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桜を見ながら読書も一興

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先週、上野公園は国立西洋美術館を訪れた際に、桜の開花状況も見ていた。恐らく来週くらいには見頃だろうと目星をつけていた。

それで、今日も上野公園を訪れたところ、読み通り綺麗に咲いていた。

まぁ、今のご時世、ニュースとかSNSを見れば、桜がどのくらい咲いているかなんてすぐ分かる。

だけど、何か検索してしまうと、桜を見たときの感動が薄れてしまう気がしてならない。加工済みの写真の印象と、現実の桜を比べてしまいそうで…。

それはさておき、ようやく春らしい暖かさになったお陰で、お外でも本を読むのにも気持ちが良い時分である。

この状況下で本を読むんですか?と聞かれそうだが、むしろ至福を感じている。

たまには「百年の孤独」から離れて、明るい本でも読みたい。今日はシュンナ・スウェンドソンの「ニューヨークの魔法使い」という晴れやかな感じの本を持っていった。

桜が咲いたから、時折花見でもしながら読書をしようという意図はある。でも、平素から公園で本を読んでいる人にとっては、特段不思議なことではない。

それに、一人の方が何かと楽だ。本を読むのに広いスペースはいらないから、場所選びもすぐ見つかる。

そもそも、桜を一緒に見に行こうと誘えるような友達はおらず(出掛ける際に「誰を誘おうか?」という選択肢がない)、その上、誘われるような人間関係は構築していない。

でも桜が咲いた時の、あの異様な盛り上がりは何だろう。なぜ人は、桜を見ながら団体でお酒を飲みたがるのだろうか。

同じ桜を同じ場所で見ていることに、すなわち、同じ世界で生きている感覚を共有するためだろうか。

厳しい冬を乗り越えた桜に対して、同じく冬の寒さを越した我々の思いを投影するからだろうか。

もっとも、そこまで考えて花見をしている人は、そんなにいないだろうけれども。

まぁ文学としては、桜は様々な場面で使われる。最初に「桜の木の下には死体が埋まっている」と言ったのは、梶井基次郎だったか。

かなり前に読んだ、角川文庫編纂の青春ものの短編集にて、高校生が「サクラサク」とメッセージを送るシーンなんかもあって。

散ったら散ったで、歌野晶午さんの「葉桜の季節に君を想うということ」のように詩的な表現としても使われる(本作はミステリーだけどね)。

とまあ、桜に対して、何かしら浮き足立つ気持ちとかは、わからなくもない。

桜を見て、お酒を飲んで、本に読め耽る。

一応、お酒は準備しているのはちゃっかりしているところ。

ほろ酔い気分で本を読み、さらに桜も楽しむ。こういうお花見も一興なり。それではまた次回!

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