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東京から埼玉へ出稼ぎに来て早や五年……【食べログに遺された生の記録・マガジン】


2013年09月25日(水曜日)訪問

午後1時過ぎに訪れました。初めてのお店です。
東京から、埼玉(坂戸・鶴ヶ島方面)に出稼ぎに来てからもう五年も経つのだなあ……

としみじみしていたら、夜勤明けの相方が丁度風呂からあがり都内へ行くために支度をしながら、「じゃメシでも喰いに行くべぇ」と誘われて連れられてきたのがここ、大穀さまでした。ダイコクと呼び捨てにするのは申し訳ないお店の名前です。

嗚呼、ダイコクサマ(_人_)

あたしの極めて個人的な感覚でいうと、埼玉には東京ではあまり見慣れないチェーン店が多く、そばやうどんのお店が多いんだなあという印象でした。

生まれて初めて埼玉は坂戸市に行ったときは、池袋から東武東上線で向かう電車での時間がやけに長く感じられ、北上するごとに、なつかしいあたしの故郷に似た風景が車窓から流れていくのを見ていたらなんだかやけにノスタルジックな気持ちになって、ふるさとに帰ってきたんだなあって感じがしたものです。(あたしのふるさとにはもう何年も帰っていない)

埼玉(特に坂鶴川方面)は、千葉とはまた違った風情があり、千葉にあるデズニーランドを東京というのには違和感がないけれど、坂戸・川越あたりに住んでて、川越の芋なんかを手土産にふるさとに寅さんよろしくフラと帰ったとして、年老いたおふくろは、耳の遠くなった親父に「おどう!トラがよぉ、川越からけえってきただよぉ~」というんだろうなあ……(涙)

茨城、千葉、神奈川に住んでる親戚は、ひっくるめて東京の人という。おらほの田舎の認識なのですが、埼玉(特に坂鶴川方面)は、東京とは認識していないようなのです。

これは、埼玉(特に坂鶴川方面)には独特のオーラがあるからだとあたしは思っているのですが、やはり埼玉、特に西部方面には、一種独特の『気』が流れているのだと思います。

さて、毎度の事ながら前置きが長くなってしまって申し訳ありません。
坂戸・鶴ヶ島界隈を車で移動していると「大穀」というデッカイ看板がよく目についたものです。

東京では見慣れない、というか大穀さまは、川越に本社があり、埼玉にしかないチェーン店なのですから、当たり前のことですが、余所者からすれば大穀さまというお店は、いったいどんなお店なのか?、それより、なんとお読みしたらいいのだろうか?とあらゆる妄想が渦巻いていたのでした。

余談ですがあたしにはなぜか『穀』が『』に見えていたのか、「だいき」と脳内追従していたのです。好奇心は旺盛なのですが、いかんせんどんなお店でも一人で入店するのは、チョット勇気が要るという、いい歳こいてシャイなのもいい加減にせえよ、とお叱りを受けそうですが、本当なんだから仕方が無い。だからあたしは相伴でなければ、滅多に飲食店に一人では入店しない、いや、できんのです。

相方はというと、地元の人間ですから大穀さまは昔から馴染みのあるお店だそうで、法事や宴会などでよく利用していたとの事。

「お前、大穀さんのこと知らねえの?知らねえでよく埼玉で生きてこれたな」みたいなニュアンスで、教えてくれました。助かりました。

はあ、地元の人は、大穀さまが生活の中に溶け込んでいるんだなあと非常に感心したものです。埼玉では、デパートといえば、「まるひろ」みたいな、丁度そんなあたりまえの日常なのでしょうか。

ちなみに、埼玉に来るまで「まるひろ」を全く知らなかったあたしは、相方から「まるひろ」の商品券をもらって、本気で、これ使えるの?って思ったくらい「まるひろ」は未知の存在でした。
大変失礼な事を申しまして「まるひろ」さんすみません。今では「まるひろ」のポイントが貯まるのが嬉しいそんな生活の一部になっています。

ということで、大穀さまのレビューを書くのに、こんなに余計なことを書きやがってと思われる読者(またはお店の方)もおられるかも知れませんが、地元では日常に溶け込んでいる大穀さまのことを、初めて知り、初めて訪れ、初めてその料理を食するという、全くの先入観の無い状態で、このレビューを書くのだということをご理解いただきたいので御座います。


まず、店内に入って、たまげました。
そこそこの飲食チェーン店をイメージしていたのですが、エントランスがまたこじゃれているのもさることながら、店内に一歩入った瞬間!

