攻撃する人々 過度に恐れる人々
例えば政権与党に汚職などが有った場合、水を得た魚の様に野党が俄然元気になって、
国会で猛烈に批判したりする。
そういう国会質問などを見ていると、悪を正すというよりは、
とにかく政権を批判する事が目的の様になってしまって、
とにかくテレビカメラの前で政権を批判している所を見せたいだけ、
に見えてしまう事が良く有る。
そうではなくて、責任の取り方などだけではなく、
詳しい事実関係の解明だの、再発防止策だの、建設的で論理的にやるべきではないのか。
世の中を見ていると、とにかく自分の事は棚に上げて
他人を攻撃するのが好きな人が多い様だ。
特に酷いと感じるのは、自分と違う意見を抹殺しようとする人々だ。
出版社がアメリカでベストセラーになったトランスジェンダーに関する本を
翻訳して出版しようとしたところ、猛烈な抗議が押し寄せて、
なんと、出版社が出版を断念してしまった、という出来事が有った。
これは「意見を戦わせる」でもなんでもなく、単なる暴力でしかない。
そうではなく、その本を読んで内容を論理的に批判するのが筋というものだ。
読んですらいないものを抹殺しようとする、というのはもう狂気に近い。
そして、それに怯んで出版を取りやめてしまった出版社にも文句を言いたくなる。
トラブルを避けたい一心で大事な事を失ってしまうのはとても残念な事だ。
数年前、こんな事も有った。
あるお米屋さんがSNSで、市議会で審議されていた外国人住民投票権について、
可決されなくて良かった、もし可決されたいたらと思うと背筋が凍る、
という意見を述べた。
すると、活動家が「レイシスト」などの看板を掲げて店の前に並ぶという騒ぎになった。
これもまた、単なる暴力でしかない。
そんな事をしないで意見を戦わせれば良いのだ。
このお米屋さんを支援するために各地からたくさんの人がその店に買い物に来る様になり、
ちょっとした騒ぎになったのだった。
このお米屋さんで売っている手作りのおにぎりがとてもおいしいのだそうだ。
保守系の論客への殺害予告、という事も時々起こる。
百田尚樹氏がある大学で講演を行う事になった時、中止しろ、という抗議が押し寄せ、
殺害予告まで出て、とうとう講演会は中止になってしまった事が有った。
殺害予告ではなく、実際に銃弾が発射された事件もいくつか起こっている。
アメリカでは、共和党のレーガン大統領が銃撃を受けた事件が有った、
さらに最近、共和党のトランプも銃弾を受け、危うく一命をとりとめた。
そして、自民党の安倍晋三氏は残念な事に選挙演説中に何者かに狙撃され
命を絶ってしまった。
この事件の真相は闇の中だ。「容疑者」とされている人物が発射した弾丸が、
本当に安倍さんに当ったのか、かなり疑わしいからだ。
事件直後、すぐに「統一教会」というワードが世の中を席巻する様になる。
本当の狙撃犯を隠すための工作の様に思えてならない。
さて、ここで個人的に思うのだが、、、。
攻撃されるのはいつも保守派の政治家ばかりではないか、、、。
アメリカ民主党のケネディ大統領も暗殺されたが、この件については真相はまだ闇の中だ。
日本では社会党の浅沼稲次郎が刺殺された事は有ったけれど、
ただ、眺めてみるとなぜか攻撃を受けるのは保守派が多いのだ。
そうなのだ。
左翼は攻撃する人々なのだ、と、つくづく思うのだ。
この文章の最初のほうに書いた国会での批判や出版妨害、営業妨害など、
左の人たちは、自分と違う意見に暴力をふるう傾向がどうしても感じられるのだ。
それと併せてもう一つ感じる事、それは、左の人たちは論戦をしない、という事だ。
意見が違うなら討論をしましょうと言っても話し合う事無く、暴力的に相手を封じようとする。
さらに、彼らはマスコミを味方につける事が多い。
マスコミ自体が左だからだ。
以前、社民党の伊是名夏子氏が駅でトラブルを起こした事が有った。
その時彼女たちは駅員に対して、マスコミを連れてまた来るぞ、という様な事を言ったそうだ。
そうなのだ、マスコミを使って大騒ぎをさせ、相手を怯ませる、これが常とう手段だ。
では、右寄りの人々は暴力を振るわないのだろうか。
これを考えると、戦前まで遡ってしまう。
国家権力が特高警察を使って民を支配する、という様な記憶だ。
このトラウマが有る為に、右寄りの人達は強権を発動する事を過度に恐れる傾向が有る。
ある民放放送局があまりにも偏った報道をしていたりして大問題になっても、
法的に停波させる様な事をする事をまずやらない。やらないどころか、話すら避ける。
これも、「国家権力が民衆を押さえつける」という様な昔のトラウマを利用した
無言の圧力なのだろうと思う。
法務大臣になっても一切死刑執行をしない人も居る。
これは別にその大臣が人を殺すという話ではなく、法に則った公務で有るにも関わらず、
何かを恐れて決してやろうとしない。
このようにして、何かをやろうとすると、「マスコミに騒がれる」からやめておこう、
と、過度に恐れて何もしないという事が非常に多く見受けられる。
不法滞在の外国人が、不法滞在だけでなくさらに犯罪まで犯しているのに
強制送還されずに放置されていたりするのも、
良く解らない「非人道的だ」という非論理的な批判を恐れてしまう様だ。
外国人参政権に反対する事すら批判を恐れてしまう様な政治家も居る。
敵対的な国の人間が日本で参政権を持ったら大変な事になるというのに。
