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人間が壊れてしまった人々 高学歴と低学歴の違い

エリート君たちのする事を見ていると、非常に狭い世界に生きていると思う。

仲間内からの評価や同調圧力には非常に弱い。

けれど、部外者からの圧力には全く無関心だ。

何故かと言うと、自分達が一番優れていると思っているからだ。

要するに「バカが何か言っている」としか思わないからだ。

学閥などの狭い世界では非常に評価を気にしたりするのも、

「一番優れている自分達」という仲間内の評価だからだ。

東大法学部を出て霞が関のキャリア官僚になり、この国全体を支配する。

この国を動かしているのは一番優れている自分達だと思っている。

国民が経済的に苦しんでいると聞くと何をするかというと、

補助金や給付金を出すなどと言う。

そんな手間をかけないで減税すれば済むものを。

一度自分達の所へかき集めておいて、そこからもったいぶって「給付してやる」

でないと気が済まない様だ。

それをする事で影響力が強くなり、権力が強くなる。

そうするとどうなるかというと、権力を笠に着ているからこそ天下りする意味が増す。

三顧の礼で迎えられて天下りをし、天下り先では特に仕事も無く、

時々お車で送り迎えされて出社する程度で、2年ほどで退職し、退職金を貰う。

そしてまた次の天下り先へ行くわけだ。

どうしてこういう破廉恥な事が出来るのだろうか。

恥ずかしいとは思わないのは彼らの「万能感」によるものだろう。

自分が一番優れているのだから当然だと思っている訳だ。


交通安全には特にうるさいほど色々な事を言ったりやったりしている警察が、

なぜ危険に見える電動キックボードをノーヘルで認めてしまったのか、

不思議に思っていた。

たぶん官民の癒着によるものなのかな、と思っていた。

するとどうだろう、電動キックボードのレンタル会社に、元警視総監が天下りしていた。

ああ、やっぱりそうなのか、としか思えない。

そしてその会社は東大卒が非常に多いのだそうだ。

それも納得だ。

ヨーロッパなどでは危険な為に相次いで禁止になった電動キックボードであり、

事故やマナーなどで社会的批判を浴びる事も充分考えられるものであるにもかかわらず、

大々的に事業を始めてどんどん拡張している。

これはやはり彼らの持つ「万能感」の所以だろう。


こういう商売をやったら儲かるだろうけど、それはちょっとマズいよな、

と思いとどまるという事も無く、堂々と展開できる神経なのだ。

そういう「万能感」を持ったエリート君たちが、自分達が一番優れているのだから、

バカは相手にしない、という事をやっているという訳だ。

その最たるものが財務官僚という訳なのだ。

日本は国債をたくさん出しているから膨大な借金を抱えているなどとウソを言い、

どんどん増税をする財務省。

そしてこの財務省の仲間の議員も居る。

学閥であったり、元財務官僚であったりする国会議員だ。

そのドンが宮沢洋一という男だ。

東大法学部を出て大蔵省に入った。叔父は元首相の宮澤喜一。

宮澤喜一と言えば、「キミは何期?」という話が有名だ。
http://www.kawaihidetoshi.cafelatte.me/diary/0799.html


国民民主党が主張するいわゆる「103万円の壁」の引き上げに強力に抵抗している

財務省サイドの総本山の様な男だ。

現在国民負担率は5割に達しようとしているのになぜそれほどまでに減税を嫌がるのか、

それは全くもって財務省の言い分なのだ。

全部自分の所に集めてから、自分の権力で国民に配ってやる、

という事をしないと気が済まないのだ。

そして国会議員の多くも財務省の言いなりになっている。

財務省に目をつけられると失脚しかねないからだ。

こんな状態が一体いつまで続くのだろうか。


日本は昔、官僚のメンツの為に戦争に負けた事が有った。

陸軍と海軍の縦割りでお互いに協力せず、省庁の利益やメンツを最優先した為に、

効率的に事を運べず、日本が弱くなる方向にばかり舵を取った結果だった。

国がどうなろうが、省庁や学閥の利益やメンツが一番大事なのだ。

これを「狂っている」と言わずに何と言えば良いのだろうか。

霞が関の官僚とその取り巻きが一生懸命国を弱く貧しくしているのだ。


彼らの「万能感」は一体何処からくるのかと言うと、

「学力」「偏差値」「学歴」でしか無い。

そんな無意味な物の為に自分達が一番優れていると思い込んでいるというのは、

やはり「狂っている」と言うべきだろう。

学力など有っても殆ど役に立たない、受験勉強など出来ても殆ど役に立たない。

必要なのは学力でも学歴でもなく、教養であるはずだ。


教養というものは、「卑怯」を嫌う事でも有る。

卑怯な人間は勇気が無く、物事に正面から取り組もうとせず、

自分に都合が悪い事は避け、他人を陥れたり裏で手を回したりする。

自分の都合とは関係無く、物事を正面から受け止めて対処するのが正しい人間のする事だ。

世の中で生きていて、どう見ても、やっぱりそうだよな、と思う事が有る。

大卒と高卒の人間を見比べてみて思う事だ。

大学の4年間ですっかり人間が壊れてしまっている人をたくさん見るのだ。

そして、きちんとしたまま壊れていない高卒の人をたくさん見るのだ。

勿論、例外は有るが、高卒のほうがずっと優れている人が多いという事だ。

優れている人間というのは、学力でも学歴でも無い、正しい事は正しいと言う人の事だ。

間違っている事は間違っていると言う人の事だ。


自分の都合に関係無く、正しいと思った事をするのがまともな人間だ。

高卒の人には人間性の優れた人がたくさん居る。

有名人では 長谷部誠 大谷翔平などがその代表だろう。

ビジネス界でも昭和の創業者社長たちや、現在では前澤友作などもその1人かもしれない。

彼は稼いだ金で日本の文化を守る活動をしている。

自分が儲ける為だけで商売をやろうとするのではなく、

国の為にも良い事だからやる、これはとても大事な事だ。

自分が儲かりさえすればそれで良い訳ではない。

自分の国が豊かになれる事だからやるのだ。

自分が儲かっても国にとって良くない事ならやらないのだ。


国がどうなろうが、自分が儲かりさえすればそれで良いと思うのは、

人間が壊れてしまっているからだ。


やって良い事と悪い事の区別もつかないのであれば、学歴など何の意味も持たない。

そして、優れた人間の選別という事も重要な事だ。

良く解らないから結局学歴を基準にしてしまったりする。

民間企業のトップたちも人間を見極める教養を持たないから

いつまでたっても世の中が変わらないのだろう。


自分の愛読書に サン・テグジュペリの「人間の土地」という本が有る。

サン・テグジュペリはパイロットだった人だ。

まだ飛行機の信頼性がさほど高くない時代の事だ。

上空でエンジンの不調が起こり、砂漠に不時着したりする事も多かった。

そんな命がけの仕事をしていて、彼は先輩のパイロットを非常に尊敬していたという。

その先輩、アンリ・ギヨメは、見栄を張ったりする様な人ではなく、

物事をありのままに見て判断する人だったのだと言う。

上空で暴風雨に会うと、彼はいつも冷静に「これは質の悪い暴風雨だ」と

冷静に判断し、見栄を張ったり強がりを言ったりせずに正面から対峙する人で、

そういう人間性が特に尊敬に値するのだと書いている。

自分の利益やメンツに関わらず、

正しい事は正しいと言い、間違った事は間違っていると言う、

壊れていない人間が社会のリーダーになるべきなのだ。

本当に学力や学歴などどうでも良い。




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