これは、ただものではないなという店内のオーラに圧倒されました。(このお店を設計された方もまた凄い方だと思いました)
一流と呼ぶに相応しい雰囲気、スタッフさんのお出迎え、所作からして、レベルの高さが伺えます。

あたしは、初めてのお店に入るときは、五感(六感)を研ぎ澄ませます。その際の、第一印象(感覚)で、およそのお店のレベルが分かるのです。

最後に行き着く『舌』以外の感覚を抜いても、四感で料理の味まで推し量ることが出来ます。なぜなれば、お店が発する『氣』は、創業者、経営者、店主、料理人、スタッフ、建築設計者らの総合的な『氣』でありますから、その人、人のもつ「こころ」の集合体といってもいいと思います。

料理はまずいけど良い人たちばかりだとか、料理は飛び切り美味しいがみな悪党だ、なんてことはありえないのでありまして、料理の素材は天が与えてくださったものですから、素材に良し悪しはありません。

料理人の腕は当然として、提供する側、経営陣、働くスタッフさんの「こころ」が料理にすべて込められますから、どれがひとつに瑕疵あってもそれはすぐに分かるものです。

飲食店で食事をするということは、提供する側の「こころ」をいただくようなものですから、受けるこちらも、じっくりとその「こころ」を受けとらなけれななりません。それが、お店に対する礼儀だとあたしは思っています。

ただし、提供する側が、売り上げ至上主義のこころそこに在らずの大衆相手のお店なんかでは、ただ喰うのみ、腹を満たすだけのことですが。
ちなみに、あたしに限っては、そういう店にはまず行きません。

さて、接客のこなれた上品で清潔感のあるスタッフさんから案内され、お座敷に通されました。さすが、宴会や法事などで利用されるお店だけあって、広くてゆったりとしてとてもよい雰囲気です。(テーブル椅子席もあります)

初めてのお店で初めて料理を注文するのに、チョット緊張しましたが、せっかく鰻のお店に来たのだから鰻も食べたいし、でも鰻以外にも美味しそうなものがたくさんあるし……
と、迷いに迷って、結局『せいろそばと小うな重』を注文することにしました。メニュー写真の蕎麦が美味しそうだったし、鰻も是非食べてみたかったのです。

最初にご説明があったように、鰻は時間がかかるとのことでした。
30分ほどで、待ちに待った料理が登場しました。
マアなんとも上品な見栄えです。様子がいい。懐石料理が一度に出来てきたような感じ。
お上品に優雅に食べるには向いてるけれど、我々のような肉体頭脳労働者族が、肉体労働時の後に食べるにはチョット似合わない。デスクワークのルーチンを延々とこなした後や、小腹がちょこっとすいた時に食べるのには丁度いいかんじでした。

あまりにもおなかが空いていたので、お行儀よく鰻のお重をかっこんで、そばをずるずるっと三口ほどで、平らげてしまった。

なんといっても、鰻は本格的でした。まるごとのうな重だったら、もう悶絶していただろっていうくらいの美味でした。昔むかし、あの、うなぎの某有名店で味わった本格的なあのうなぎの風味がよみがえってきました。

惜しい、実に惜しい!

うなぎは、やはり小さく食べるものではないなと後悔しました。
でもしかし、雰囲気の良い店内でゆったりとした時間を過ごせましたことは大変ようございました。

本日は、相方の事情でゆっくり出来ないので、遅めの昼食ということで、コース料理は断念せざるを得ませんでしたが、次回はたっぷり時間をつくってゆっくりと料理を味わってみたいとおもいます。
また寄らせていただきますので、その節は何卒宜しくお願い申し上げます。



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