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中今を生きる#01-月次祭の鏡餅-

川越氷川神社をご参拝いただきますと、境内にある数多くの建造物や奉納品などが目に入ることと思います。当神社は欽明2年(541)の創建以来、これらをつくり奉納してくださった方々とのご縁とお心尽くしによって支えられてきました。

中今なかいま を生きる」
は、当神社への奉納品に目を向け、製作してくださった方々がものづくりをする上で大切にしていること、次世代へと継承していく姿などをご紹介させていただくシリーズです。
「中今」とは「今、現在」を表す言葉ですが、とりわけ「過去と未来の真ん中である今」という意味合いが込められています。

今回焦点を当てるのは、月次祭つきなみさい」のご神饌しんせんのひとつである鏡餅。月に2回、川越・連雀町の和菓子店「伊勢屋」さんよりご奉納いただいています。
この度は、当社と伊勢屋さんとのつながりや鏡餅を奉納することとなった経緯、餅づくりで大切にしていることなどについてお話を伺いました。


修業のために月次祭へ鏡餅を奉納

川越氷川神社では毎月1日と15日に月次祭を行い、皇室のご安泰と国家の安寧、地域の繁栄と氏子崇敬者のご健勝をお祈りしています。「月次つきなみ」とは「毎月繰り返し行う」という意味。朝8時30分より、どなたでもご参列いただける祭典です。

月次祭の様子

神社の一日は、神様に召し上がっていただくためのお供え物、ご神饌を捧げることから始まります。いつもは米、酒、塩、水の四品ですが、月次祭ではそこに季節の野菜や果物、そして鏡餅が加わります。

この鏡餅を奉納してくださっているのが伊勢屋さんです。連雀町の店舗では、醤油やみたらしはもちろんのこと、季節を表現した「四季」シリーズのほか、彩り豊かな創作だんごを提供されています。

店主は3代目となる一栁 始いちやなぎ はじめさん。始さんのお祖父様である萬治まんじさんが、川越で伊勢屋を創業したのは昭和元年(1926)のことでした。以来100年近くにわたって伊勢屋の味とのれんを守り続け、当神社とは90年以上ご縁を結んでくださっています。


左から伊勢屋の女将を務める広恵ひろえさん、沙央さん、始さん

一栁 始さん:お氷川様(川越氷川神社)とのつながりは、川越で伊勢屋を開いた初代が勝利かつとし先生(第21代宮司・山田勝利)に婚礼用の御赤飯を依頼されたことが始まりだったと聞いています。父(幸弘ゆきひろさん)が受け継いだ後も、90年代に新しくなった氷川会館で行われる婚礼が格段に増えたことでさらに出入りが多くなり、より繋がりが深くなったようです。

近年では御赤飯に加えて七夕祭でお頒かちするおまんじゅう、1月の歳旦祭や10月の例大祭(川越まつり)、月次祭などで、本殿などにお供えするお餅も奉納させていただいています。

中でも月次祭のものは、下の娘の沙央さえが伊勢屋を継ぐと決めたと話してくれた頃に、宮司に相談しました。修業のために鏡餅をつくらせていただきたい、奉納させてもらえないかと。直会殿が完成した令和3年(2021)春のことでした。

月次祭の鏡餅

祖母が伊勢屋を守る心に触れて生じた変化

当神社に奉納されるお餅は、一合(約180g)から一斗(約19kg)まで様々な大きさがあります。

一合と一斗の大きさ比較(一斗は下段が約12kg、上段が7kg)

その中で、沙央さんが月次祭のために仕上げているのは一升の鏡餅。下段の重さは約1kg、上段は約700gあるといいます。


一栁沙央さん:私は幼い頃から姉と2人で配達や店頭での手伝いをしていましたが、自分が後を継ごうと考えたことはありませんでした。変化が生じたのは、高校時代に祖母(禮子れいこさん)が病気で入院したことがきっかけです。

最初に入院する時「お店をよろしくね」と声をかけられ、「うん」と答えました。当時は病名もわからずすぐに戻ってくると思っていたので、軽い気持ちでした。

でもお見舞に行くたびにお店の心配をし、川越まつりの時期に退院しては店頭に立ち……。そんな姿を見ながら、「ああ、お祖母ちゃんもこの伊勢屋を大切に守ってきたんだな」と感じ入るものがあって。

亡くなる直前に病室で会った時に、ふと「『お店をよろしくね』の言葉は、私に伊勢屋を託していたのかな」という考えがよぎったんです。祖母がいよいよ……という時、「絶対、守るから」と泣きながら声をかけていました。

その時には、もう伊勢屋を継ごうと心は決まっていました。姉は別の企業に就職していましたし、何より祖母の心を理解できるまでに私の心も成長していたのだと思います。

祖母が亡くなった年末から私も餅づくりに参加したのですが、餅がまるでいうことを聞かず、なぜすんなり丸くできるのか?  父が説明する言葉も理解できないところからのスタートでした。

噛みしめる父の言葉「餅は芸術品だ」

もち米を蒸す様子
大小さまざまなお餅をつくる

最初は年末に1合や2合の餅を丸めることから始めた沙央さんが月次祭の鏡餅を奉納するようになったのは、本格的に伊勢屋の仕事を始めて3年ほど経った頃でした。

なかなか言葉では表しにくい感覚的な技術を、始さんは“未来の伊勢屋4代目”へと懸命に伝えている最中です。


沙央さん: 餅のサイズが変わると、やることは同じでも勝手が若干変わります。「餅の表情が変わる」という言い方をするのですが、まとめにもたつくうちに餅が固まって、形が悪くなってしまうんですね。

杵でつき上がった状態のお餅

父はおそらく作業場に入ってきた瞬間から、その日の温度や湿度によって水分量をどう調節するかが頭に浮かんでいます。杵や型に入れた時や出来上がりの餅の硬さなどもイメージできているようです。

私はまだそこまでは至っていません。自分が準備したものに対して「この分量だと餅の締まりが早いよ」などど、父が注意してくれています。

鏡餅の形に関しては、真俯瞰から見て完全なる真円にしなければならない、いかにお尻(餅の下方)を丸く見せられるかを考えろ、とよく言われます。型から餅を出した時に、お尻の高さが違ってしまっていることもよくあるんです。

父がよく口にするのが「餅は芸術品だ」。実際作るようになって初めて、父が意味するところの理解が深まったように思います。私自身もいつも念頭に置いている、大切な言葉です。


当神社に奉納されるお餅には、初代から受け継がれてきた伊勢屋さんの技術と想いが込められています。月次祭をはじめご参拝の機会がありましたら、ぜひ気に留めていただければ幸いです。

* * * * *

宮司から:
沙央さんのお父様である始さんは毎年、大晦日にお供え餅を届けてくださいます。

平成29年の新年も、神前には美しい大鏡餅が飾られました。ところが正月に関わる一連の神事を納める「鏡開き」(11日に行われる鏡餅を木槌で開く神事)を迎える頃、始さんのお母様が年末に逝去されていたことを知ったのです。

どれだけのおつらさの中で鏡餅を調えてくださったことかと恐縮する私に、始さんは涙ぐみながら微笑んで仰いました。

「宮司さん。毎年変わらずにお氷川様へ鏡餅を供えることは、母が一番喜ぶことですから。」

これほどまでに誇り高く強靭で、優しくあたたかな想いがあるでしょうか。

お父様の姿を鏡にしながら懸命に「中今」を生きる沙央さんは、必ず立派な職人さんになることだろうと、いつも頼もしく感じています。

歳旦祭の鏡餅

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