自分を知ることにつながります。ハレーションを起こすほどチカチカにアピールしてくる前に、なんとかしたいものです。

怪獣化した自分を、ちゃんと愛されていい人間だったとを、自分で思い出させてあげるのです。

自分と自分の外側との関係性から内面を知るといいよね

現実でもスピリチュアルな世界でも、「自分の内面の投影として、外側の人間関係や現象が現れてくる」説はよく耳にするものになりました。わたしが殺伐とした状況や人間関係を築いていたのは、わたし自身がわたしに対して不健康で偏った厳しさを持っていたからだ、というお話でした。


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