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読書記録「努力論」⑤

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

昨日に引き続き、幸田露伴先生の「努力論」岩波書店 (1940)を要約して参ります。

前回、自己を革新するとは、自己の理想を現実にしようとする努力だと述べました。故に、自分の目指すべき目的地や道が必要である、とも書きました。

今回は、その理想を叶えるための具体的な方法について書こうと思います。

学ぶ人から徹底的に学ぶ

第一何によって自己を新にしたものであろうか、という事が先決せられねばならぬ。即ち自己によって自己を新にするか、他によって自己を新にするか、という事である。

同著 40頁より抜粋

露伴先生は、自分を変えるためには、自力で自己を革新するか、他力を借りて自己を革新するか、2つの方法があると述べている。

他力を借りると言うと、他力本願や棚ぼたをイメージする人もいるかもしれませんが、ここでは他人を信用して仕事を任せたり、共に同じ目標に向かって切磋琢磨することという意味であり、決して恥ずべき事ではないと述べております。

むしろ、成功している多くの人が他力を借りて成功している、とも言われています。

例えば、メンターと呼ばれる人に弟子入りして、仕事や経営の考え方について教えて頂くことにより、自らも独立したり収入が上がった、と言うことも他力を借りて自己を変えていくと言えます。

これは最近だけの話ではありません。昔から武道や伝統芸能、技術というものは師弟関係というものがあるし、文学の世界でも文豪が次の世代の作家を育てるために、住込みで弟子をとるなんてことと同じです。

また、露伴先生は学ぶ際の心構えについても述べております。

自己を新にするのものの第一の工夫は、新にせねばならぬと信ずるところの旧いものを一刀の下に斬って捨てて、余孽を存せしめざること。

同著 46頁より抜粋

学ぶと決めたからには、今までの常識を捨てて、徹底してその人から学び取ることです。

我流や自己流で成功する人も当然いますが、多くの人にとってそれで成功するのは難しいとも述べております。何故なら、自力で成功しようとする人は、自分の過去の常識の範囲内でしか、自己を変革する術を知らないからです。

メンターや師匠から学んでいると、「どうしてこう考えるのだろうか」と常識の違いを受け入れがたいときもあるでしょう。しかし、その新しい常識を知らないから自分が変われないのであって、学んでおきながら自分の常識を捨てられないのであるならば、一人勝手に独立すればよろしい。

とは言え、常識を変えるということは、当然自分の今までの生き方や考え方を大きく変えるということであり、文字通り自己を捨てるのは不安があるでしょう。

しかし、大きな成果や変化を望むのであるならば、過去の自分に媚びず、常識を変えていく必要があることを、露伴先生は、畑を例に出して述べております。

例えば、畑に雑草が生えたまま種を植えたら、収穫は出来るかもしれないけれども、その量はあまりにも少ないです。まずすべき事は、前から生えている雑草を取り除く(余孽を存せしめざること)であろう。
そう言うと、雑草は抜かなくても肥料を多く入れれば問題あるまいと言う人もいるかもしれないが、結局は自己弁護をしているだけであり、無駄な労力が増えるだけである。

もし学ぶ機会に恵まれているのならば、過去の自分は敵である位に考えて、常識を変えていくことです。そして、自己を変えていくのは自分であり、自ら努力して変わる必要があります。それではまた次回!

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