本を出版するのに、批判されるのを恐れて出版を取りやめてしまう、などはもう、
あまりにも無節操だと感じる。
これら、「批判を恐れる」人達というのは、結局、「面倒はごめんだ」という事なのだろう。
めんどくさいからやめておこう、という事なのだ。
これでは攻撃する人々の思う壺ではないか。
政治家の様な仕事をしている人がそんな事では、何もできやしない。
攻撃する人とそれを恐れる人という構図を
さらに拡大させる役割をしているのがマスコミだ。
オールドメディアと呼ばれる、新聞やテレビなどだ。
これらの殆どが左寄りで、攻撃する側の味方をする。
テレビには放送法というものが有って、
一応公平な報道をしなくてはいけない事になっているが、
とても公平な報道をしている様には見えない。
そして新聞だが、これには放送法の様な法律が無く、どんどん偏った意見を書いている。
新聞というものはなんとなく公平で正しい報道をしていると思い込んでしまいがちだが、
実態はかなりヤバい事になっている。
悪名高いのが朝日、毎日、東京、などの他に、北海道新聞、神奈川新聞、沖縄タイムズなど、
報道というよりは殆ど活動家のプロパガンダビラの様になってしまっている。
どうしてここまで偏った事を書くのだろうか、若い記者たちは何をしているのだろうか、
と思うが、もし若い記者が正しい事を書いても、デスクなどに潰されてしまう様だ。
一見公平な報道の様な体裁でいて、実はかなり偏った意見で、
読者をある方向に誘導する様な記事を書く事を、
朝日では「角度を付ける」と言うのだそうだ。
実は自分は凄く若い頃、小さな雑誌社の編集部に居た事が有る。
そこではいつも、「今度は○○を叩きたいな」などと話をしていたものだった。
要するに気に食わない相手を叩くのが目的になっていて、それにそった情報だけを集め、
まるで極悪人の様に書く、というのがマスコミの実態なのだろうと思う。
なので、本当に新聞やテレビなどの報道は見ないほうが良い。
今の世の中、攻撃する人と、それを援護するマスコミが居る環境で、
それと戦う政治家は殆ど見る事が無いのが現状だ。
本来、政治家は場合によっては命を懸ける事だって有るのではないだろうか。
「安保反対」と大規模なデモが首相官邸に迫って来た時、
岸総理と弟の佐藤栄作は避難する様に言われてもその場にとどまり、
ここで死のうじゃないか、と話したというエピソードが残っている。
この話で重要なのは、「安保反対」のデモをしていた多くの人が、
安保条約を読んだ事も無い人が多数居たということだ。
要するに中身などどうでもよく、ただただ攻撃したいだけの様に見えてしまう。
この大規模なデモは中国共産党の工作だったという話も有るが、いずれにしても、
「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」などの、ちょっとズレたスローガンを掲げて、
とにかく暴力的に反対する、という事だったと思う。
当時の日米安保はかなり米国の都合ばかりの偏った内容を修正するものだった。
当時デモに参加した多くの大学生は、その内容も知らずに反対していたのだった。
だからこれは、陰で別の目的を持った者が居て、美辞麗句を並べ立てて民衆を煽り、
それに騙されてしまった人達が暴力をふるう、という構図なのだろうと思う。
今でもそういう構図は色々な所で見受けられる。
中国に侵略させない為の「集団的自衛権」などに
「戦争をしたがっている」などと言って反対していたのも、全く同じ構図だと思う。
軍事費を増やすな、とか、基地を作るな、とか、日米安保をやめろ、
とか言っている人達の目的は、それをやったらどこの国が得をするのか考えれば解る。
民主主義の法治国家では選挙で選ばれた議員が多数決で物事を決める。
選挙をしても多数を取れない一部の人間たちは、
議会の外でマスコミを巻き込んで暴力的に否定しようとするわけだ。
そしてマスコミで大きく取り上げられる事で、
まるで国民の大多数の意見の様に見えてしまう。
そして、それを恐れて政治家たちは正しい事を出来なくなる。
批判を恐れて正しい事をしない、というのは、
政治家にあるまじき行為だと思う。
政治家はきちんとやるべきことをやらなければいけない。
特に、真の目的を隠して美辞麗句を並べ立てて人々を煽り、
社会に分断や混乱を起こそうとする勢力に対して、
怯んで何もせず、彼らの思う壺にさせたままにしているのは、
責任放棄と言えるだろうと思う。
事なかれ主義、面倒はごめんだ、騒がれると選挙に影響する、など、
政治をやっている目的がすっかりズレてしまっているという事だ。
責任有る立場の人は、やるべきことをきちんとやって、
解りやすい言葉でその説明をするべきだと思う。
それを聞いて、絶対聞く耳を持たずにさらに批判する人間も居るが、
サイレントマジョリティの多くの人はかなり納得してくれるはずだと思う。
今のマスコミの酷さはかなり深刻だ
NHKの問題は相当深刻だ
会長が責任を取って辞任などしても何にもならない
現場を総ざらいしないと無理だ
厳しい刑事告訴が必要で、本来なら外患誘致罪適用で良いくらいの話だ
活動家が跋扈する国 嘘をばら撒く人々
話半分に聞く 右と左を両方考える
政治家という病 リーダーたちがかかる病の理由
極端な人々 現実的な判断を
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