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water under the bridge

まずは自己紹介から。

 こんにちは。私はkawaidesignsというブランドをカリフォルニアで立ち上げ、革小物を手縫いをモットーに制作・販売してしています。noteでは日本人である私がアメリカで生活する中で出会ったいろいろな事柄について、言葉とものづくりを交えた視点から書いていきたいなと思っています。

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 water under the bridge このフレーズを聞いたのは先週のことでした。私はほぼ週2でアメリカ人の義姉と午前中にパワーウォークをしており、40分ぐらいの間に通りすぎる家や庭をなんやかんやと品定めしてみたり、今思うことなどを延々と語りながら歩いています。義姉(50代後半)は家出同然で家を出た16歳から20年以上ヒッピーよろしく(カリフォルニアだし、ね)アクセサリーを作りながらいろんな場所を渡り歩き、さまざまフェアに出店したりしてノマドライフを満喫しまくる間に2回の結婚と離婚を経験、50代半ばで地元に戻ってきて時々陶芸をやったりしている方です。私は4年ほど前に自分の革小物ブランドを立ち上げているので、私たち2人にはものづくりという共通項があります。その日は私が最近出店したばかりのクラフトフェアから話題が始まっていたのでした。
    アメリカのクラフトフェアにメーカーとして出店する時、個人で出店する場合と仲間とブースをシェアする場合があり、シェアの場合は出店料が割安になるので、仲良しクラフト仲間とシェアする人が多く、義姉にはヒッピー生活時代によくシェアするクラフト仲間がいたそうです。彼女が参加していた時はどんな風だったのかと思い、いろんな質問をしてみていました。

義姉:◯さんと私のコンビ、最高によかったの。ブースの中でものを置く位置で問題になったこと一度もなかったし。
私:そういうシェアしてた人たちって今でも連絡を取り合ってるの?             義姉:It's like....too much water under the bridge...
私:どういう意味、それ?

 このフレーズ結構好きだわ、と瞬間的に思いました。イディオムあるいはフレーズは私にとってアメリカに20年住んでいてもなかなか覚えられない厄介なもの。さらりと決まり文句が出てくるようになったらいいのに・・・、と永遠に思っているのにほとんど努力してない私なので、この機会にこうやってnoteに書くことでアラフィフの頭に押し込んでやりたいと考えています。さてwater under the bridge の意味ですが、かつて関わりのあった人や物事が過去のものになり、もう重要ではなくなるという意味だそうです。いくつかのオンライン辞書を見てみたら、その物事や人との間にたくさんの悪いことが起きてしまい、もう二度と関わらなくなるという意味合いもあるようです。会話していた内容では、義姉とその人の間に悪いことは起きていないようで、単に距離ができてしまってもう会わなくなった、というネガティブな意味がない感じでした。too much を加えて強調したセンテンスでした。

まあ、その後時間もいっぱい経っちゃったし、もう彼女とは関係がなくなってしまったの。

といったところでしょう。
このフレーズを考えていると橋の下を流れる水、何をどうやっても堰き止めようがなく水が流れてしまうイメージがこんこんと湧いてきました。誰にでもそんなふうにかつて知っていた人やものごとが今の自分の生活から見るともうどうしようもなく過去のものになってしまっていて、そのまま流れていってしまっているからもう仕方ない、と諦念にも似たような気持ちを抱くことがありますよね。深い感慨を沸かせるようなフレーズだなと思いました。日本語にも水に流す、という言葉があるように国は違えど物事を過去のものにする時に水に託すというところが似ているように思います。

 今日はすっかり春めいて一斉に真っ白い花をつけている木々が車の窓から見え、わ〜、もう春だわと思った矢先、上半身裸!で幼児と歩いている若いお父さんを見ました。太陽がよほど恋しかったのか、腹筋を見せたかったのかその両方だったのか分かりませんが、上半身裸男子(サンフランシスコでは女子も、有名なBay To Brakersという仮装マラソン大会で!)はアメリカでよく見る風景です。2月中旬近く、摂氏20度の日も出てくる頃になるとカリフォルニア中部の春は一気にやってきます。季節はまさに堰き止められない勢いで刻々と変わっていきます。
この会話をした時はまだ肌寒くて軽いダウンを羽織っていましたが、今日はジャケットなしで外に出れました。

以上初投稿でした。これからこんな事をつらつらと書き連ねていけたら嬉しいです。

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